第293話 プライドを捨ててからが一歩目

 本日何度目かのご馳走様をした後は、初めに見た時より空いている海鮮丼のお店に入店した。

 さすがにスイーツやら和菓子やらで腹が半分ほど膨れてきているので、みんな一番小さいサイズのを頼むことにする。


「私はこの海ぶどう丼にするかな」

「鉄火丼に海ぶどうトッピングで〜♪」

「わ、私は……えっと……」


 何やらメニューと瑞希みずきの顔を交互に見る花音かのんに、彼女が「別に同じのでも構わないぞ?」と微笑みかけた。

 どうやら真似したと思われるんじゃないかと要らぬ心配をしていたようで、安心したのか「私も海ぶどう丼にします!」と満面の笑みで注文をする。


「海ぶどうってそんなに美味しいの?」

「何だ、小田原おだわら。食べたことないのか?」

「海じゃないぶどうしか食べたことない」

「あっちも美味しいけどな。海ぶどうのあのプチプチとした食感は、一度食べたら忘れられなくなるんだ」

「味は?」

「そのものの味はそんなに無いな。磯の味ってよく言うだろ? その風味を味わう感覚だ」

「要するに大人の味なんだね。僕にまだ早いかもしれない」

「はは、無理する必要は無い。好きなものを好きなように食べればいいだけだ」


 やはり口で味を説明するのは難しいようで、唯斗はイマイチ海ぶどうに惹かれていない。

 ただ、正面の3人が全員頼むという程なのだから、今回くらいはチャレンジしてみてもいいかも程度の興味は湧いてきていた。


「僕はミックス丼に海ぶどうトッピングで」

「お、挑戦する気になってくれたか」

「もし食べれなかったらもらってくれる?」

「ああ、いくらでももらうぞ」

「じゃあ〜その代わりに瑞希を嫁にもらってね〜♪」

「ちょ、風花ふうか?! お前何言って……」

「冗談冗談〜、瑞希にあげるくらいなら私が貰う〜」

「風花、夕奈ゆうなとマルの前だぞ。少しは緩い発言は控えてやれ、こいつらの目が怖いから」


 瑞希の言う通り、唯斗の両サイドの視線が突き刺すように風花を睨んでいる。

 彼は肩身が狭いななんて思いつつ、彼女たちの心の炎が鎮火されるのを待ってからメニューを机の端に立てかけた。


「海鮮を食べ終わったらどうするか……って、花音どうしたんだ?」

「な、なんでもないです……」

「なんでもない顔じゃないだろ」

「本当になんでもないんですっ!」


 ふと視界の端に写った表情が不満そうだからと声をかけてみれば、ブンブンと首を横に振って何も教えてくれない。

 そんな花音の様子にさすがの瑞希も眉を八の字にしていると、夕奈が何かに気づいたように「あっ」と声を上げた。


「もしかして、カノちゃん嫉妬しちゃった?」

「っ……」

「やっぱり図星なんだー!」

「ち、違います! 瑞希ちゃんを取られそうなんて思って怖くなったわけじゃないんです!……あっ」


 自分で全部暴露してから、しまったと言いたげに口元を押える彼女。

 慌てて別の撤回をしようと横を見てみれば、先程まで心配そうな顔だった瑞希が真っ赤になっているではないか。


「どうしたんですか?! お熱ですか……?」

「いや、ちょっとな……」

「言えないほど辛いんですか?」

「そういうわけじゃないんだが……」

「こ、この中にお医者様は―――――――――」

「花音、待て!」

「わん! って、だから私はわんちゃんじゃありませんってばぁ!」

「そういう意味じゃないって言ったろ。あと落ち着け、私は大丈夫だ」


 彼女は口元に手を当てながら数回深呼吸を挟むと、まだ赤みの残る頬を露わにしてにっこりと微笑む。

 それを見た花音も同じように笑って、腕を広げられると躊躇いなくそこへ飛び込んで行った。


「私が花音を見捨てるわけないだろ?」

「でも、きっと彼氏さんが出来たらそっちの方が大事になっちゃいますよぉ……」

「中学の時の件で男にはもう懲り懲りなんだ。もうしばらくはお前たちが一番だぞ」

「しばらくっていつまでですか?」

「私が花音を嫌いになるまでだろうな」


 その言葉に花音の表情が引き攣るのを見た瑞希はクスクスと笑うと、「一生って意味だ」と優しく頭を撫でてあげる。


「彼氏が出来たところでお前たちは1位のままだ。友達と彼氏を天秤にかけさせるようなやつを、私はそもそも好きにはなれないからな」

「うぅ……瑞希ちゃん大好きです……!」

「私も大好きだぞ」

「大大大好きです!」

「ふふ、抱きしめすぎだ」


 2人の幸せそうな光景を眺めていた夕奈は、何を思ったのか突然唯斗に向かって両手を広げてくる。

 数秒間その様子を見つめた彼は、「ふっ」と鼻で笑ってからこまるのほうを向いて「イカとサーモン、トレードしてくれない?」と頼み始めた。


「ちょっとくらい抱きしめてくれてもいいのに……」

「そのちょっとが命取りなんだよ」

「誰が怪力マウンテンメスゴリラやおら」

「そう意味じゃなくて、抱きしめると眠くなっ……いや、なんでもない」

「今何か言いかけたよね?」

「気のせい」

「夕奈さんは聴き逃しませんでしたよ! 眠くなるって言ったもんねー!」

「……はいはい、言ったよ。事実なんだから」

「仕方ないなぁ、今夜は私の胸の中で寝てもいいよ」

「先生に伝えとくね」

「ご、ご勘弁をぉぉぉ……」


 結局、イカとサーモンを交換してくれたのは夕奈だった。イクラもサービスしてくれたのは、きっと口封じのための賄賂だろう。

 そんな作戦には乗らないと固く誓った唯斗だったが、さすがにマグロの追加までもチラつかされた時には、「秘密にするから」とあっさり堕ちてしまったけれど。


「欲しい? 欲しいならワンって鳴いて?」

「僕にプライドがあると思う? わんわん」

「……なんか悲しくなってきたからもう一枚あげる。今食べても涙のせいで海の味なんて分からなくなってそうだし」

「そう? ありがたく貰うね。いや、貰うわん」

「もういいから。いいんだよ、唯斗君……」

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