第59話 疲れた体によく効くもの

 あれから少しして、夕奈ゆうなに振り回されたせいで体力が切れた唯斗ゆいとは、瑞希みずきの背中に乗せてもらって我が領地ベッドまで戻った。


「ごめんね、瑞希」

「大丈夫だ、意外と軽かったからな」


 そう言って隣の部屋に戻っていく彼女。唯斗は扉が閉まる音が聞こえるのと同時にあくびをすると、うつ伏せに寝転んで夕奈の方を見た。


「ねえ、マッサージしてよ」

「断る!むしろ私がして欲しいくらいだよ!」

「それは色々と問題があるからさ」

「2人で問題という名の壁を越えていこうぜ」

「ごめん、もう目の前に壁あるよ」

「それは唯斗君が作ってる壁だよね?!」


 唯斗は「夕奈のせいで作らざるを得ないんだよ」と訂正しつつ、枕に顎を乗せて肺に溜まった息を吐く。


「遊んであげたんだから、肩くらい揉んでくれてもいいじゃん」

「女の子の前で揉むなんて言わないでよ!」

「その主張において、そもそもそこに反応するのがおかしい」

「いや、知らない方が問題やん?」

「確かに」


 アニメにはよく無知で純粋な女の子のキャラがいたりするけど、保健の授業毎回寝てたのかなってレベルで知らないよね。

 唯斗はついつい納得してしまったものの、それとこれとは別だと話を元に戻した。


「明日、僕が筋肉痛で起きれなくなってもいいの?」

「その時は引きずってでも連れていく!」

「鬼か」


 夕奈はケラケラと笑うと、「冗談冗談、マイケル・ジョーダン♪」と言いながら唯斗のベッドに侵入してくる。


「夕奈ちゃんが身も心も解してあげますよー♪」

「後者は遠慮しとく」

「大人しく解されとけやおら」


 彼女は仕返しのつもりか、唯斗の背中に肘を立ててグリグリとした。普段なら痛過ぎて耐えられないような攻撃だが、今の彼にはむしろちょうどいい刺激だったのである。


「あ、それ気持ちいい」

「こ、これが? 唯斗君、さてはMっ気が……」

「黙って。せっかく気持ちいいのに台無しになる」

「……はい」


 夕奈は褒めてるのか馬鹿にしてるのかなどっちなんだと怒りたかったが、唯斗があまりにも心地良さそうにしているのを見てやっぱりやめた。

 その表情を消してしまうことに罪悪感を感じたからではない。彼女自身がずっと見ていたかったからだ。


「その顔はずるいって……」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう呟きつつ、夕奈は唯斗の体を解し続ける。

 肩を揉み、肩甲骨辺りを押して、背中から腰にかけては軽くチョップ。それを3回ほど繰り返した。

 全てテレビの見よう見まねではあったものの、ゆっくりとした呼吸のリズムを崩さない唯斗の様子を見る限りは、そこそこ気持ちいいらしい。


「幸せそうな寝顔見せやがって……」


 夕奈は一旦背中から手を離すと、そっと唯斗の頬を突いてみた。特に反応はない。

 今度は耳元で名前を呼んでみるも、やはり起き上がることもなければ唸ることすらなかった。よほど熟睡しているらしい。


「起きろー」

「すぅ……すぅ……」

「起きないとイタズラしちゃうよー?」

「すぅ……すぅ……」


 これは確実に起きないやつだ。夕奈はそう確信すると、口を耳元から少し横にずらした。

 起きていない今なら、何をしたところで気付かれない。気づかれないのなら、していないのと一緒だ。

 彼女は自分に言い聞かせるように心の中で呟き、一度深呼吸をしてから思い切って唇を突き出す。


 ―――――――――――ちゅっ。


 静かな部屋に響く口付けの音。夕奈は自分でしておきながら、口を離してから数秒後に羞恥心で我に返った。


「はっ! 私は今まで何を……」


 その瞬間、先程吹き飛んでいった本来の遊び心が、夕奈の体の中へ帰ってくる。

 そう、唯斗君の中の夕奈像はこんな感じではない。いつでも唯斗君の思い通りに動かないような、そんな厄介な女のはず!

 夕奈の中の悪魔がそう語りかけると、彼女の視線は背中から唯斗の脇に移動する。寝ているうちに弱点を狙うのだ。


「隙ありっ!」


 夕奈は素早く唯斗の脇に手を入れると、コチョコチョと指を動かしてみた。これでさすがの唯斗君ももがいて―――――――――――あれ?


「……効いていない、だと?」


 いつの間にかこちらを見つめていた冷やかな視線に、夕奈は思わずベッドから転げ落ちてしまう。


「僕はマッサージをお願いしたはずだけど?」

「だ、だから、脇のマッサージを……」

「隙ありって言ってたよね?」

「うっ……」


 聞かれていたのなら言い訳は通用しない。夕奈は諦めたようにその場に膝をつくと、「脇じゃなくて首にすればよかった!」と土下座をした。うん、全く反省してないね。


「まあ、別にいいよ。僕には効かないし」

「ゆ、許してくださるのですか?!」

「怒るのも疲れるからね。そっちは許してあげる」

「なんと心の広い……ん? って?」


 唯斗はゆっくりと体を起こすと、小さくため息をついて戸惑う夕奈の目を見た。


「あのさ、『そういうのは冗談でもやめて』って言ったはずだよね?」

「っ……」


 その言葉を聞いた瞬間、夕奈の顔が恥ずかしさで一気に赤くなる。目元に涙まで滲んできたほどだから相当なのだろう。

 彼女が「お、起きてたの……?」と聞くと、唯斗は真顔で「ずっと起きてたよ」と答えた。


「なんですぐに怒らなかったの?!」

「呆れてたから」

「……へ?」


 唯斗は夕奈がキスした部分に軽く指先を触れさせると、眉を八の字にしてため息をこぼす。


「僕を困らせるためにここまで体張るなんて、根っから腐ってるとしか言いようがないよ……」

「ちょ、ちょっと待って!唯斗君は私がイタズラであんなことしたと思ってるの?」

「むしろそれ以外にないじゃん」

「ええ…………」


 夕奈は「お前の察知力はたったの5か!ゴミめ!」と怒鳴ってやろうかと思ったが、そんなことをすれば本当の気持ちが別にあるとバレてしまう。

 そうなれば、恥ずかしさのあまり阿寒湖に飛び込んじゃうよ。マリモを抱きしめたまま溺れちゃうよ!

 そう思うと、彼女はそれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。


「自分のことは大切にしてよ。僕に責任なんて取れないんだから」


 唯斗はベッドから降りて夕奈の肩をポンポンと撫でると、そのままトイレとお風呂がある扉の向こうへと消えていく。


「好きにさせた責任くらい取れやおら……」


 ベッドに残る温もりに触れながら呟かれた独り言は、唯斗の耳に届くことはなかった。

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