第47話 夏休みは宿題が終わると案外暇になる

「よし、終わった」


 唯斗ゆいとはそう呟いてシャーペンを置く。計画的に宿題をやっていたため、夏休み9日目にして全て終わらせることが出来たのである。

 sinサインやらcosコサインtanタンジェントに苦しめられるものもいるらしいが、唯斗からすればあんなものは公式さえ覚えてしまえば朝飯前……いや、昼寝前だ。


「……暇だなぁ」


 ただ、ここで訪れるのが突然の暇である。夏休みというのは長いことが魅力ではあるが、部活をやっていない人からすれば、特筆してやることも無い期間なのだ。

 まさにその代表のような唯斗は、「今は寝る気分でもないんだよね……」と呟くと、今日一日をどう過ごすかに頭を悩ませながら、部屋を出て1階へと向かった。


「うーん、難しい……」


 リビングの机では、天音あまねが宿題と向き合っている。そうだ、勉強を教えてあげることにしよう。

 唯斗はそう決めると、天音の解いている宿題を覗き込んだ。さすがに小学生の問題だから、分からない箇所は見当たらないね。


「天音、分からないところがあったら聞いてね」

「別にいいよ。お兄ちゃんは寝てて」

「僕がいつも寝てると思ったら大間違いだよ」

「何も間違ってないと思うけど」


 心外だなぁ。天音にそんなふうに思われていたなんて。お兄ちゃんだって動く時は動くし、妹の面倒くらいは見れるというのに。

 唯斗は仕方なく天音から離れると、ソファーに腰を下ろした。暇つぶしとしてゲームをやるのもいいけど、宿題をする邪魔になりそうだから今はやめておこう。


「眠くない日ってこんなに暇なんだね……」


 やることと言えば、時計の秒針が奏でるカチカチという音に耳を傾けることくらいだ。

 この一定のリズムに浸っていると、段々とまぶたが重くなってくるような……あ、寝れそうかも……。


「唯斗、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「……母さん、何?」


 もう少しで眠りに落ちるというところで、唯斗は母さんの声で現実に引き戻された。

 夢の国でチケットを買ったのに、ゲートで提出したら目の前でビリビリに破り捨てられた気分だ。

 心の中のミッ〇ーが、「出口はあっちだよ!アハッ!」と言っている気がする。


「卵買ってきてくれない? 今日特売で安いから」

「……お釣りは?」

「取っといていいから。ほら、行ってきて」


 母さんはそう言うと、唯斗にお金を握らせてリビングから追い出すように背中を押した。

 眠りは邪魔されたけど、やることが出来たからいいか。お釣りも貰えるし……と手のひらの中を見てみると、そこにあったのは156円。


「悪の大魔王ハハーンめ、ピッタリ渡しやがったな」


 お釣りが出るとは言われていないけど、何だか騙された気分だ。そうは言っても、今さら行かないとも言えない。だって夕飯抜きにされかねないから。

 唯斗はしょんぼりと肩を落とすと、カバンと財布を取りに行くべく2階へと戻る。足裏に触れる階段のフローリングが、いつもより冷たく感じられた。


「……眠い。お釣りもらえないから眠い」


 シュークリームにクレープ、唯斗はクレジットご褒美があるからこそ働く人間である。それがゼロなら、やる気よりも眠気が勝ってしまう。


「……」


 いっそこのままベッドで眠ってサボってしまおうか。そんな悪い考えが体を支配し始めたものの、背後に視線を感じて振り返ってみると、ハハーンがこちらをじっと睨んでいた。


「お小遣い、減らされてもいいんだな?」

「……今行こうと思ってた」


 ベッドに沈みこんでいた半身を起き上がらせ、そそくさとカバン片手に部屋を出る唯斗。あの目は本気で小遣いを減らすつもりだ。

 さすがは悪の大魔王、使えるのなら脅しでもなんでも躊躇うことがない。本当にあの純粋な天音はこの人の腹から出てきたのだろうか。


「行ってきます」

「寄り道したらダメよ。最速で帰ってきなさい」

「もし遅かったら?」

「10秒ごとにお小遣いを1%ずつ引いていく」

「……行ってきます」


 これが世に言う『トイチ』と言うやつなのだろうか。確かに恐ろしいシステムである。

 唯斗は玄関を出てすぐに深いため息をこぼすと、最寄りのスーパーに向かってトボトボと歩き始めた。

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