「ねぇ、パンの耳あげる」

神村 涼

「ねぇ、パンの耳あげる」

 私はどこにでもいる女子中学生。


 学校には友達もいて、通うのは凄く楽しい、だけど同じクラスの男子達はちょっと苦手。


 クラスの男子は幼なくて、教室で口を開けばエッチな話ばかりで嫌になる。


 眼中にない男子達の中で、特に一人だけ私の胸をざわつかせる子がいる。あろう事か、その子は私の隣の席に座っている。


 その子は、いつも私につっかかってくる。本当、めんどくさい。


 授業中、ちらっとあなたをみると授業を忘れて、夢中でノートに落書きしていた。


 先生がこちらをわざとらしく見ているのにも、あなたは気付いていない。でも、それを私は君にわざわざ伝えようとしなかった。


 日頃のお返しよ。それ、先生にバレてるよ。ほら、先生がにこにこした表情で近づいて来るよ。心の中で実況して楽しんだ。


 あなたが先生に気付いた時にはもう遅くて、教科書で頭を思いっきり叩かれていた。クラス内では笑い声が沸き立った。


 ぷぷっ。頭を叩かれて良い気味よ。


 あなたは私が笑っているのに気付いて、消しゴムの欠片を投げつけて来た。


 もう、だから男子って嫌いよ。こんな幼稚な事ばっかり。私は髪の中やら机の上に散らばった欠片を拾い集めた。


 休憩時間にポケットティッシュに包んだ欠片を突き返す。


 「これ、ちゃんと捨てといてよね」

 「いやだね。俺の事笑ったくせに」

 「何よ、あなたが悪いんでしょう」

 「そっちこそ、気付いてたなら教えてくれても良いじゃん」


 なによ、悪いのはそっちでしょ。そんな風に言ったら私が悪いみたいじゃない。

 

 あなたは憎たらしい顔をして、ゴミ箱を指さしていた。


 そうやって人を馬鹿にしたような態度を取る度に、私の胸のもやもやが大きくなる。


 あなたと私はいつもこう、どうして私にだけそんな態度なの?


 もう知らないと、そっぽを向いて廊下に出た。


 「またケンカ? 大丈夫?」

 「私達は味方だよ」


 廊下に出た私を追い掛けて、心配そうに声を掛けてくれる友達。


 そんな友達が傍にいるお陰で、少しばかり私の気も落ち着く。


 チャイムが校舎に、鳴り響いた。そうだ、次は体育の授業だ。


 嫌だな、男子と一緒に着替えるの。胸も膨らんできたし、最近男子がエッチな目で見てくる気がする。私の考え過ぎなのかな。


 幸いな事に私の席は壁際だから、気にする方向は少ないけど、傍にあなたがいるから神経使っちゃうよ。


 いつもあなたは自分の着替えが済んでいるのに、私に背を向けて突っ立ってるよね? どうせ他の女子の着替えでも見ているんでしょうけど。


 私はあなたが振り向かない内に、素早く着替えを済ませて運動場に向かった。


 「今日は男女混合のドッジボールだ」


 そう言って先生はクラスを半々に分ける。私はあなたとは別のグループになった。


 良かった、私ドッジボール苦手だから、直ぐ負けちゃう。もし、あなたと同じグループだったら、この前みたいにねちねち言って来るに違いない。


 思い出しただけで、胸の奥がちくちくする。


 そんな風に考えていると、君はおちゃらけた表情を浮かべて私に言ってきた。


 「お前弱いから、狙わないでやるよ」

 「ふん、当てられないの間違いじゃないの」


 日頃のざわつきを晴らすように私は目一杯、強がって見せた。君は一瞬、むっとした顔を覗かせていた。


 「あっぶな、今度はこっちの番だ」

 「きゃー! 狙わないで!」

 「くっそー、速くて取れねぇ」

 「痛っ! 当たっちゃったか」


 競技が始まって飛び交う歓声やら悲鳴とも取れる叫び声。コート内外で大いに賑わう中、私は何とか生存していた。


 おかしいな、いつもは直ぐに当たって外野でヒマしている頃なのに、どうしてだろう。


 敵チームのあなたはさっきから男子ばかりを狙っている。一人、また一人と打ち取っている。


 君が運動神経が良いのなんて知っているもの、それくらい出来て当然よ。


 五十メートル走も早いし、サッカーだっていつもゴール決めてるよね。跳び箱だって真面に飛ばずにハンドスプリングなんか、きめちゃったりして……本当子供っぽい。


 私がよそ見をしている間に、どこからともなく飛んできたボールが顔面にぶつかった。私はビリヤードの球のように頭が弾かれて、その場に倒れ込む。


 「おい! 顔面は禁止だって言っただろ、気を付けろ。大丈夫か?」

 「はい……何とか」


 先生の叱る声が聞こえる。私の周りには友達が駆け寄ってきて、先程までの楽しい雰囲気が静まり返る。私は心配を掛けまいと、ジンジンする額を抑えながら立ち上がる。


 「一応、謝っとけよ」

 「はっ、何でお前に言われないといけないわけ?」

 「良いから謝れって言ってんだろ!」

 「うっさいんだよ! 偉そうに!」

 「おい! お前達止めなさい!」


 私とは全く関係の無い所で、あなたはクラスの男子と取っ組み合いを始めた。


 そんな、あなたの姿を見て額が痛いのなんて、いつの間にか忘れてしまっていた。


 先生が慌てて止めに入ってからは、結局ドッジボールは中止になって残りの時間は自習になった。クラスの男子とあなたはそのまま職員室に連行されて行った。


 どうしてケンカなんてしたの? あなたは運動神経が良くて、クラスでもバカばっかりやって皆を笑わせてたじゃない。今までだってケンカなんてした事無かったのに――。 


 「頭、大丈夫? 赤いよ、保健室行ったら?」

 「そう言われると痛くなってきた。ちょっと行って来る」


 友達にそう言い残して、私は保健室へと向かった。保健室は職員室の直ぐ傍にあって、職員室の前を通ると先生が怒っている声が聞こえる。


 いつも私をバカにしていた罰でも当たったのね。私は保健室に入って、先生と一言声を掛けたけど返事は無かった。先生がいつも座っている机には走り書きで、直ぐ戻りますのメモが置いてある。


 仕方が無い、先生が戻ってくるまで待っていよう。目のつく所に鏡があったので、恐る恐る痛みのある部分を確認する。


 一番痛い所はぷくりとコブになり、その周りはボールの形状に赤くなっている。

 

 私は深く息を吐いて、椅子に腰を掛けた。あーあ、恥ずかしいよ。この跡無くなるかな? 


 ガラララ――。保健室の引き戸が開き、先生が帰って来たと思って、振り返ったのに、そこにはあなたが立っていた。


 私は、とっさにコブを両手で隠す。


 「なんだ? 先生いないの?」

 「いないよ。戻って来るのを待ってるの。あなたは何しに来たのよ」

 

 すたすたと私の前に立ったあなたは、唇に指を当てて血が出ているのを見せてきた。息がかかるくらいの距離で、急に顔を近づけて来るなんて私は思わなかった。


 座っている椅子に背もたれが無いのを忘れて、私は後ろに仰け反ってしまった。


 「おい! 危ない!」


 あなたは素早く腕を私の背中に回して支えてくれた。体操着からはあなたの匂いがする。少し汗臭いけれど嫌な匂いじゃない。腰を支えてくれている腕もゴツゴツしていて安定感があった。


 私を助ける為とはいえ、自分でも変な体勢だと思ったようで、あからさまに雑な扱いをされた。少し間があって、頭の後ろを掻きながらあなたは話し出した。


 「勘違いすんなよ! ここで怪我されたら俺がやったと、思われて先生に怒られるだろう……」

 「何を勘違いするの? まさか――? やめてよね、私にも選ぶ権利があるんだから」

 「それは! ……まあ、そうだよな」


 私に目を向けて何か言いたげだったあなたは、途中で目線を逸らして歯切れが悪くなった。


 なんでいつもみたいに言い返さないのよ。こっちの調子が狂うじゃない。


 何とも言えない空気が私とあなたの間に生まれる。その空気を断ち切ってくれたのは、戻って来てくれた保健室の先生だった。


 「あら? 二人共どこか怪我でもしたの?」


 先生は慣れた手つきで、消毒液を患部に当てる。


 染みる! 一瞬身体を強張らせると、アルコールの匂いに交じって、私の服からあなたの匂いがふわりと鼻孔をくすぐってきた。


 そんな出来事から数日が過ぎて、クラスでは恋する少年少女達で溢れ返っていた。誰と誰が付き合ってとか、根も葉もない噂話まで彩り豊かだった。


 内心くだらないと、そう私は鼻で笑った。友達と話していても、その話ばかり。この間まで幼稚なクラスメイトよりも年上の高校生が良いとか言っていた子でさえも、クラスの雰囲気に飲まれている。

 

 「そういえばさぁ、好きな人っている?」

 

 友達が唐突に私に聞いてくる。今日のバレンタインデーに浮かれているのだろう。


 私の隣にいる、あなたもその中の一人。あなたは大勢の女子からチョコを貰っていた。あなたの顔がにやけていたのを知っている。だって隣の席なんだもの嫌でも目についた。


 「私にも好きな人くらいいるよ」

 「うそー! 初耳なんだけど、だれ?」

 「それよりも、はい。友チョコ」

 「あっ、忘れてた。隣のクラスの子にも配らなきゃ、もう帰ってるかも」


 友達は颯爽と教室を出て行った。私は話のついでに別の袋をカバンから取り出した。


 「あなたにも、ついでにあげる」

 

 隣の机の上に色彩溢れるチョコの包の山へ、異質な黒々とした市販のパッケージ袋を投げ入れた。


 「無糖かよ。これがお前のだっていうのは、一目見ただけわかるぞ。女子ならせめてリボンくらいつけろよ」

 「なんで、私がそこまでしないといけないのよ。あなたにはそれで充分でしょ」

 「言ったな? ホワイトデー楽しみにしてろ、後悔するなよ」

 「最初から期待していないもの」

 

 あなたの悪そうな顔を見たのは、消しゴムの欠片を投げられた時以来だった。あなたがクラスの男子とケンカした後は、どこかよそよそしくて、居心地が悪かった。


 友チョコを配り終えたのか、友達が私の元に戻ってきた。私に渡すのを忘れていた友チョコをわざわざ持ってきてくれた。


 すると、私の顔を覗き込んで小首を傾げている。


 「ん~、なんかいい事でもあった?」

 「特に何もないよ。そろそろ帰ろう」


 いつもと同じ通学路のはずなのに、その日はやけに早く家に着いた。


 あなたが期待していろと言ったホワイトデー当日は、カレンダーを一枚捲るだけで直ぐに来た。


 女子の間では、そわそわと浮足立っている様が見て取れる。告白の仕方は様々だけど、期待するのは無理もない。


 男子の方から言って欲しい。そんな願いは少なからずあるものだ。登校前だったり、昼休みの時、メインは放課後かな? そんな事を思いながら女子達は一日を過ごす。


 あなたは普段と変わらない様子で、授業を受けていた。昨日と何も違う所は無い。あなたにチョコをあげた女子達は、休憩時間の度にクラスの外に溜まっているのに気づいて無いのかな?


 女子達の期待を裏切って、時間は無情にも過ぎていった。


 給食の時間になって、慣れた様子でガタガタと机を組み合わせて班を作る。給食当番が配膳の準備を行う頃には既に列が出来ていた。


 私の持っているトレイの上に置かれた今日のメニューは、ビーフシチュー、キュウリとフルーツのサラダ、そして食パンだ。それを持って席に戻ると、目の前いるのは当然、あなた。


 ニヤニヤと嬉しそうな表情が私に向けられたものか、給食に向けられたものかの判断は出来なかった。


 「いただきます」


 この合図で一斉に、スプーンを手に取って皆食べ始める。なのに、なぜ? そう頭に浮かんだのは私だけ?


 目の前に座っている、あなたは食パンを手に取り、色づいた部分を器用にスプーンで切り取り始める。


 私はその不思議な光景に、目を奪われて手の動きが止まってしまった。見る見るうちに綺麗に白い部分だけ繰り抜いて、輪っか状になった物を私に突き出した。


 「ねぇ、パンの耳あげるよ」

 「えっ、普通にいらない」


 私じゃなくてもそう答える筈だ。何を考えているのかと不審に思っていると、あなたは席を急に立ち私の傍までやってきた。


 あなたは私にだけ聞こえる声で口を耳元に近づける。


 「今年のホワイトデーのお返し。来年や再来年、この先も考えてあるんだけど、受け取ってくれない?」


 それを聞いた瞬間に耳元が熱くなり、鼓動が速くなった。今まで胸の奥にあった違和感がきゅっと一つにまとめられたように感じた。


 整理が出来ない頭を伏せて落ち着かせる事に意識を集中させる。すーは―、すーはー、呼吸をするのを思い出しゆっくりと肺に空気を入れた。


 「今年はこれで許してあげる。来年も同じだったら怒るから」


 あなたの顔を見ながら、そう伝えた時の私の顔はどのくらい紅葉してたのだろう。 


 ――腕の裾を引っ張られる感触で、私は意識を戻した。大福ほどの柔らかそうな握りこぶしが裾を掴んでいる。


 「ねぇ、きいてるの?」

 「えっ? 何だったかしら?」


 その子は頬を赤く染めて、口をぷっくりと膨らませた。どうやら御不満がありそうだ。


 「これきらい。ねぇ、パンのみみあげる」


 ああ、そうだったと思い出し私はその子に、にっこりと微笑み返す。


 「ありがとう。頂くわ」


 その子から差し出されたパンの耳を私は優しく受け取った。


 リビングの扉が静かに開く、そこにいる人を見て、その子はご飯を食べるのを、ほっぽり出して駆けて行った。


 「パパだ~。だっこして~」


 しょうがないなと、照れ隠しに頭の後ろを少し掻いて、あなたはその子を抱きかかえる。


 ふと、あなたと私は目が合った。あなたは訝しむように聞いてきた。


 「どうしたんだ? そんなに、にやけて?」


 「さっき、その子がね――」


 私はパンの耳を手に持ちながら、あなたに話し始めた。 

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