第10話 ご老人

 ここで、ご老人の言葉は終わりました。息も絶え絶えで、はあはあと、荒い息遣いでした。出席者の誰も、ひと言も声を発しません。静寂がこの場を取り仕切っております。重苦しい空気が漂い、いえ、澱んでおります。呼吸をするのも辛く感じます。深い海の底に沈んでしまった観があります。

 と、一人の女性が息せき切って入ってらっしゃいました。

「お父さん、また他所さまのお宅に上がり込んでしまって。だめですよ、ほんとに。どうも皆さま、お通夜の席をお騒がせ致しまして、申し訳ございませんでした」

 畳に頭をこすり付けられて謝られる女性に、喪主の松夫さんが声をかけました。

「このお方の、ご家族の方ですか?」

「はい。娘の、妙子でございます」

 このご返事に、皆一斉にどよめきました。ご老人は、確かに「娘の命日、妙子の命日」とおっしゃったのです。

「娘さんのご命日とお聞きしたのですが?」

 松夫さんが、再度尋ねます。

「まあ、またそのようなことを。先年、母を亡くしまして。以来、塞ぎこむようになりまして。最近になりまして少し元気を取り戻したのですが、方々のご法事の場に赴いては、ご迷惑をおかけしています。ほんとに申し訳ございません。それでは失礼致します。さ、お父さん、帰りますよ」

 驚いたことに、背筋をピンと伸ばして話しておられたご老人だった筈ですのに、よろよろと立ち上がられて、そのご婦人にしがみつかれます。

「おゝ、小夜子。どこに居た、どこに居た。わしを、わしを一人にしないでおくれな」

 弱々しい老人の声が、耳に残ります。法悦なご表情のご老人になられていました。

「はい、はい。お家に帰りましょうね」

 そしてその言葉とともに、深々と頭を下げながら去って行かれました。

  了

 実は、このお話には、続きがあるのです。

 ですがそれは、後日にお話しさせていただきます。というのも、わたし自身が、信じられぬ思いでいるからです。あまりにオカルト的で、他のお方にお話しをしましても、にわかには信じていただけないと思うからでございます。ですので、わたし自身が少し頭を冷やしてから、お話をきちんと整理してからとさせていただきたいと思います。

 どうぞ、少しの時間をいただけますようお願いいたします。

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 愛・地獄変 としひろ @toshi-reiwa

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