愛・地獄変
としひろ
第1話 七回忌
その日はいつになく穏やかな日和で、この法事の席に集まられた皆さんの表情も穏やかなものでした。ま、喪主の松夫さんだけは硬い表情をされていましたが。ご出席の皆さんから声を掛けられるのですが、軽く頷かれるだけでございました。ご心配なことでもあるのかと、わたしと大叔父の善三さんとで話をしていたのです。
「お疲れのご様子ですね、松夫さんは」
「なあに、緊張しているんでしょう。嫁が居ないものだから。まったく情けないです、まったく。何もかも嫁任せにしていましたからな」
「はあ、そういうことですか。で、いつ頃の退院となるのですか?」
「まあ一週間もすれば、と聞いておるのですがね」
その時でございました。突然に見知らぬご老人が、座敷に上がってこられたのです。
「ごめん」
言うが早いか、ずかずかと上座に向かわれました。
「どちら様でございましたですか?」との、松夫さんの問いかけに
「うるさいわい! あんたこそ、誰じゃ!」と、言い返されます。
「いや、私は喪主の……」
「えゝい、どけどけ。どかんかい!」と、足蹴にでもする勢いでした。そして居並ぶ出席者に、えびす顔で対されます。
「いや、どうもどうも。お騒がせ致しましたな。これはこれは、多数の方にお見えいただいて、ありがとうございますですな」
喪主の松夫さんはといえば、憮然とした表情ながらも隅のほうに座り込まれ、いえいえ、へたり込まれてしまいました。
「梅は咲いたか~、桜はまだかいな~。 あ、ちょいなちょいなと。ハハハ、のっけから失礼しましたな。わたくしは、名前を梅村正夫と申します。梅ですぞ、桜ではございませんのでな」
「あはは、こりゃいい。面白い自己紹介だ。あはは、あははは……」
善三さんの笑いが、部屋中に響きます。あちこちからも笑いが沸き起こりました。それを見られて、至極ご満悦の表情をそのご老人が見せられます。よくよく観察しますと、少しお顔が上気しているように見えました。最前列の方のお話では、少しご酒(しゆ)の匂いがしたとか。一杯ひっかけられての、ほろ酔い気分のようでございました。
笑い声が収まると同時に、座がざわつき始めました。それはそうです、坂田家の七回忌法要で集まった親戚一同でございますから。
このご老人、誰一人として存知おりません。しかしご老人はまるで意に介されずに、ひと通り見渡されます。そしてその後、かっと目を見開かれて、怒鳴るようにおっしゃるのです。
「本日は、わたくしめの愛娘、小夜子の法事でございます」
キョロキョロと辺りを見回し、坂田松太郎七回忌法要の文字を見つけられると、満足そうに頷かれるのです。
「七回忌、七回忌ですぞ。かくも賑々しくお集まりいただいて、わたくし感極まる思いでございます」
そこまでおっしゃられると、目頭をおさえられ声をひそめられました。
「ご老人! 梅村さんとか、言われましたか? ここは、坂田松太郎の法要の場ですが。何か思い違いをなされているのではありませんかな?」
大叔父の善三さんが、声を上げられました。皆一斉に、善三さんに視線を注ぎます。そして、うんうんと頷かれます。これでご老人が勘違いに気付かれることだろうと、前を向きます。
ところが「だまらっしゃい!」と、一喝でございます。
「わしの話を聞けぬと言う不埒な輩は、即刻この場を立ち去りませい! わしと妙子との、それは哀しい哀しい話を聞けぬのならば、出て行け! この罰当たりめが」
一旦口を閉じられて、じろりと一同を見回します。眼光鋭く、睨み据えられます。さすがの善三さんも、その迫力に黙られてしまいました。
「ほれ、注いでくれ。気が利かぬ男じゃの」
やおら膳の上から杯を手にされまして、松夫さんに向かって差し出します。戸惑われつつも、何かあってはと思われたのでしょう、松夫さんが酒を注がれました。
「うん。これは良い酒ですな。結構、結構。酒は、惜しんではいけません。酒は、口を滑らかにしますでな。実はですな、わたくしですな。眠れんのですよ、いや眠りたくないのです。どうしてか? そう、それが大問題ですじゃ」
勿体ぶった話しぶりで、中々に本題に入られません。皆さん、苛立ってまいりました。話があるならばその話を早く済ませて出て行ってくれと、そう考えているのです。しかしそれを口にすることはできません。とに角、ご老人が早く話し始めるのをひたすらに待っているのでございます。そして、三杯目の杯を空にされたところで、ようやく口を開かれたのです。
「それは、夢なのです。皆さん、夢は見られますかな? 見られますわな、誰しも。しかし、しかし……」
突然急に、大粒の涙をこぼされ始められました。そしてざわつく中、すくっとご老人が立ち上がります。
「わたくしのような者のために泣いてくださる必要はない。いや、話を聞き終えてから、思う存分に泣いて頂きたい。夢です、夢を見るのです」
そしてご老人がおっしゃられる、おぞましい夢の話を語り始められたのです。
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