おせっかいな夕焼け小焼けのチャイムが、もの悲しく響いた。


 団地の入り口には、ステンレスの郵便受けが、行儀よく並んでいる。そのうちのひとつ、真ん中のやつが、圭太の家のポストだ。


 「1143」


 圭太は、背伸びして番号を合わせる。

 かちゃっ、と開いた。


 いつもは、色刷りのチラシばかりだけど、その日は、チラシは入っていなかった。代わりに、細長い封筒が、一通だけ、入っていた。


 ほの暗い郵便受けの中で、封筒の白さが光って見えた。



   藤原圭太さま



 白い封筒には、黒々とした字で、大きく、そう書いてあった。


 ……ぼくあて?


 圭太は不思議に思った。いままで、郵便で手紙を受け取ったことなどなかったのだ。


 学校には、連絡網はあるけど、それに書き込んであるのは、電話番号だけだ。


 ラインやメールもあるけど、住所は、大切だ。だって、学校が休みの時に、年賀状や暑中見舞いを送り合わなくちゃならないから。


 スマホは、「かていのほうしん」で、持っていない子もいるし(圭太もそうだ)、なにより、手書きの郵便って、いいな、と思う。


 圭太は、送ったことも、受け取ったこともないのだけれど。


 だって、まずは、相手の子の、住所を知らなくてはならない。もちろん、自分の住所も、きちんと伝えなくてはならない。。


 そんなの、絶対、無理だ。親しくなければ教えてくれないし、圭太だって、友達でなきゃ、教えられない。


 つまり、圭太宛ての郵便なんか、来るわけがないのだ。

 最初から、期待なんかしていなかった。


 でも……。



   藤原圭太さま



 白く細長い封筒の真ん中に、そう書いてある。



   藤原圭太さま



 見間違いなんかじゃない!

 僕に、手紙が来たんだ!


 胸が、どきどきした。


 ただ、奇妙なことに、この封筒には、宛て先の住所が書いてなかった。


 切手は、貼ってあった。大きな木の上から、恐竜がのぞいている絵の切手だ。アニメみたいなかわいい恐竜じゃなくて、ごつごつした肌の、口のでかい恐竜。すごいリアル。リアルすぎて、ちょっと怖い。


 封筒を裏返してみると、左下に



   竜王より



 と書いてあった。けっこう大きな字だ。


 竜王?

 聞いたことがない。それに、人の名前じゃないみたいだぞ。


 なんだか怪しい気がした。



 それでも白い封筒の表に自分の名前が書かれているのが嬉しくて、圭太はそれをつまみ上げ、ポストから取り出した。


 そっと、ポケットに入れる。ポケットは小さいから、手紙が落ちてしまわないように、ずいぶん気をつけて、家まで歩いた。




 玄関を入ると、手を洗い、うがいをしてから、自分の部屋へ急ぐ。

 しっかりとドアを閉めてから、いそいそと、手紙をポケットから抜き出した。


 初めての自分あての手紙だ。気分が上がる。


 まずは、匂いをかいでみた。紙の匂いと、これは、糊の匂いかな? おとなのハンドクリームみたいな、いい匂いがする。


 封筒を蛍光灯の明かりにすかしてみる。何か紙が入っていようだ。


 これは僕あてだから、僕が開封しても、悪いわけじゃない。

 圭太は思った。


 机の上の、鋏を取り上げた。

 中の紙を切ってしまわないように、封筒の上の端を、慎重に切る。切手はずいぶん上の方に貼ってあったから、切ってしまわないように気を付けた。



 封筒の中には、折り紙を二つ折りしたくらいの大きさの、堅い紙がはいっていた。



  特急スーパーおろち乗車券

  4月8日 午前10時

  希望が丘発 タイコ行き

  特等席禁煙車輛 A―1番



 特急だって!


 胸がわくわくした。

 特等席って、そんなの、乗ったことがない!


 希望が丘というのは、圭太の住む町の名だ。同じ名前の、鉄道の駅はない。どこへ行けばいいのだろう。


 もちろん、圭太は、行くつもりだった。

 だって、特急だよ? それも、特等席だ!


 でも、日付を見て、失望した。明日の午前十時って、学校があるじゃないか。

 誰かがからかっているのに決まっている。ひどいいたずらだ。



 切符を丸めて捨ててしまおうとした。二つ折りにはできた。けれど、堅い紙でできているので、それ以上は小さくならない。


 悔し紛れになんとか折りたたもうとしていると、玄関から声がした。


「ケイタ! 帰ったんでしょっ。ケイタッ!」

 ヒステリックな甲高い声が、圭太の名を、何度も呼んでいる。


 圭太はびくっとして、背筋をすくませた。


 お母さん、機嫌が悪い。

 また、殴られる。


 声にならない悲鳴が、頭の中で渦巻いた。


 今日は、何をネタに、怒られるのかな?

 靴は揃えたよね。あ、洗面所のタオルが、べちゃべちゃに濡れてた、とか?


 昨日は、傘を玄関の中に入れて、叱られた。少し前に、ドアの外に出しっぱなしにしておいて、盗まれたからだ。

 随分長いこと、ネチネチ嫌味を言われて、しんどかった。床に正座させられたままだったから、足も痺れて痛かった。



 圭太の怯えた目が、机の上の切符に止まった。


 別に、親に見られて悪いものじゃない。

 でも、この切符を見たら、きっとお母さん、怒る。


 絶対、怒る。だって、圭太が、自分の知らない物を持っていたり、よその人が何かくれたりすると、お母さん、すごく機嫌が悪くなるんだもん。


 ……切符が恨めしい。


 さっき、特急列車に乗れると思って、一瞬だけど、すごく嬉しかった。

 嬉しかった分、切符をお母さんに見られるのが、いやだ。


 部屋の中に、泥だらけの靴を履いたまま、入って来られるような、いやあな感じ。


 切符を見つけたら、お母さんは、きっと、有無を言わさず捨ててしまうだろう。それを、圭太は止めることはできない。


 ……僕宛てなのに。


 機嫌の悪い時の母さんには、どんな理屈も通じはしない。

 いや、そもそも、話しかけたりしたらいけないのだ。それは、危険な行為だ。


 どたどたと、足音が近づいてくる。


 慌てて折り曲げた切符を、再び、ヤッケのポケットへと押し込んだ。


 このヤッケは、随分汚れているけど、大丈夫。お母さんは洗濯に出せとは言わないだろう。

 そんなこと、一度も言われたことはない。

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