2
おせっかいな夕焼け小焼けのチャイムが、もの悲しく響いた。
団地の入り口には、ステンレスの郵便受けが、行儀よく並んでいる。そのうちのひとつ、真ん中のやつが、圭太の家のポストだ。
「1143」
圭太は、背伸びして番号を合わせる。
かちゃっ、と開いた。
いつもは、色刷りのチラシばかりだけど、その日は、チラシは入っていなかった。代わりに、細長い封筒が、一通だけ、入っていた。
ほの暗い郵便受けの中で、封筒の白さが光って見えた。
藤原圭太さま
白い封筒には、黒々とした字で、大きく、そう書いてあった。
……ぼくあて?
圭太は不思議に思った。いままで、郵便で手紙を受け取ったことなどなかったのだ。
学校には、連絡網はあるけど、それに書き込んであるのは、電話番号だけだ。
ラインやメールもあるけど、住所は、大切だ。だって、学校が休みの時に、年賀状や暑中見舞いを送り合わなくちゃならないから。
スマホは、「かていのほうしん」で、持っていない子もいるし(圭太もそうだ)、なにより、手書きの郵便って、いいな、と思う。
圭太は、送ったことも、受け取ったこともないのだけれど。
だって、まずは、相手の子の、住所を知らなくてはならない。もちろん、自分の住所も、きちんと伝えなくてはならない。。
そんなの、絶対、無理だ。親しくなければ教えてくれないし、圭太だって、友達でなきゃ、教えられない。
つまり、圭太宛ての郵便なんか、来るわけがないのだ。
最初から、期待なんかしていなかった。
でも……。
藤原圭太さま
白く細長い封筒の真ん中に、そう書いてある。
藤原圭太さま
見間違いなんかじゃない!
僕に、手紙が来たんだ!
胸が、どきどきした。
ただ、奇妙なことに、この封筒には、宛て先の住所が書いてなかった。
切手は、貼ってあった。大きな木の上から、恐竜がのぞいている絵の切手だ。アニメみたいなかわいい恐竜じゃなくて、ごつごつした肌の、口のでかい恐竜。すごいリアル。リアルすぎて、ちょっと怖い。
封筒を裏返してみると、左下に
竜王より
と書いてあった。けっこう大きな字だ。
竜王?
聞いたことがない。それに、人の名前じゃないみたいだぞ。
なんだか怪しい気がした。
それでも白い封筒の表に自分の名前が書かれているのが嬉しくて、圭太はそれをつまみ上げ、ポストから取り出した。
そっと、ポケットに入れる。ポケットは小さいから、手紙が落ちてしまわないように、ずいぶん気をつけて、家まで歩いた。
玄関を入ると、手を洗い、うがいをしてから、自分の部屋へ急ぐ。
しっかりとドアを閉めてから、いそいそと、手紙をポケットから抜き出した。
初めての自分あての手紙だ。気分が上がる。
まずは、匂いをかいでみた。紙の匂いと、これは、糊の匂いかな? おとなのハンドクリームみたいな、いい匂いがする。
封筒を蛍光灯の明かりにすかしてみる。何か紙が入っていようだ。
これは僕あてだから、僕が開封しても、悪いわけじゃない。
圭太は思った。
机の上の、鋏を取り上げた。
中の紙を切ってしまわないように、封筒の上の端を、慎重に切る。切手はずいぶん上の方に貼ってあったから、切ってしまわないように気を付けた。
封筒の中には、折り紙を二つ折りしたくらいの大きさの、堅い紙がはいっていた。
特急スーパーおろち乗車券
4月8日 午前10時
希望が丘発 タイコ行き
特等席禁煙車輛 A―1番
特急だって!
胸がわくわくした。
特等席って、そんなの、乗ったことがない!
希望が丘というのは、圭太の住む町の名だ。同じ名前の、鉄道の駅はない。どこへ行けばいいのだろう。
もちろん、圭太は、行くつもりだった。
だって、特急だよ? それも、特等席だ!
でも、日付を見て、失望した。明日の午前十時って、学校があるじゃないか。
誰かがからかっているのに決まっている。ひどいいたずらだ。
切符を丸めて捨ててしまおうとした。二つ折りにはできた。けれど、堅い紙でできているので、それ以上は小さくならない。
悔し紛れになんとか折りたたもうとしていると、玄関から声がした。
「ケイタ! 帰ったんでしょっ。ケイタッ!」
ヒステリックな甲高い声が、圭太の名を、何度も呼んでいる。
圭太はびくっとして、背筋をすくませた。
お母さん、機嫌が悪い。
また、殴られる。
声にならない悲鳴が、頭の中で渦巻いた。
今日は、何をネタに、怒られるのかな?
靴は揃えたよね。あ、洗面所のタオルが、べちゃべちゃに濡れてた、とか?
昨日は、傘を玄関の中に入れて、叱られた。少し前に、ドアの外に出しっぱなしにしておいて、盗まれたからだ。
随分長いこと、ネチネチ嫌味を言われて、しんどかった。床に正座させられたままだったから、足も痺れて痛かった。
圭太の怯えた目が、机の上の切符に止まった。
別に、親に見られて悪いものじゃない。
でも、この切符を見たら、きっとお母さん、怒る。
絶対、怒る。だって、圭太が、自分の知らない物を持っていたり、よその人が何かくれたりすると、お母さん、すごく機嫌が悪くなるんだもん。
……切符が恨めしい。
さっき、特急列車に乗れると思って、一瞬だけど、すごく嬉しかった。
嬉しかった分、切符をお母さんに見られるのが、いやだ。
部屋の中に、泥だらけの靴を履いたまま、入って来られるような、いやあな感じ。
切符を見つけたら、お母さんは、きっと、有無を言わさず捨ててしまうだろう。それを、圭太は止めることはできない。
……僕宛てなのに。
機嫌の悪い時の母さんには、どんな理屈も通じはしない。
いや、そもそも、話しかけたりしたらいけないのだ。それは、危険な行為だ。
どたどたと、足音が近づいてくる。
慌てて折り曲げた切符を、再び、ヤッケのポケットへと押し込んだ。
このヤッケは、随分汚れているけど、大丈夫。お母さんは洗濯に出せとは言わないだろう。
そんなこと、一度も言われたことはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます