ツテズクのステッキ

伊織千景

ツテズクのステッキ

 天国という場所があるって、昔お母さんに聞いた。


 私はとぼとぼと歩きながら、ぼんやりしていく意識の中で、お母さんの事を思い出す。お母さんは言っていた。いいことをした人は、死んじゃったあと、天国っていう素晴らしい場所にいけるって。天国では皆が優しくて、お腹も減らなくて、皆幸せなんだって。でも、悪いことばかりしていると、それとは反対に、地獄っていうおっかない場所に送られちゃうんだって。だから悪いことは出来る限りしちゃ駄目で、いい子でいなきゃいけないよ。そんな風に言っていた。

 天国に行けるかな。もうお腹の音すらならない、何も感じなくなったお腹を触って、私は思う。私は「欠陥品」だから、お仕事もクビになっちゃって、お仕事をクビになっちゃったから、配給も貰えなくて、お腹が減って、お店からご飯を盗んで、逃げて、捕まって、殴られて。もう、3日も何も食べてない。悪いことをしちゃったから、地獄に行かないといけないのかな。だとしたらやだな。きっとお母さんは天国だから、会えなくなっちゃうのかな。そんなことを思っていたら、急に心細くなって涙が出た。そうしたら耐えられなくなって、溢れる気持ちを抑えられなくて、気がついたら赤ん坊みたいに泣いてしまった。人に見られるのが恥ずかしくて、私は人気のない路地に入っていった。どんどん奥へ進んでいくと、鉄屑が山積みになったスクラップ置き場があった。旧時代の使えなくなった機械は、こうやって見えない場所に捨てられる。私もおんなじなのかもしれない。そう思うと怖くて、また涙が出た。しばらく泣いていたら、突然、男の人の声が私に怒鳴った。

「ぁあうるせえなぁ! いつまで泣いてんだこのクソガキ!」

 私は慌ててあたりを見回す。けれど、周りには誰もいなかった。

「だ、誰?」

「ったく。せっかく人がいい気分で死のうとしてるのに、邪魔するんじゃねえよ」

 私はスクラップ置き場に目を向けた。声はここから聞こえる。もしかしたら、人が生き埋めになっているのかもしれない。私は急いでスクラップ置き場に駆け寄って、鉄屑をかき分けていく。けれど、そこに人はいなかった。目の前にあるのは、リュックの形をした何かの機械だった。声の元は、たしかにそこからだった。私がリュックみたいな機械を持ち上げると、リュックが喋った。

「あー、見つかっちまったか」

「見つけちゃいました。すごい。喋れるんだ」

「ったくこんなんだったらスピーカー機能付けるんじゃなかったな」

 いろんな機械を見たことがあるけれど、話せる機械なんてはじめてだった。

「なんで喋れるの?」

「俺が死神だからだ」

「神様がなんでスクラップ置き場にいるの?」

「神にも色々事情があるんだよ……ってなんだおめえ、死にかけてんじゃねえか」

 神さまらしい喋るリュックは、カシャカシャ音を鳴らしながら、アームの付いたカメラを伸ばしてきた。どうやらこれが神さまの眼みたいだった。

「胃の中に何も入ってねえな。典型的な餓死一歩手前ってところか」

「やっぱり私、死ぬの?」

「死にたいなら止めはしねえが、嫌なら俺の真ん中のポケットを開け」

 言われたとおりにポケットを開くと、中から水筒とお菓子が出てきた。思わず声をあげてしまった。急いで水筒を開けて水を飲んで、お菓子を一つ口に入れた。じんわりと口の中に甘いお菓子の味が広がっていく。お菓子を食べたのなんて、本当に久しぶりだった。

「これでしばらくは持つだろうよ」

「ありがとう神さま!」

「へっ、現金なもんだ。お前、名前は?」

「ツテズク」

「こんな所でなにしてる」

 私は神さまに、全部を話した。お母さんと二人で生きていたんだけれど、お母さんが死んじゃって、お仕事をはじめたんだけれど、上手く出来なくて、怒られて、クビになって、ご飯を食べれなくて、ご飯を盗もうとして捕まって、殴られて、三日間何も食べてなかったこと。私が全部を話すと、少し間を開けて、神様リュックはこう言った。

「お前、まだ生きたいか?」

 私は頷く。

「でも私、お仕事できない『欠陥品』だから」

「大丈夫だ。俺の言うとおりにしてれば、お前は一生食いっぱぐれねえ。なんせ『医者』になるんだからな」

 私は笑ってしまった。普通の仕事もできない私が、お医者様なんてなれるわけない。それでも、神さまリュックはまじめに話を続ける。

「まあ騙されたと思って、ちょっと俺を背負ってみろ」

 私は騙されたと思うことにして、言われたとおりに神さまを背負ってみた。一瞬、背中に鈍い痛みが走った。

「痛い!」

「スマンスマン。それじゃあいっちょ、そのへんで死にそうなやつを探すか!」

 

 路地を戻って、大通りに出ると、沢山の人が忙しそうに歩いていた。よく見てみると、皆の頭の上に横棒が出ていた。人によって長さが違った。

「あの数字はな、簡単に言うとそいつの寿命だ」

「寿命?」

「そう。あれが長い奴は長生き。短い奴はすぐ死ぬ。お前はあれが短い病人を探して、俺の言うとおりにして助ければいい。……近くにいい感じの反応があるな、道案内するからそこにいけ」

 言われたとおりに道を進んでいって、辿り着いた場所を見て、私は思わず身震いをした。

 なぜならそこは、一週間前まで働いていた旅館だったからだ。

「ここの女将が、ちょうど今死にかかってる」

 私は神様の言っていることを信じなかった。なぜなら女将さんは一週間前までピンピンしていたからだ。旅館に入ったら、なんで戻ってきたって怒鳴られるだろう。嫌がる私を、神様は急かす。しばらく言い合った後、もし元気だったら逃げるという約束で入ることにした。

 旅館の中は、大騒ぎだった。

 大勢の人が大慌てで、旅館の中を行ったり来たりしている。私はその中で、お世話になっていた先輩を見つけて話しかけた。

「一体どうしたんですか?」

「ああ、ツテズクか! お前戻って来ていいのか……ってそんなこと言ってる場合じゃない! 大変なんだよ」

 少し嫌な予感がした。

「もしかして、女将さんになにかが」

 先輩は一瞬驚いた顔をして、ツテズクの顔を覗き込む。

 「何だ知ってたのか。そうなんだよあの女将が急に泡吹いて倒れちまってさ、ひどい熱出してもう三日も布団から出られねえ」

 神さまの言っていたとおりだった。頭のなかに、神様の声が響く。

《な、言ったとおりだったろう。とりあえず女将に会いに行け》

 私は少し驚きながら、神様の言うとおりにすることにした。私は先輩に頼んで、寝込んでいる女将さんの所に行った。

 女将さんは、いつもの元気で怖い女将さんじゃなかった。髪はバサバサで、目の下は熊ができていて、息が浅い。汗が止まらなくて、どこを見てるかわからない。まるで今にも消えてなくなりそうだった。

「……なんだい、追い出された恨みでもはらしに来たか」

 女将さんは息も絶え絶えに、そんな憎まれ口を言ってくる。思わずすくみそうになる私の頭の中に、神様の声が響いてきた。

《俺のサイドポケットに付いているステッキ。それを持って呪文を唱えろ。呪文はアジャラカモクレン・イタイイタイノ・トンデッタ!》

 絶対嘘だ。こんな適当な呪文とお星様がついたステッキで病気が治ったら苦労しない。絶対恥ずかしいだけだ。でも、目の前の女将さんは本当に苦しそうだった。私は失敗しても恥ずかしいだけだけれど、女将さんは死んじゃうんだ。そう思ったら、やらないといけないと私は思った。神さまからステッキを引き抜いて、目を閉じ私は叫んでいた。

「アジャラカモクレン・イタイイタイノ・トンデッタ!」

 静かな空気が痛かった。怖くて目を開けなかった。顔が熱くなって、汗がじわりと背中ににじんだ。

「なんだいこんな時に、ふざけてるんじゃないよ!」

 女将さんの怒鳴り声に、私は思わず身をすくませ目を開いた。女将さんは布団から立ち上がって、腕組みをして私を睨んでいる。先輩はそれを見て、目を見開いて驚いていた。

「女将! 起き上がって大丈夫なんですか!」

「ああ? ああ、そういえば風邪引いてたんだっけあたし。ツテズク、これは一体どういうことさね」

 私が一生懸命事情を説明すると、女将は腹を抱えて大笑いした後、私の頭を撫でてくれた。

「全く信じられない話だけれど、現にお前のお陰であたしは助かったんだわね。アンタはあたしの命の恩人だ。十分な謝礼を用意してやる。それと他の奴らにも教えてやろう。お前、これから忙しくなるぞ」

 

 女将さんの言ったとおりで、それから本当に忙しくなった。

 私は呪文一つで病気を治す奇跡のお医者として、色んな所に行って、色んな人を治してきた。病気の人はいくらでもいるみたいで、眠る時間もないくらい私は走り回って、呪文を唱えた。お金も貰えるようになって、ご飯を毎日食べられるようになった。自分のお家も用意してもらえて、毎日温かい布団の中で眠れるようになった。お仕事は大変だったけれど、とても嬉しかった。皆が喜んでくれる。皆がありがとうと言ってくれる。「欠陥品」の私を、皆が褒めてくれる。それだけで嬉しかった。


 「お医者」のお仕事にも随分慣れたそんなある日、神さまがこう言った。

「おいツテズク、そろそろ医者を辞めろ」

 私は神さまが何を言っているのかよくわからなかった。私をお医者にしたのは神さまなのに、なんで神さまが私にお医者を辞めろなんて言うのだろう。

「辞めろって、なんで?」

「もう十分カネを稼いだだろう。一生働かないで生きていける。仕事をする必要なんてない。もう医者を辞めて、どっかに遊びに行こうぜ」

「神様なのにそんなこと言っていいの?」

「神様だから誰も文句言わねえよ」

 私が神様に呆れていると、町の人が息を切らしながら家の中に駆け込んできた。また病気の人が出たらしい。私はガミガミうるさい神様を無視して、病気の人の所へ走った。いつものようにステッキを振って、呪文を唱えればそれでいいのだ。お金はもういらないから、これからはタダでもいいかもしれない。そんな風なことを考えていた。病室に入ると、何かがおかしかった。病気の人の横棒が、赤く点滅していた。

《コイツはもうダメだ。助けられない》

 なんでと私が頭のなかで返事をすると、神様は少し黙った後、決心したかのようにこう言った。

《お前、自分がどうやって病人を治しているのか考えたことあるか?》

《それは、呪文とステッキでだと思う》

《正確にはそうじゃない。ステッキと呪文は、あくまで道具だ。人を治しているのはそれじゃない。人を治しているのはな、お前自身の命の源だ。お前は自分の命を削って、他人に分け与えていたんだ。はじめに出会った時、若いお前は寿命がたっぷりあった。だが今は違う。大勢に命の元をばら撒いたから、残りの寿命はもうわずかだ。手のひらを見てみろ》

 私は混乱しながら自分の手を見つめた。手のひらの少し上辺りに、赤く点滅した短い横棒が見えた。

《これがお前の寿命だ。これ以上他人にばらまけば、まず命はないだろう》

 息を飲んだ。

《はじめに言ったろ、俺は死神だって。何もしなければ、あと五年は生きられるだろうよ》

 目の前がぼやけて、グルグルと回り始める。そんな、突然そんなことを言われても、ぐるぐると頭のなかで思いが駆け巡ってまとまらない。こわい、いやだ、信じられない、助けて! お母さん!

 ふと、私は病気の人を見つめた。小さな男の子だった。私より多分年下で、苦しそうに唸っていた。お母さんとの思い出が、心のなかに溢れでた。いいことをしていれば、天国に行ける。きっと、あと五年もなにもしないでいることなんて、私はできない。このままこの子を見殺しにすることも、きっと出来ない。答えはもう決まっていた。止めようと騒ぐ神様を無視して、私はステッキを振り上げ、呪文を唱えた。


 ブツリと音を立てて、目の前が真っ暗になった。

 静かだった。何も見えない何も聞こえない何も触れない。ただ、真っ暗だった。天国じゃないなら、これは地獄なのかもしれない。少し怖かったけれど、悲しくはなかった。私は沢山の人を助けて、沢山の人に感謝されて、とても楽しい人生を送ることが出来た。それだけで満足だった。そんなことを思っていると、不意に目の前に四角い光が見えて、懐かしい声が聞こえてきた。

《全く、人の言うこと聞かねえからこうなる》

 神様だった。

《せっかくいいバッテリーを見つけられたと思ったんだがな。残念だよ》

 どういうこと?

《俺達死神はな、お前らに背負ってもらうことでエネルギーを補給しているんだ。俺達はお前らに能力を提供する。お前らは俺達にエネルギーを供給する。要するにお前らは俺達にとっての外付けバッテリーってわけだな》

 よくわからない。

《ま、わかった所でどうしようもないがな。それにしても馬鹿なやつだ。自分が生き残る最低限のエネルギーまで使い果たした奴なんて、今までのバッテリーにいなかったぞ》

 そうなんだ。

《非合理的、非論理的。今までいなかったタイプのバッテリーだな。もう少しデータを収集したかったが、そうも行かないだろう。かろうじてセーフモードで起動しているが、もう長くないだろうな。何か言い残したことはあるか?》

 私は、天国へ行けるかな。

《……お前たち人造人間に天国があるかどうかは分からない。それどころか、俺達人間にすら天国があるのかすら、誰も答えを出していない。だがな、もしお前が天国に行けないっていうんだったら、きっと天国なんてものはこの世界にはにないんだろうな》

 目の前でカウントダウンが始まった。そうか、これが、ほんとうの……。


 ビクリと体が跳ねて、まぶたが開いた。

 ぼんやりと白い物が見える。それが病院の天井だと気がついたのは、少し時間が経ってから。わけがわからないまま体を起こすと、周りを大勢の人が囲んでいることに気がついた。皆、知っている顔だった。皆、私が《直した》人だった。少しの沈黙の後、大歓声が病室に響いた。皆涙を流し、代わる代わる私を抱きしめた。呆然とする私に、死神さんが話しかけてくる。

《こいつらがうるさいんだよ。いつまでたってもお前の体の前で泣きっぱなしで、どいつもこいつも帰りゃしない。あんまりにうるせえから、こいつらの寿命チョビっとづつ抜き取って、お前に移し替えてやることにした。そしたら余計うるさくなった。責任取れ》

 憎まれ口を叩いているのに心なしか、死神さんの声は明るかった。私がありがとうと言うと、死神さんはわざとらしく舌打ちをした。

《で、どうだったよ》

《なにが?》

《あれだよ。あったのか? 天国ってやつは》

 私は、少し考えたあと微笑んだ。天国ならあった、いつも、目の前にあった。

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ツテズクのステッキ 伊織千景 @iorichikage

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