ケイとアイ

佐藤山猫

密室の秘め事

「修学旅行?」


 わたしの言葉を鸚鵡返しして、愛華あいかはその大きな目を丸くした。


「このご時世に?」

「そうよ」


 わたしは頷いた。


「幸い、例の割引キャンペーンが適用できたのよ。思い出作りだしね」


 わたしは豚肉の生姜焼を箸で摘みながらぼやいた。「行きたくなさそうだけど」と愛華が笑う。


「そりゃあね。3年生にとっては一生に一度のかけがえのない思い出作りだし、行かせてあげたいって感情は否定できない。でもさ、やっぱり危険でもあると思うの。万が一にも罹るのは仕方ないことだけどやっぱりリスクは高いし色々な点で徹底はできない。実際に罹ったら管理責任を問われて非難轟々だし、感染うつすなんてもってのほか。保護者への説明なんかもいまのところ目立つ抗議は無いから良いけどそれでも諸々を考えるとね。それに何よりも引率が面倒くさいわ」


 不満たらたらじゃん、と愛華は益々笑ってわたしのグラスにビールを注ぐ。


「修学旅行といえば」


 愛華がわたしの言葉の切れ目を見計らって口を挟んだ。目で続きを促す。


「中2の時かな。引率で、怖い先生がいなかったから、ちょっとイイコトしようかなってことがあったな」

「初耳ね」


 それなりに長い付き合いなのだが。


「うん。部活のことだしね。覚えてない? 体育の大崎……」

「ああ! 生徒指導もしてた!」


 大崎教諭の常に眉間に皺を寄せた無愛想な表情を思い出す。教諭に三年間担任をさせられた先輩諸氏はさぞ萎縮していただろう。


「で、その大崎先生がどうしたの?」

「先輩たちと一緒に京都に行ってていなかったから、書道室にこっそり入って菓子パしてたの。楽しかったな」


 愛華は書道部の部長をしていた。小さな部活で、書に勤しんでいた様子は無かったはずだ。いつ訪れても、だいたいの場合部員で駄弁っていた記憶がある。


「部活終わった体で施錠して鍵を職員室に返して、そっから菓子パよ。誰も入ってこない書道室でポテトチップスにポップコーンに。トランプもやって、墨はあったから負けた人のほっぺに落書きもしてね」

「すごいわね」


 わたしの知らない愛華の記憶に、わたしの好奇心は抗いきれなかった。口では素っ気ない様子を保てたと思うが、気付いたら身体を乗り出していた。

 そんなわたしの様子を見て、愛華はふと悪戯っぽく口元を歪めてみせた。


「そうだ、恵子けいこ。ちょっと考えてみてよ。あたしたちがどうやって鍵のかかった書道室で遊んだのか?」

「普通に……」


 わたしは何かを言おうとして言葉に詰まった。

 愛華は書道室に鍵をかけて、それを職員室に返却したと言った。となると、外から書道室に入る術が無いことになる。

 書道室の構造を思い出す。特別棟の3階の廊下を突っ切った一番奥。建物から張り出すようにあったはずだ。観音開きのドアがひとつだけで、あとは窓だけ。張り出しもない窓だった。その窓から侵入することは、さすがに現実的ではない。


「愛華が鍵を閉めたの?」

「そうだよ」

「そのあとで愛華は戻って……」

「うん。みんなと一緒に菓子パしてた。その日来てた子はみんな菓子パに出てくれてたよ」


 外から誰か協力者が鍵をかけて職員室に返し、そのまま帰宅したという可能性は無さそうだ。


「鍵がもう一本あった?」


 言いながら、自分でも無いな、と思っていた。

 案の定、愛華は首を横に振る。


「生徒の使える鍵はひとつだけだったんじゃなかったけな。あとは管理人の先生が持ってる一本があったか……。恵子の職場ところもそうじゃない?」


 うちはマスターキーが事務室にもう一本あるが、多分母校の中学時代もそうだったろう。時と場所が変わっても、この点は変わらないと見て良さそうだ。


 となると、ふむ。


 わたしは顎に手を当てて考えた。

 愛華は「ちょっと難しかったかな」と言って笑っている。


 なんとなく意地になって、わたしは考え続けた。


 当日の愛華の動きを想像する。

 中学生の愛華だ。身体も顔つきもいまとあまり変わらず、ちょこまかとした印象を受ける女の子。鞄を背負い、鍵を掴んでドアノブを回し、戸を押して教室を出る。周りに部員がいたかもしれないし、書道室に部員が残ったまま鍵をしたのかもしれない。職員室に鍵を返し、昇降口では無く書道室に戻り、そして──。


「菓子パね。楽しかったんだけど、次の日細工するのが間に合わなくってね。先生にバレてものすごくとっちめられたんだよ。あんなに怒られたの初めてだったな」


 思考の切れ目に、するりと愛華の台詞が割り込んだ。


 ヒントのつもりは無かっただろう。思い出話をするような口調。ノスタルジーに装飾された言葉が愛華の口から紡がれていく。


 しかし、わたしにとってはヒントになった。


 それは、翌日に細工が必要な仕掛けだったということ。

 鍵に関する仕掛けか?


 いや、もし鍵が開いていたのだとしても「閉め忘れて返してしまったのだな」となるはずだ。となると鍵にはなんらかの異常があったと考える。たとえば……?


 あ、そうか。


「分かった」

「本当?」


 愛華がわたしの顔を覗き込む。大きな目がわたしの表情を窺ってくる。「恵子、基本顔に出さないようにしているもんなあ」と愛華はごく小さな声で呟いた。


「書道室の扉って、両開きだったでしょう?」

「……うん、そうだったね」


 不自然な間が空いた。どうやら正解を引き当てたか。


「でも基本的に、片方だけ使ってて、もう片方は開かないようにストッパーがついてたわ。鍵のかかっていない側のね」


 首肯。


「ストッパーを外せば、鍵をかけていてもノブを引けば開くわよね? 普段使いしていない方が」

「当たりだ」


 愛華はパチパチと拍手した。空々しい音が部屋に響く。


「翌朝、先生がストッパー外れてるのに気付いちゃって。鍵を返した時間は記録されてたからその後に何かやってたんだろうって怒られたの。大崎がいなかったからマシだっただろうけどね」


 愛華はテヘッと舌を出した。三十前になってもそんな幼気な言動が許されるのは愛華だけだと思う。

 

「……で、修学旅行ってどこにいくの?」

「広島よ」

「じゃあお饅頭だ。お土産よろしくっ!」

「そっちも、留守番よろしくね」


 わたしたちは何ともなしにグラスを合わせた。これがいつもの夕餉。愛華はどれだけわたしの帰宅が遅くなっても、一緒に食事を取ろうと待っていてくれる。それはとてもありがたいと思う。

 愛華がニートで、生活が昼夜逆転気味であることを鑑みても、だ。


「ごちそうさま」

「じゃあ、片付けしちゃうね」


 愛華が二人分の食器を下げてくれる。その背中に小さく呟く。


「いつもありがとう」

「いえいえ、どういたしましてっ!」


 聞こえていたのか。地獄耳め。恥ずかしいじゃない。


 居た堪れなくなってわたしは空になったテーブルに突っ伏し、テレビの電源を入れた。

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