第10話 ステュクスの誓い
妃乃と神龍は、途方に暮れていた。
屋敷は、どこから片付けたらいいかわからないほど、ひどい散らかりよう。
壊された家財の残骸で埋め尽くされて、廊下は、足の踏み場がない。
「まるで、家の中で台風が起こったみたいだ。」妃乃が言った。
「これが全部、牢獄からあがってきた亡霊の仕業?たちが悪いよ。」
と、掃除機を持って立ち往生している神龍の横を、小さな影が通り過ぎた。
妃乃と神龍は、信じられない光景に遭遇した。
目の前で、陶器の破片を集めているのは、テディベア集団。
生き物みたいに動くぬいぐるみを見て、「かわいー!」と、妃乃が興奮している。
ぬいぐるみとは思えない手際の良さに感嘆して、神龍も見とれてしまった。
「手が止まってるよ。」と、突然、背後から話しかけられた。
振り返って、妃乃と神龍は、驚いた。
大怪我を負ったはずのクロウが、普通に立っている。
クロウ!?と、ふたりして叫んだ。
「うそ!?もう、動けるの!?」妃乃は、びっくりした。
「人間と同じにするな。俺は、丈夫なんだよ。悪魔の血が流れてるからかな。」
クロウは、両手の人差し指と中指を2回曲げる外国人みたいなジェスチャーをしている。
「クロウって、悪魔だったの?」という神龍の発言に、は?と、たちまち、クロウが、眉をひそめた。
「ドラゴンだよ!そんなこと言ったら、人間のルーツだって猿じゃん!」
「こら、クロウ!」と、ハデスが、やってきた。
「魔道士にちょっかいだしたら、あかんぞ。妃乃、神龍。掃除、手伝ってもらっちゃって、ごめんね。」
と、ハデスは手を合わせている。
「別に、これくらい。掃除くらいしか、俺たちは、手伝えそうにないから。」
神龍は言った。
「あれ、なに?」妃乃が、床に散らばるガラスを掃いているテディベアを指差す。
「お手伝いさんみたいなもんやで。俺たちは、あっち片付けてくるから、こっちよろしくね。」
そう言ってハデスは、クロウとむこうへ行った。
クマ軍団のおかげで、思ったより早く、神龍は、掃除機をかけることができた。
掃除機の音に紛れて、クロウとハデスの声が聞こえる。
『額縁に手が届かないんだよー。ハデス、踏み台になってよー。』
『やだよ、断る。』
「神龍、あれ!」と、妃乃が指差している方を見たら、クマ軍団が、瓦礫が詰まった段ボール箱の下敷きになっていた。
そこへやってきたのは、1mありそうな巨大テティベア。
巨大テディベアは、クマ軍団を押し潰す段ボール箱を持ちあげて、救出した。
その光景を眺めていたら、突然、掃除機の吸い込みが悪くなった。
クマを一匹、吸い込んでいた。神龍は、掃除機の電源を切る。
解放されたクマは、クマ軍団と合流して、段ボール箱を運んでいた。
大掃除が終わり、ダイニングに全員集合した。
食べたいものが、11人バラバラで決まらないから、ハデスは、魔法道具をひっぱりだした。
手品でも始めるように、もったいぶって、ハデスは、テーブルクロスを広げる。
「このテーブルクロス。タネも仕掛けもございませんが………。」
カニが食べたい!というハデスの声に反応して、テーブルクロスが光る。
そして、茹でたてのカニが、テーブルに現れた。
すごい!と驚く魔道士たちの反応が嬉しくて、ハデスは、内心ガッツポーズする。
カニを目の前にして、みんなの考えが変わった。カニ出ろ!
そうして、テーブルに、てんこ盛りのカニが並んだ。
「結局、みんな、カニ食べるんかーい!」ハデスが叫ぶ。
そんな中、クロウは、ひとりだけ、ピザを出した。
「カニ食べないの?」と、神龍が不思議がっている。
「アレルギーなんだよ。」と、クロウは、吐くマネをした。
そして数分後、無言の食事会が始まった。
カニを食べるのに必死で、誰も話さない。しかも、クロウは、ひとりだけ、ピザ。
俺が、カニが食べたいなんて、安易に言ってしまったばっかりに……と、ハデスが後悔していると、突然、クロウが言った。
「ねぇ、ハデス。馬って10回言って。」
言われた通り10回言った。クロウが言う。
「サンタさんが乗ってくる『もの』は?」
「トナカイ?」
「ソリだよ!サンタが、トナカイに、またがって来んのかよ。『もの』って、俺、わざわざ、強調したじゃん。トナカイは、動物だろうがよ。」
たちまち、周りから、クスクス笑いが起こった。
ハデスは、顔が熱くなった。笑いものにされるのは、大嫌いだ。
「俺、大人やからね。こんなことで、いちいち、怒らないからね。」と、声に出して、自分に言い聞かせていると。
「ほんまに、ふたり、仲良しやね。」と、ゼウスに言われて、ハデスはキレた。
「仲良しに見えるか!?こいつ、俺がいじられるの嫌いって知ってて、いじってくる!ほんま、性格が悪い!」
「だまれ、ハデス。」クロウが睨む。
「ほらほら、喧嘩しないで。」と、アザゼルが仲裁に入った。
その時、呼び鈴が鳴った。
席を立とうとしたアザゼルに、「俺が行ってくる。」と、ハデスは言った。
「母さんだと思う。掃除の時、事件のこと、連絡したから。」
玄関を開けると、ハデスは、レイアに、無事でよかった!と、抱きしめられた。
寝ている魔物を起こさないように、ハデスとレイアは、静かに庭園を歩いた。
ケルベロスの真ん中の頭が起きていたから、鼻を触って挨拶していった。
屋敷の外の変わり果てた景色が、ハデスは、つらかった。
冥府は、すっかり、焼け野原。
「かわいそうに。」レイアが触れた途端、炭と化した桜の木に、閃光が宿った。
暖かい光が、冥府の地を覆っていく。
レイアの魔法で、大地が息を吹き返した。
桜は、満開に咲いて、濁っていたステュクス川は、清水に変わった。
ハデスは、ステュクス川のほとりに膝をついて、流れる水に手をのばす。
ステュクスの水は、柔らかくて、冷たかった。
ステュクスの水を飲んで交わした約束は、絶対に破れない。
何があっても、兄弟3人で、力をあわせて乗り越えていこう!と、ティタノマキアの後、ポセイドンとゼウスと、この水を飲んだ情景が、ハデスの脳裏に蘇った。
「ありがとう、母さん。」ハデスは、レイアをふり返る。
「どういたしまして。」レイアは、そう言うと、屋敷へ戻って行った。
レイアと行き違いで、クロウが、桜の並木道を歩いてくる。
川辺に来たクロウに、ハデスは言った。「おまえ、今回はやりすぎやぞ。」
「自分でも、そう思う。」と、クロウは、ため息をつく。
頭が冷静になって、クロウは、自分がしでかしたことに気づいた。
情けないけど、奈月の顔を見られなくて、逃げてきてしまった。
「奈月が帰るまでには、ちゃんと謝らないとな。」と、クロウは、水面に映る自分につぶやいた。
「ごめんね、クロウ。大怪我させちゃって。」ハデスが、ため息をつく。
「俺、みんなに助けられっぱなしで、結局、ひとりじゃ、なんもできらんかった。ほんと、頼りない王様だよね。もっと、がんばらなくちゃ。」
ハデスの言葉が、クロウは、嬉しかった。
前の主のクロノスには、こんなこと言われなかった。
仲間に支えられていることを、ハデスは、ちゃんと、わかってる。
だから、おまえについていきたいんだ。
「謝るのは、俺の方だよ。かってに反魂の契約を破って、おまえの顔に泥を塗ってさ。結局、クロノスと戦わせて、つらい思いさせるし。ごめん、ハデス。早々に氷漬けにされて、俺、役立たずだったよな。」
炎に囲まれているハデスをみつけた時、クロウは、怖かった。
もうこんなことにならないように、ずっと、そばで、俺が支えてみせる。
ハデスへの忠誠を誓って、クロウは、ステュクスの清水を飲んだ。
「クロウ?なにを誓ったの?」ハデスにきかれて、
「秘密。」と、クロウは、はぐらかす。
「今までどおりでいいよ。せめて、おまえは、やさしい王様でいてくれ。」
ハデスとクロウが戻ってきた時、庭園に、みんな集まっていた。
レイアが、魔道士たちと話している。
「今回の騒動の件で、また日を改めて、お礼させてください。」
「ちょっと待ってください……。」
耀は、魔法学研究所の住所を教えようと、スマホをとりだす。
その時、生暖かい風を感じた。ケルベロスの顔が、すぐ横にある。
うわぁ!と、驚いて逃げた耀を、ケルベロスは、鬼ごっこと思って追いかける。
ケルベロスの前足に
「博士……。」と、耀は、スマホを圭にわたした。
「これです。」と、圭は、レイアに、研究所の住所を見せた。
「魔道士くんたち、連絡先、交換しようよ!」と、ポセイドンが、輪に混ざった。
「あ、俺も。」と、ゼウスも、自分のスマホを持ってきた。
ハデス、アザゼル、スピリアも、魔道士たちと連絡先を交換している。
楽しそうに話しているみんなを、クロウは、遠目で見ていたけど、意を決して、声をかけた。
「クロウ?」と、奈月がふりかえる。
「奈月、ひどいことして、ほんとに悪かった。」
奈月は、クロウの誠心誠意な姿に、戸惑ってしまった。
謝ったって許してやらない!と、本当は思っていたけど、いざ、土下座されたら困った。
「顔をあげてよ、クロウ。」と、奈月は、膝をついて、クロウの肩に手を添えた。
クロウは、顔を伏せたまま。
「俺、ハデスを守ることで頭がいっぱいで、奈月にひどいことをしてる自覚がなかったんだ。ほんと、最低だよ。」
「俺だって、親友のためってなったら、悪魔になっちゃうかもしれない。クロウは、もう友達だし。友達を恨んだりしないよ。」
「許してくれるのか?」と、クロウが顔をあげる。
でも、奈月は、簡単に許すのもしゃくだった。
「ギター買って!」
「ギター?ギターでいいの?」クロウが、きょとんとしている。
「ねぇ、クロウも連絡先、教えてよ!」と、奈月は、スマホをだした。
ハデスは、魔道士たちに、冥界への正式ルートを教えた。
「いつでも遊びに来てね。これで、庭の門から入ってこられるよ。空から降ってこなくても。」
「よかった。もう、落ちなくていいんだ……。」と、耀は、ほっとした。
地上へ続く門へ足を踏み出そうとする耀に、ゼウスが声をかける。
「耀くん、またペガサス乗ろうね!」
奈月が、耀をふり向いた。耀は、わー!と、叫んで、手を振っている。
「おい、耀!?俺が死ぬ思いしてた時、まさか遊んでたのか!?」
「ごめん、成り行きで。」
俺、余計なこと言っちゃったかな……と、ゼウスは、はぐらかした。
「いつでも、天界に遊びに来てね!今度は、みんなでペガサス乗ろっか!」
「ペガサス乗りたい!」と、妃乃は、今すぐ乗せろみたいなテンション。
「あとで。」と、神龍が妃乃を連れて、門へ向かった。
魔道士たちが帰って、人間界のゲートが閉じる。
次に開いたのは、天界のゲート。
せめて、天界の景色だけでも見られたらいいのに………と、
アザゼルは、閃光を放つ門を見つめていた。
でも、天界の景色を見たら、絶対、帰りたくなるだろうし。
これはこれで、よかったのかも………。
ぼーっと門を眺めていたら、「帰りたい?」と、ゼウスにきかれた。
アザゼルは、言った。「今は、冥界が僕の家ですから。」
「ごめんな………。」そう言って、ゼウスは、光の門へ消えた。
「じゃ、またな。」と、ポセイドンが、手をふりながら門をくぐる。
「ハデス!たまには、帰ってくるんやで!」と、レイアも帰っていった。
ゲートが閉じた時、アザゼルの口から、ため息がもれた。
お客さんが帰った途端、興奮していた魔物たちは、おとなしくなった。
寝そべったり、花の匂いを嗅いだり、いつもどおり過ごしている。
クロウが、アザゼルの肩を叩く。「ここが、おまえのうちだよ。」
言葉を発する前に、アザゼルは、フェンリルに、顔をなめられた。
悲鳴をあげているアザゼルを、スピリアが、指差して笑っている。
ハデスは、星空を見上げた。思いがけず、エリュシオンの流れ星が見えた。
また誰かが、地上で、新しく生を受けたらしい。
「今夜も、エリュシオンの星、きれいだね。」
杖を握りしめて、ハデスは、つぶやいた。
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