第4話 冥府の担い手たち

 赤い魔法陣の先が未知の世界だとしても、魔法陣をくぐり抜けた直後に、パラシュートなしのスカイダイビングが待っているなんて、誰も想像してなかった。


暗闇の中を落ちていく。風圧がすごすぎて、息ができない。


耀の三日月、妃乃のクローバー、神龍の雪結晶。


暗闇に、3つの紋章魔法陣が光った。


自分の紋章魔法陣を描くと、浮遊魔法が発動する。


「死ぬかと思った……。」と、耀。「ふぅ、危なかった……。」と、妃乃。


神龍も、落下を免れてほっとした。まだ、心臓がバクバクしている。


そして、3人は気づいた。「あれ?博士は?」


耀たちは、落下する圭を、追いかける。


「博士!浮遊魔法!」と、耀が下に向かって叫ぶ。


「浮遊魔法!?」圭も、思い出した。


翼の紋章魔法陣が光った途端、落下の速度が弱まった。


圭が浮遊魔法を発動できたのは、地面にぶつかるギリギリ。


姿勢を立て直すひまがなくて、圭は、背中から、落っこちた。


「地面が、やわらかくて助かった……。」と、安堵あんどしていたら、


下で、獣のうなり声が聞こえた。


圭は、ふり落とされて、硬い地面にしりもちをついた。


頭が3つもある巨大な黒い犬が、見下ろしている。


よりによって、ケルベロスの上に、落っこちちゃうなんて………。


終わった……と、圭が悟った時、浮遊魔法発動中の耀が、


ふわふわ降りてきた。「博士、大丈夫ですか?」


耀くん、危ない!と、圭に言う暇はなかった。


秒で、耀がケルベロスに丸呑みにされた。


間近で見ていた妃乃と神龍が、絶句している。


けど、かわいそうな耀の心配をしている余裕はない。


妃乃、神龍、圭は、自分の命を守るので、精一杯だった。


荒い息遣いが背後に迫ってきたかと思うと、目と鼻の先で、ケルベロスの歯が、怖い音をたてて噛み合わさる。


「おいで!リー、ファイ、ロー!」


ケルベロスが、突然、誰かに呼ばれて去っていった。


ケルベロスが走っていったのは、アザレアに囲まれたあずま屋。


「何とじゃれてたの?」と、ケルベロスに話しかける青年は、変わった容姿だった。


髪が真っ白で、赤い目をしている。


魔道士たちと目が合って、白髪の青年も凍りついていた。


数秒間、固まった後、魔道士たちと青年は、わー!と、絶叫した。


「なに!?いきなり、誰!?」と、青年が、あとずさる。


頭上から、バサッ!と、翼が羽ばたく音が聞こえた。舞い降りたのは、純白の翼を持つ天使。


「アザゼル?空から、なにか降ってきたのが見えたんだけど……。」と、言いかけて、その女の天使は、妃乃、神龍、圭に気づいた。


「生きてる人間!?亡霊じゃない!?なぜ、ここに!?」


妃乃、神龍、圭は、まわりを見渡した。


自分たちがいるのは、色とりどりの花に囲まれた庭園。


大河のほとりにも、満開の桜並木がつづいている。


「え?ここ、ほんとに冥界?」妃乃が、きょとんとしている。


「そうだけど……。」と、青年がうなずく。


「君たち、どうして、空から降ってきたの?」金髪の女の天使がきいた。


赤い魔法陣をくぐってやってきた経緯を話している最中、妃乃、神龍、圭は、思い出した。


「耀は!?」


耀が食べられたときいて、青年が、「喰われた!?」と驚く。


「ぺってしなさい!ぺっ!」と、青年が、ケルベロスに吐きだすように言っていた時、桜の木の傍で、空間転移魔法陣が光った。


魔法陣から出てきたのは、耀。すっかり、ゲロまみれ。


「耀!」


駆け寄ってやりたいけど、妃乃たちは、名前を呼ぶしかできなかった。


巨大な白いオオカミに、においをかがれたことに驚いて、耀が、しりもちをつく。


「ミルク!」と、青年に呼ばれて、巨大なオオカミが耀から離れた。


つづいて、グリフォンとマンティコアが、庭園に舞い降りてくる。


「冥界へ、ようこそ。」と、青年が言った。


「僕は、アザゼル。冥府に仕える天使。先に言っておくけど、僕、アルビノなんだ。僕の髪が白くて、瞳が赤いのは、そのせいだからね。」


自己紹介につづけて、アザゼルは、魔物たちを紹介した。


「この子たちは、ペットだよ。グリフォンのシュガー、フェンリルのミルク、マンティコアのスコッチ。ケルベロスのリーとファイとロー。」


リー、ファイ、ローと、名前を呼ばれた順番に、ケルベロスの頭が、中央、向かって右、左と吠えた。


「私は、スピリア。かわゆーく、スッピーって呼んでね!」と、金髪の女の天使も自己紹介した。


「さぁ、こちらへ。」と、アザゼルが、魔道士たちを洋館へ促す。


「客間へ、案内します。ハデスも、すぐ来ると思う。今日の亡霊の分類は、終わったから。」


「亡霊の分類……?」耀が言った。


「死ぬ前に何をしたか、亡霊の経歴書に、全部、書いてあるんだ。それを参考に、エリュシオンかタルタロスに分ける。タルタロスに堕ちる人もいるけど、最終的には、みんな、あそこにいける。」


上を見て!と、アザゼルが、空を指差した。


耀、妃乃、神龍、圭は、空の美しさに息を呑んだ。


宝石箱をひっくり返したような星空が広がっている。


「すごい。こんなにたくさんの星、初めて見た。」耀は、つぶやく。


アザゼルが、言った。


「あの星は、全部、エリュシオンに昇った人たちの、命の炎なんだ。あ、今、流れ星が見えたでしょ?あれは、地上で新しく生を受けるために、冥界を旅立った人。ああやって、いつか、みんな、地上へ帰っていくんだよ。」


 アザゼルとスピリアのあとにつづいて、耀たちも洋館へ入った。


中に入ってきた耀たちを感知して、ランプの明かりが階段を昇っていく。


階段の踊り場には、赤毛の青年がいた。


「ハデス。」


アザゼルとスピリアは、赤毛の青年に、胸に手を添えて会釈する。


赤毛の青年が、きれいな刺繍が施された黒いローブをひるがえして、階段を降りてきた。


「ようこそ、冥界へ。」と、ハデスが、胸に手を添えて、あいさつする。


ハデスの手を見て、耀は驚いた。


血管が透けて見えるくらい、肌が白く透きとおっている。


最後に太陽の光を浴びたのは、いつなんだろう。


「話は客間で……。」と言いかけて、ハデスは、耀が放つ異臭に、鼻をつまんでしまった。


「ケルベロスに丸呑みにされちゃったの。」と、スピリアが事情を説明した。


ハデスが気の毒そうな顔で、耀を見ている。


「君は、先に、お風呂入らないとね。アザゼル、案内してあげて。」



 冥界に堕ちた途端、風呂に入ることになるなんて、耀は、思わなかった。


星空の下の露天風呂。


俺だけ、こんなに快適でいいのかな……と自問していると。


「耀、そろそろ、あがる?服は準備できたよ。」と、脱衣所から、アザゼルに呼ばれた。


着てきた服が、ちゃんと洗濯して乾かされてあった。


服を着て脱衣所を出ると、廊下に、アザゼルがいた。


「僕たちも行こう。みんな、客間で待ってるよ。」


洋館は、屋敷というより城みたいに広い。ひとりだったら、迷いそう。


無言で歩く耀を、「耀、もしかして緊張してる?」と、アザゼルが心配していた。


「無理もないか。ケルベロスに食べられちゃって、びっくりしたよね。そんな身構えないで。僕たちは、人間を襲ったりしない。ハデスも、優しいから。庭に咲いてたアザレア、きれいだったでしょ?あれは、ハデスが僕のために植えてくれたんだ。タイタン族の出身だからって、ハデスは、いばったりしないから。」


「タイタン族……?」


「この世界を創造した神様の末裔。ウラノス、ガイア、クロノス。どこかで、名前をきいたことない?」


「きいたことはあるけど。西洋絵画とかで……。」


「大地の女神ガイアが、混沌から生まれて。天空神ウラノスが、天を切り開いて。神話を全部話すと長くなるからやめておこう。要するに、僕らが生きてる世界をつくったのが、タイタン族ってわけ。」


着いたよ!と、アザゼルが立ち止まった。


アザゼルが、ノックして、ドアを開ける。


テーブルを囲むソファーに、みんなが座っていた。


耀も、アザゼルと並んで、あいている所に座る。


スピリアの背中に、さっきあったはずの翼がなかった。


「翼は!?」と、驚く耀に、「魔法でしまってるよ。」と、スピリアは話す。


「翼は邪魔になるから、天使は、普段、翼をはやした状態で生活しないの。」


スピリアの隣には、ハデスが座っている。


ハデスは、座っていても姿勢がよくて、どことなく気品がある。


最初に、ハデスは謝罪した。


「うちの死神が、本当に、申し訳ありませんでした。」


奈月の誘拐は、クロウの独断で、ハデスの命令じゃなかった。


「奈月くんは、すぐにお返しします。でも、その後が問題で……。」


ハデスの話をきいていると、魔道士たちは、自分たちが、まずい状況におかれていることを察した。


帰れない!?と、発狂した耀を、おちついて!と、アザゼルがなだめた。


ハデスの杖は、紛失しているらしく。その杖がないと、地上への帰り道をつなげないらしい。


「杖が紛失?」妃乃が、首をかしげている。


「なんか、ぴんとこない。杖は、魔力を圧縮して、一時的に、目に見えるカタチにしたものでしょ?念じれば、いつでも出せるはずじゃない?」


「僕らの杖は、そうだけど。」


アザゼルが、自分の杖を手に出して、ぱっと消した。


「ハデスの杖は、特別なんだ。海を斬り裂く三又の矛・トライデント、雷を呼ぶ槍・ライトニングボルトと同じで、タイタン族の秘宝のひとつなんだよ。」


「つまり、奈月を助けたところで、杖がハデスの手元に戻るまで、俺たち帰れないってわけか……。」


神龍が、ため息をつく。


「どんな杖なんですか?」と、圭が、ハデスにきいた。


「水晶玉がついた、150cmくらいの銀の杖です。」


「ハデス、ほんとに置き忘れじゃないんだよね?」アザゼルが確認する。


「そうそう。ケータイは、ぽいっておくじゃん。」と、スピリア。


「絶対にない!俺やって、あんなデカい杖、置き忘れたりせぇへんわ!」


ハデスは、アザゼルとスピリアには、くだけた口調で話している。タイタン族のハデスの言葉には、独特のなまりがあった。


「ちゃんと部屋にあったよ。寝る前に確認したし。朝、起きたらなくなってたんやって。」


ハデスは、それしか言えなかった。


やっぱり、最後に見たのは、自分の部屋。なんで、みつからないんだろう。


部屋という部屋を探しまくったけど、どこにもないし………。


そうやって考え込んでいるハデスの耳に、アザゼルとスピリアの声がとどく。


ふたりとも、杖を盗んだ犯人がクロウと決めつけていた。


「牢獄だけじゃない。ハデスの杖は、悪魔の門の鍵にもなってる。乱用される前に、クロウからとりかえさないと。もしも、アンデッドが冥府に溢れたりしたら、超めんどくさいことになるよ。」


「奈月くんをさらって、ハデスの杖をかってに持って行ったってことは。もしかして、クロウは、タルタロスの牢獄を開けるつもり?なに考えてるんだろーね。」


ちょっと!?と、ハデスは、ふたりの会話に割り込んだ。


「クロウが俺の杖を盗んだって?クロウは、知らないって言ってたよ。ゴーストがいたずらして、杖を隠したのかもしれないし。」


「ハデス……。」と、アザゼルが、ため息をついた。


「もうクロウしかいないでしょ。クロウの暴走のせいで、魔道士が冥界に来てるんだよ。杖を持ってるのも、クロウだよ。」


本当は、ハデスも、わかっていた。けど、認めたくなかった。


「俺、クロウと話してくる!」と、ハデスは、ドアへ駆けだす。


「ハデス、待って!」と、あとを追って、アザゼルも、客間を出た。


とり残された魔道士たちが、きょとんとしている。


行っちゃったね!と、スピリアが、肩をすくめた。耀が言う。


「なんか、怖いこと言ってなかった?アンデッドとか、牢獄とか聞こえたけど?」


「うーん。どっから、説明しようかな……。」と、スピリアは困っていた。


「冥界の最下層には、タルタロスがいるの。タルタロスは奈落だけど、意思があるの、ややこしいけど。生きてる奈落がタルタロスって考えてもらえたら。タルタロスは、強固な牢獄を持ってて。タルタロスに堕とされた亡霊は、その牢獄に入れられるの。牢獄のロックは、基本的に、ハデスしか解除できない。もしも牢獄をハデス以外の人が開けるってなったら、ハデスの杖の他に、宝玉も必要になる。」


「宝玉……?」と、魔道士たちは、馴染みがない言葉を復唱した。


スピリアが、説明をつづける。


「強い輝きを宿す、ごく一部の命を宝玉って、私たちは呼んでるの。先代のクロノスの時は、私たちでも牢獄を開けられたんだけど、ハデスが王様になってから、ロックが厳重になっちゃって。宝玉の光、つまり、奈月くんの命が宿す特別な輝きがないと、私たちには、牢獄を覆ってる闇の層を晴らせない。たぶん、クロウは、ハデスに秘密で、こっそり牢獄を開けたくて、奈月くんを誘拐したんじゃないかな。なんでかは、わからないけど。」


圭の口から、ため息が漏れた。「話は、だいたい、わかったよ。」


でも、よりによって、どうして奈月が、その宝玉なんだ。

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