第7話 美広の覚悟

 戦闘翌日の土曜日、小春は再び千祟家でお昼ご飯をご馳走になっていた。やはり吸血の翌日は体調が芳しくなく、自宅に帰る元気がなかったのだ。


「今日もご馳走していただきありがとうございます」


 昼食の後、小春は皿洗いを手伝って美広とキッチンで並ぶ。


「いえいえ。わたしの方こそ千秋ちゃんの応援をしてくれる赤時さんには感謝しなければなりません」


「千秋ちゃんは命の恩人ですから、これくらいなんともないです」


 もし千秋があの廃旅館に来てくれなければ、先日の金城一派による被害者のように血を抜かれた挙句、傀儡吸血姫として再利用されていたことだろう。


「ふふ、千秋ちゃんにいい友人ができて良かったです」


 優しい笑顔で呟く美広は千秋の事を真に想っていて、本当の母親なのではないかと思えるほどだ。

 そんな美広を見て、フと疑問に感じたことを訊いてみる。


「あの・・・私がこんな事を訊くのはヘンかもしれないですけど、千祟真広さんってどんな方だったんですか?」

 

 千秋の実の親である真広についてどんな人物なのかを知りたくなったのだ。千祟家のいざこざに首を突っ込んでも仕方ないのだが、吸血姫の世界に関わる以上は避けて通れない話題ではある。


「姉のことを千秋ちゃんに聞いたんですね」


 真広という名前に美広は寂し気な顔をする。実の姉である真広のことは今でも案じているらしい。


「姉は厳しくも優しさのある吸血姫で、共存派を導こうとする彼女は私にとって自慢の存在でした。それは千秋ちゃんにとっても同じで、きっと裏切られたという気持ちが強いんでしょう。今の千秋ちゃんの中では千祟真広は仇敵のようになって敵意の向く先なのです」


 前に千秋は裏切らないよねという小春の問いに対し、当然だと力強く答えた。裏切るという行為そのものに憎しみを抱いているからこその強い返答だったのだろう。


「親子で敵対しなければならないなんて、何故こんな・・・これも吸血姫として産まれた定めなのか・・・・・・・でも、一つだけはっきりしていることがあります」


「それはなんです?」


「例え姉が敵になろうとも、わたしは千秋ちゃんの味方をするということです。確かにわたしの実の子供ではありません。でも、わたしは千秋ちゃんを本当の子供として愛していますし、あの娘のためなら・・・姉と刺し違える覚悟だってあります」


 それが冗談ではなく真実の言葉だと理解できた。子を想う親の覚悟というものを見せつけられたのだ。


「まあわたしは戦場に出ることがないのですけれど・・・・・・なのでこんなお願いをするのも図々しいかもですが、千秋ちゃんをどうか宜しくお願いします。仲良くしていただければ、それだけでも嬉しいのです」


 千秋には共存派の友軍はいるが心を開いている相手はいない。朱音とは何度も戦場を共にしているけれども友人関係とは言えなかった。それは千秋が一方的に心を閉ざしているためで、朱音の方は歩み寄ろうとしているのだが。


「勿論です。千秋ちゃんは私にとっても大切な友達です」


 出会ってまだ一週間ほどで、お互いを詳しく知っているとは言えない。しかし他の友達とは違う、特別な友達だと言うことはできる。この短期間の間でそれほどの感情を千秋に向けているのだ。

 千秋はキッチンの近くで食器を持ちながら二人の会話を聞き静かに小さな涙を流す。それは悲しい涙ではなく、幸せを実感しての涙であった。






 そんな平和なお昼過ぎに一本の電話が鳴り響く。着信のメロディを鳴らすのは美広のスマートフォンで、またしても休日出勤を要請されたらしい。


「二人とも・・・就職先はよく選んだほうがいいわよ・・・・・・」


 玄関を開けて職場へと出撃する美広はそう呟き、陽の光の中へと消えていった。


「美広さん・・・大変そうだね」


「ええ。転職を勧めているのだけど、自分が辞めると皆に迷惑がかかるからって・・・・・・」


「日本社会に染まり切った吸血姫・・・・・・」


 もはや会社が倒産するくらいしか美広は手を引かなそうだ。責任感があると言えば聞こえはいいが、自分の身のことも案じてほしいと千秋は思う。

 

「でもお母さんが行ってしまったから、家までどうやって帰る?」


「そうか・・・ここからだと私の家まで遠いし、自転車もないから厳しいな」


 バスに乗るという手もあるが小春の家は街から離れているため路線が繋がっておらず、結局は結構な距離を歩かなくてはならない。


「それなら、ここに泊まるというのはどうかしら? お母さんはいつ帰れるか分からないし、ならいっそ交流を深めるというのもイイと思うのだけれど!!」


 詰め寄るように提案する千秋。普段人と接することが少ないため、緊張して少々ヘンな誘い方になってしまう。


「そうしようかな。千秋ちゃんと遊ぶ時間が欲しかったし」


「そうなの!?」


「うん。戦場と学校だけじゃなくてさ、こうして自由時間にも一緒に居れたらなって」


 小春がまるで天使に見えた。吸血姫という魔の存在が聖なる存在を連想するのもどうかと思うが、初めて人間で好意を抱けた相手であるのだから仕方ない。

 美広を見送り、小春は再び千秋の部屋へと入ってよく観察してみる。


「やっぱりアニメとかが好きなんだね?」


「そうね。前にいった通り、そのために戦っているといってもいいくらいよ」


 大きな本棚にはいくつかのグッズやアニメのブルーレイ、漫画が仕舞われている。これらを合計すると割と値段が張りそうだ。


「これはお母さんの負担にならないよう、自分の貯金から出したの」


 小春の心中を察してか、千秋はブルーレイを取り出しつつそう言う。


「千祟家は他の吸血姫から献上品や寄付を貰っていたのよ。で、私にも分け前があってそれをお小遣いとして使っているの」


「美広さんはそういうの貰ってないの?」


「真広が過激派となってからは千祟家を信奉する者達もそちら側に付いたから、今の共存派に千祟家を持ち上げる者はいないわ。私としても家柄で特別扱いされるのは嫌だったから、これで良かったのよ」


 それに千祟美広は良くも悪くも存在感が薄く、真広のように支持を集めることはなかった。そのため姉の家庭に比べて平凡な暮らしをしている。


「これ、小春も観ていたんでしょう?」


 千秋が示したのは”ユメクイ”というタイトルが付いたアニメのブルーレイで、主人公の少女が悪霊と戦うという作品だ。小春が通学鞄に付けているキーホルダーのキャラはこのアニメに登場するもので、それを千秋が目ざとく見つけていた。


「うん。悪霊退治する女の子達がカッコイイんだこれが。私もあんな風に戦えたらなあ。そうすれば千秋ちゃんを助けることもできるのに」


「小春は居てくれるだけで私の助けになっているわよ」

 

 実際フェイバーブラッド持ちが近くに居るというだけで心強い。戦場では補給の手段に乏しく、実際リスクを冒してまで来てくれる小春のおかげで金城を倒すことができたのだ。


「えへへ、そうかな?」


「ええ。さあ、一緒に観ましょう」


 テレビ台下のデッキにブルーレイをセットし、二人は好きなアニメの鑑賞を始める。非日常の世界を抜けて、こうやってありきたりな日常を楽しめる今を千秋は大切にしたいと思うのだった。






 週明けの登校日、千秋はまだ誰もいない教室に鞄を置いて屋上に向かう。彼女がこんな早く登校していることに意味は無く、ただのルーティンである。

 立ち入り禁止の看板をスルーし、扉を開いて屋上の真ん中に放置されたいくつかの椅子から一つを引っ張り出した。多少汚れているが手で適当に払い腰を降ろす。

 

「いい空気ね・・・・・・」


 夏という季節自体は嫌いなのだが朝の空気感だけは好きだった。だから強めの日光が肌を焼こうとも、こうしてゆったりとした時間をここで過ごしている。


「おっ、やっぱりここに居たか」


「・・・相田さん、何か用?」


 ガチャッと無遠慮に扉を開いてきたのは朱音だった。相変わらず乱れた服装と金髪なのだが、これを注意する教師はいない。何故なら何か言われそうになれば催眠術で追い払っているからだ。それはそれで面倒とはいえ、ファッションは大事にしていきたい朱音の意地が垣間見える。


「いや特に用はないんだけど、鞄が教室にあったから多分ここに居るかなあって。それより・・・・・・」


 朱音は千秋に顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎはじめた。


「ちょっと、なんなの?」


 千秋はあからさまに嫌そうな表情で朱音から遠ざかる。他人にそんな事をされて嬉しがる者は少なく、これは普通の反応だろう。


「ちーちから赤時さんの匂いがする・・・・・・」


「えっ、本当に?」


「結構するよ。もしかして・・・セックスした!?」


「は!? なわけないでしょう!!」


 真っ赤になって大声で反論する千秋。


「土日に私の家に小春が泊まったの。きっとそれでよ」


「泊まり!? そんなんもうヤルことと言ったらセックスじゃん!!」


「はあ・・・・・・アンタみたいな性欲まみれの吸血姫と一緒にしないでちょうだい・・・・・・」


 呆れて物も言えない千秋はため息をついてうな垂れる。朱音はこれまで沢山の女性に手を出してきたわけだが、それと一緒にしてほしくなかった。


「アタシは欲求に忠実に生きているわけさ。吸血姫はヒトよりも淫欲が強いわけだし、それはちーちも同じだろ?」


「どうでもいいけど、犯罪だけは犯さないように」


「これでも清廉潔白だよ。間違っても拒否する相手を無理に誘わないし、催眠術も使わないしさ」


「清廉という言葉の意味を辞書で調べてきたほうがいいわね」


 清らかもへったくれもないのだぞと視線でも訴えるが、朱音は首を傾げているだけだ。

 そんな不毛なやり取りをしている中、再び屋上の扉が開かれる。こんなところに来る人間など滅多にいるわけでもなく千秋達は会話を止めてそちらに顔を向けた。


「アナタ達、ここは立ち入り禁止だと言われませんでしたか?」


 現れたのは女子生徒で、まさに清楚という言葉が似合う立ち居振る舞いをしている。


「ちぇっ・・・生徒会長かよ」


 よく見るとその少女は腕に生徒会の腕章を付けており、いかにも生徒会長っぽい上品な仕草で腕を組んで朱音に目をやる。


「まったく、アナタは校則を守る気はないようですわね。散々注意してますのに、なんですかその制服の着方は」


「いいだろ別にさ」


「先生方を催眠術でごまかしても、ワタクシをごまかすことはできませんわよ」


「だろうな。なんてったって吸血姫には催眠は効かないからな」


「ふふ・・・そうですわ。効きませんわね」


 吸血姫特有の赤目を細め、薄気味悪い笑みで呟きながら生徒会長はゆっくりと千秋達に歩み寄る。


「アナタ達、この前も工場地帯で暴れまわったようですわね」


「耳がお早いことで」


「一体どんな戦いだったのか、聞かせてもらえますかしら?」


「アンタには関係ないことだろ。過激派にも共存派にも属さない界同世薙(かいどう よなぎ)にはさ」


 世薙は吸血姫なのにどちらの派閥にも所属せずただ静観しているだけであった。そんな彼女を朱音も千秋も信頼などしておらず、どちらかというと関わりたくない相手だ。


「あら手厳しいですわ」


「だってそうだろ? 自分を犠牲にして戦えないヤツにはさ。だいたいアンタはどっちの味方なんだ?」


「味方、という概念はありませんわ。ワタクシは自らの手を汚して戦うなんてイヤですし、そもそも吸血姫としては弱いので」


「だったら引っ込んでな」


「では退散するとしますわ。でも、あまりやり過ぎないほうがいいですわよ。いずれ自分達の首を絞める事になりかねませんから」


 それだけ言い残して世薙は屋上を去った。


「ったく、なんなんだアイツは」


「さあ? にしても生徒会長のことがよほど嫌いなのね、アナタは」


「生徒会長を名乗るクセに生徒を守る気持ちなんかありはしないんだぞ? 不気味だし何考えているか分からないしさ」


「確かにね。それに比べてアナタは気に入った女子に手を出すことしか考えていないから単純でいいわね」


「ははっ、そう褒めるなって」


 褒めてないわよと言おうとして止めた。


 この世界には様々な吸血姫がいる。千秋や朱音のように人と生きる道を選んだ者、真広のように人を家畜にしようとする者、そして世薙のように我関せずな態度を取る者。

 それらの吸血姫の中で、真の勝者となるのはどの勢力なのか。まだ、戦いは混迷を極めて先は見えない。


     -続く-

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