第7話:春お兄ちゃん

 お兄ちゃんの話を聞いて、あることを思った。小学生の頃から一人で暮らしていたというけれど、お兄ちゃんは平気だったんだろうか。


 私は両親に捨てられて、すごく悲しくなったし、苦しくなった。夏美さんに一度引き取られたとはいえ、あの時はもうどうしたらいいのかもわからなくなった。


 お兄ちゃんは、お父さんを亡くして、お母さん…夏美さんは海外に転勤して、一人になったとき、寂しくはなかったのか。苦しくはなかったのか。

 今はもう乗り切ったと、以前は言ったけど。

 その当時はどうだったのだろう。

 聞いてみたくなった。


「春お兄ちゃん」

「うん? 何?」

「……春お兄ちゃんは、寂しくなかったの?」

「ん……そうだなぁ」


 ちょっと言葉足らずだったけど、汲み取ってくれたのか、少し考えた後、春お兄ちゃんは苦笑いしながら言った。


「寂しかったし、辛かったかな。流石に、まだ小学生だったしね。そう簡単に、気持ちの整理なんて付かなかったよ」


 ……少し意外だ。


 そう思った。なんだかんだ、春お兄ちゃんはそういうのを隠すタイプの人だと思ってたけど、素直に教えてくれたから。


「どうやって、乗り越えたの」

「う~ん……特に特別なことはしてないかなぁ。辛くて毎日泣いてたけど、そのうち自然とそういったことは無くなった。時間が解決してくれたってところかな」

「……そっか」

「ただ……その頃から思ってたことがあるんだ」

「思ってたこと?」

「うん。人って、生きている以上は、死ぬこともあるし、そうでなくとも、別れは必ずやってくる。だからこそ、限られた時間の中で、たくさんの思い出を作って、繋がりを深める。最後は別れても、いつか笑ってそういうことがあったなって言えるようにね」

「――――――」


 私は思わず固まったまま、春お兄ちゃんを見ていた。


 ――そっか、春お兄ちゃんは、子供のころから、大人だったんだ。


 おおよそ小学生が考えるようなことでは無いだろう。それは、私でさえそう思うのだから、大人の人が聞いても同じことを思うだろう。春お兄ちゃんは小学生の頃から達観していたんだ。それが良いことかは分からないけど、少なくともその考え方が、春お兄ちゃんを支えたのかもしれない。


(私には出来ないな……)


 もし春お兄ちゃんの話の中に、今の私が参考に出来ることがあったなら。

 もしかしたら、私の中にある暗い感情をどうにか出来たかも知れない。


 けれど……。


「まあでも、それはあくまで俺個人の考え方で、六花までそう思う必要はないよ」

「……え?」

「俺の事を参考にして、今を乗り越えなきゃ…とか思ってない?」

「……………エスパー?」


 どうしてわかったのだろうか。まさか本当に……。


「まさか、顔に出てたよ。六花って案外わかりやすいことが最近わかってきたし」


 違かった。


「私って、そんなにわかりやすい?」

「あんまり表情には出ないけど、何となく雰囲気で」

「……そう」

「ふふっ。……それでね、話を戻すけど。今無理に乗り越える必要は無いんだよ。もちろん、乗り越えたなら良いことではあるけれど」

「……どうして?」

「…そういうのって、無理にやろうとすると、むしろどんどん悪い方に転がって行っちゃうから。だから、ゆっくりでいいんだよ」

「…でも」

「大丈夫。俺はずっとここに居るし、六花の家族でいるから。だから、焦っちゃだめだよ」


 ……本当に、春お兄ちゃんは何でもお見通しなのだろうか。それとも私が分かりやすすぎるだけ? いずれにしても、私が考えてることを全部当てて、私が言って欲しい言葉をいつも言ってくれる。


 ―――ああ、そっか。それは春お兄ちゃん自身が経験したことだから。


 多分だけど、今の私の気持ちを理解しているのだろう。だからこそ、こうして優しくしてくれるし、あまり触れてほしくないことには、触れないのだろう。

 そう考えれば、私はなんて……。


「……春お兄ちゃん」

「ん?」

「…もう少しだけ、お話してもいい?」

「…うん、いいよ。けどこれ以上は冷えちゃうから、毛布とか持ってこないと」

「………ううん、いい」


 私はいそいそと春お兄ちゃんの布団に潜り、顔だけ布団から出して。


「こうするから、大丈夫」

「……………え」

「一緒に、寝よ?」


 そう言うと、春お兄ちゃんは固まった。私もちょっと恥ずかしいけど、今はそれよりも、もっと春お兄ちゃんとお話をしたいから。


「えっと…」

「ダメ?」


 ずるいかなって思ったけど、私は上目遣いで言った。


「うっ。……今日だけ、だぞ」

「うん」


 布団を少し開けて、春お兄ちゃんを中に入れる。春お兄ちゃんが中に入ると、お互い仰向けになった。

 ……流石に向き合うのは、恥ずかしすぎて死んじゃうから。


 その後も春お兄ちゃんとお話をしていたが、私はいつの間にか眠っていた。



 ―――翌日。

 お昼休み、私は昨日の事で亜美ちゃんと千里ちゃんから聞かれていた。


「それで、お兄さんのこと、何か分かった?」

「うん」

「どんな人なのか、聞いてもいい?」

「えッとね……お兄ちゃんは、生徒会長で、みんなに慕われていて、とても頭が良くて……子供の頃から大人だった人」

「子供のころから、大人? どういうこと?」

「ん……そこは、秘密」

「あうっ。気になるけど、仕方ないか~」

「ふふっ。でも六花ちゃん、聞けて良かったね」

「うん」


 二人は笑ってそう言ってくれた。そんな二人を見て、やはり思う。


 ……私は。


「………? 六花ちゃん、どうかした?」

「あ、ううん。何でもない。それより、そろそろ教室戻らないと、授業遅れちゃうよ」

「あ! ほんとだ! 急ご、二人とも!」


 ビュンッと勢いよく走って行く千里ちゃん。私達も置いて行かれないよう走って行く。


「ま、待ってよ、千里ちゃ~ん!」

「……千里ちゃん、足速いね」

「運動神経だけはいいんだよ~……はぁ…はぁ」

「聞こえてるよー! 誰が脳筋だって~⁉」

「いや、そこまで言ってない」


 耳が良いんだかそうでないのだかわからないけど、元気な千里ちゃんらしいと思う。


「逆に亜美ちゃんは苦手そうだね」

「そ、そうなの。勉強ばかりしてきたから……はぁ…はぁ。六花ちゃん…平気そうだね」

「ん。私も運動は嫌いじゃないから」


 得意かどうかはわからないけど。


「いいなぁ。私も体力付けた方がいいのかなぁ」

「あって損は無いと思うよ」

「う~、頑張ります~」

「………ふふ」


 私はこの時、久しぶりに、少しだけ笑った。



 ―――放課後、家に帰って玄関の前に立つ。

 今日はあらかじめ、春お兄ちゃんが早めに帰ってくる聞いていた。そのため、おそらくもう家に居るだろう。

 実を言えば、春お兄ちゃんが家にいる時に、私が後から帰ってくる状況は今までなかったので、「ただいま」を言う機会が無かった。そのせいか、今少し緊張している。


(いや、家に帰るのに緊張する必要ないのに)


 今更春お兄ちゃんに緊張しているわけじゃない。ただ、どうしてもアメリカに居たときのことを思い出す。「ただいま」を言っても、何も返ってこなかった毎日を。


(春お兄ちゃんも、最初はこんな気持ちだったのかな)


 私は決心して、ドアを開ける。鍵は開いていたので、すんなり開く。中へ入ってリビングに行くと、春お兄ちゃんが既にキッチンで夕食の準備をしているのが見えた。


「………春お兄ちゃん」

「わっ。あ、ああ六花。帰ってたの?」

「うん………あの」

「ん?」


 春お兄ちゃんの顔を見て、私はついに言った。


「た…ただいま」

「―――。おかえり、六花」


 柔らかい声で、優しい表情で、春お兄ちゃんは言ってくれた。それがとても嬉しくて、過去の事なんて、吹き飛んだかのように思えて。


「………えへへ」

「ん、どうしたの?」

「ううん、何でもない………えへへ」

「…その割には、笑ってるけど」


 私はまた笑った。多分今、結構だらしない顔をしていると思う。けど止まらなかった。


 やはり私は思う。


 私は幸せ者だ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る