怪物は寄り添いたい

 彼女の受継ぐ「魔法」の本質は、「発信」なのだろう。

 感情および情景の伝播。同一心象を想起させる共感覚の伝染。彼女が皆伝できなかったと悔やむ魔法は、彼女の無自覚のうちに発現していた。


 彼女は俺を案じていた。一切恨んでなどいない――理解させられ、安堵した自分を殺したくなる。大事なときに邪魔な罪悪感が出たせいで彼女の気が逸れた。

「……気持ちは伝わった。だからもう、心配しなくていい」

 彼女は青ざめたまま眉を下げる。「よかった」と呟いた。良くない。

 傷を暴かれて震えながら、どうして俺の心配なんかした。

 加害を受けていた頃もそうだ。どうして兄の心配なんかしていた。自分が辛い目に遭っていることも知らず幸せに暮らす兄へ逆恨みでもあった方が健全だ。

「身体、まだ辛いだろう。寄りかかってくれ」

 俺が精神外傷に触れたせいで顔が青い。心拍も呼吸も乱れたままだ。

 彼女がふるりと首を振り、立ち上がろうとして足元を崩す――抱きとめて背中をさする。

「……悪かった。痛くして」

「嫌だ」と言う声を無視した。無為に外傷を抉り、痛めつけただけだった。自分の勝手で機会を逃して、彼女の温情に甘えて自分だけ楽になった。最低だ。

「……痛い、というより、気持ちが悪いです。マキさんが虹色に見えます」

「もう眠ったほうがいい」

 術で鎮静するべきか検討しながら寝台に横たえ毛布で埋める。

 珈琲を持ってこようと離れかけ、衣服の裾を掴まれた。

「……まだ寝たくないです。時間をください」

「また明日、落ち着いてから考えたらいい」

「いま、落ち着かない原因に向き合わなければならないんでしょう。だから貴方は踏み込んでくれた」

 その通りだが、壊れてしまっては意味が無いだろう。

 彼女はどうも耐久限界を分かっていない。「必要ならば仕方ない」の裁量が不可解なほど大きく、目的達成の為ならどれほど自分が損なわれても徹底的に戦い続ける。

 当然だ。そうして彼女は生きてきた――そうでなければ生きられなかった。

 もう限界だろう。休ませなければと術式を組む最中、彼女の催促が強くなる。

「……答えが出ないんです。……知ってたら、教えてくれませんか。マキさん」

 やっと伸ばしてくれた手を、振り払うことなど出来なかった。


 裾を掴む、小さな手を握った。冷えた指先に熱を分ける。

 俺の声が届いたなら、彼女が受け取ってくれたのなら。ただの苦痛で終わらせたくない。

「聞かせてほしい。俺が答えを持たなくても、一緒に考えるから」


 俺が答えられたことはわずかだった。明確な答えも出なかった。

 納得できないことは許さなくていいし、折り合いをつける必要も無い。けれど彼女は苦しいままだ。治らない傷の痛みを和らげることしか出来ない――何の解決策ももたらせず語り明かして、それでも彼女は落ち着いた。激情をあらわした一瞬など幻に思えるほど。

「いいんですよマキさん。もう、私に付き合わなくて」

 憑き物が落ちた微笑でそんな事まで言い出したので速やかに思考過程を問い詰めた。

 俺が彼女に関わる動機は、虐待を傍観していた罪悪感のみだと認識されていた。薄々解っていても痛いものは痛い。「居させて欲しい」と交渉すると、彼女の表情が冷たくなる。

「先程は適当仰っただけで、まだお分かりでないと」

「お分かりだ」頼むから自分の心配をしてくれ。

 彼女が自分を道具モノだと自認するのは、精神外傷から心を守るための防衛策だ。それはいい。彼女の命が一番大事なのだから。

 けれどその防衛策は、彼女が自身を思いやる事とは対立しない。他者から愛されることとも、同様に。

「……大事にさせてほしい。俺の我儘で傍に居たいんだ。嫌だろうか」

 彼女が俺の罪科を下ろしてくれた今、残る理由は好意だけだ。

 苦痛を和らげたい。本音を言えば笑顔にしたいし幸せにしたい。少なくとも、彼女自身に価値があると信じてもらえるまでは傍に居たかった。


 彼女の反応が困惑の辺り、おおかた友愛の延長くらいに解釈されている気はするが。

「……世の人間大なり小なり傷持ちですし逐一それでは身が持ちませんよ。放っといても生きてられる野良の世話焼かなくても」

「傷があるから世話を焼くのは違う。大事にしたい相手の苦痛に寄り添いたいと言っている。おかしいか」

「……おかしいというか、……おかしいですけど…………」

「何がおかしい」

「お友達の辺りから長いこと不可解なままです」そこからか。

 彼女は眉根を寄せて長考した。自分から差し出せる見返りでも検討しているのだろう。この時点で俺の恋慕は全く理解されていないことが解るが承知の上だ。

 彼女がそれを解さなくても構わない。自尊心を育てる為の補助と、悪意の排除が出来ればいい。

「……親愛でなら対応可能です。それ以外は解りません。損害請求や契約破棄は随時お願いします。ご了承頂けるなら申し上げることは、」

――彼女の情動はどうあれ、拒絶されないことが嬉しかった。

 無意識に手を伸ばしていて、彼女が素早く身を退く。

「……マキさん、親しみが身体接触にあらわれる人種ですか?」

「……ああ、まあ……多少、」

「……解りました、考慮します。……私はあまり好みませんが、手だけは出さないよう心得ます」

 我慢せず殴ってほしいと頼み、引かれた。

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