彼女は疑う②
師匠はおそらく回答を待っていた。
さらしを巻き直しながら思い当たる「変化」は、私の心境ではないが。
「最近、私が怪我をしていると、私よりも痛そうな顔をする方がいるんです」
薬が匂うかと処置を変えても的確に当てる。嘘も看破されてお終いだ。
話を流して誤魔化せば、傷を見ていたどんな時より辛そうな表情をする。
けれど彼は理由を言わない。あやすのも違うだろう、愚図りもしない男性相手に。泣く子の相手も苦手の部類で、幾ら考えたところで痛がる原因もわからないときた。
だからどうにも面倒で、傷を作らない立ち回りが増えたかもしれない。
師匠はつまらなそうな顔をしている。興味が無いのになぜ聞いた。
「女?」「たしか男性でしたかと」「そう。おおかた、君の性別も知ってる奴か」「師匠、面識がお有りで?」「んなわけないだろ」見透かしているのではないのか。
「ふ――ん。へー……そう、頭のおかしな奴がいたもんだね。……それとも、同情と恋情の違いも分からない馬鹿か」
「……嫌いなもの無理に食べさせられた子どもみたいな顔やめてください。師匠の要求ありきで提供した話題だと痛って、」
「覚えておきな。思い出すのは君が気付いた時でいい」
弾かれた額を押さえて見上げると、師匠の碧眼がすぐそばにあった。
「不幸な境遇の人間哀れんで『善人の自分』に酔うクソは山ほどいる。そいつらが好きなのは『ゴミにも目を掛けてやる優しい自分様』だ。消費される前に縁切れ」
「はあ、……そういうご趣味の方だったら、既に幾らでもしてると思いますが……」
汚い、臭い、気持ち悪いの三重苦ぐらいは覚えがある。
師匠は黙ったまま珍しい顔色に変わっていた。かなり昔、売り言葉に買い言葉を実行に移して虫菓子を
「……あのさあ。……まさか、その男」
「はい。一年……あったか解りませんが、屋根裏にほぼ日参でいらっしゃいました。言いたければ、いつでも好き放題に言えたことです」
彼は憐れみもせず、怒りもせず。私が受ける虐待を平静に眺めていた。
森で会っていた頃と似たような無機質だった。書籍の理解に
彼の知る限り、把握している限りのことで私の質問に答えてくれた。
あれは何だったのか時おり考えるが、それらしき理由を見つけた試しはない。
師匠は気味悪いほど静かだ。ひとことだけ、やっと言葉にする。
「どちらにせよマトモじゃねぇだろ、そいつ」
師匠とサク殿が友達なのはああいう所だろう。案外優しいところがある点はさて置き。
マキさんは私に良心的な支援をしてくれた。感染症や飢餓を遠ざけ、知恵や教養を蓄えられたのは彼の力添えあってのことだ。野良猫に餌でもやる感覚なのか。それにしては情けが介在しない、湿気が少なく居心地よい距離感だった。
兄の生活ぶりを確認し、母の遺言まで届けてくれた。彼と母の接点が不明ゆえ真偽は疑ったが、
求めるものを与えてくれた彼は紛れもなく恩人である。常に不可解で、浮世離れして、得体の知れない人だったけれど、まあ来るなら動機があったのだろうし、理由が無くなったから来なくなった。
私と彼の関係はそれだけだ。
「俺はずっと、お前に、『助けて』と言って欲しかった」
だから貴方が、そんな戯れ言を口にするとは思っていなかった。
私のことは私が決める。責も持つ。彼に左右されるモノでも、まして委ねた覚えもない。
彼の意図こそ知らないが、少なくとも干渉しない立場でいただろう――この人は誰だ。何を考えてる。何故その発言に至った。
考えづらい可能性でも、有り得ないことはない。再会してからの彼は、昔よりも湿気た視線で私を見るから。
貴方は私を憐れんだのか。可哀想だと、惨めだと?
「……お話は終わりですか」
思っていたより低い声が出た。
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