閑話:いつもありがとう①

 便利屋本部の屋内で、鬼の討伐案件を終えて血塗れた大男が話し込んでいる。

 依頼完了の報告を済ませて帰路につこうとしたサクを、ひとりの「少年」が呼び止めた。

「お疲れのところすみません。お時間をいただけませんか」

 直刀を背負い、黒装束の装備をまとめた琥珀は、折り目正しく一礼した。


 サクの古馴染みであるヨウが、貴族の家で虐げられていた女児を拾ってきて数年経つ。痩せて小さかった子どもは成長期を迎えてすくすく育ち、二十には満たない今、同年代のアザミやヒサメにやや届かない程度まで背丈を伸ばした。琥珀と名乗り男装のうえ暮らす彼女は、すっかり一人の男性として受け入れられていた。

 実際、低く落ち着いた声色や言葉遣いは、小柄な青年という方がしっくりくる。

「俺より上手い奴に頼め。次こそハゲるぞ」

 その琥珀が差出した鋏を、サクは間髪入れず下げさせた。

「前髪だけ……」

「ヨウに引くほど笑われたの覚えてねぇのか。いい加減やめだ」

 琥珀の髪を切り始めた切っ掛けは、そのヨウが面白半分に振った冗談でしかなかった。おおかた不器用がどこまで酷いか実験されただけ。出来は惨憺さんたんたる有様だったというのに、琥珀ひとりが鏡を見つめて目を輝かせていた。

 頼まれれば断りきれず受けてきたが気は進まない。サクは琥珀の性別を知っているので。

 華やかに着飾る町娘が、髪を美しく結い上げる様を見掛けてきた。年頃の女性にとって髪の毛が大切なことは察しているのに、満足に整えてやることも出来ない不器用が不甲斐なかった。本人は女の子扱いを嫌がるので言わないけれど。

「……分かりました。それで、相談というのは師匠のことなのですが」

 琥珀が肩を落とし、話を続けた。

 腹ごしらえに飯屋を目指しつつ、隣で小さく丸まった背中を見下ろす。

「……上手くねえの分かってて、なんで毎度俺に頼むんだよ」

「サク殿に切っていただくのが楽しく、……ご厚意に甘えていました。すみません」

――血腥ちなまぐさい訓練ではなく、子どもらしい我儘を言わせてやりたかった。ずっと。

 厄介事ばかり起こすのに、理屈を問いただせば悪人とも思えない価値観で動く師匠ヨウ

 歳上を思わせる知性で以て師の狡猾を継承しながら、年相応の顔で「頼みごと」をしてくる弟子コハク

 本当に。師弟揃ってこういう所が卑怯だ。

「……前髪だけなら切ってやる。後でな」

 琥珀に浮かんだ喜色を見て、お人好しのサクはまた、問題児ふたりを突き放す気概を削がれていく。


「お誕生の祝いごと、とか。仲間内でなさったりしますか」

 香草と調味料で甘辛く煮た肉を頬張りながら、琥珀の質問を反芻はんすうする。

 サクはしばらく考えて、嚥下えんげののち慎重に答えた。

「……良いとこの家でならやるんじゃねぇか?」

「あまり一般的ではないのですね。ありがとうございます」

「なんでンな事気にするんだ」

「師匠に贈り物をしたかったんです。ただ、突然の実行は怪しまれるかと思い、あつらえ向きの理由があるなら便乗しようと考えていました」

 誕生祝いの概念は在るにはあるが、浸透はしていない。便利屋の面々など特に――罪人から生まれた子、読み書きも覚束なかった人間、捨子。生まれた季節どころか、自分の年齢も曖昧な人間ばかりだ。

 目前の子どもには、幸せな家庭で育った記憶があるのだと悟る。

 手習いの知識がある時点で教育環境は優れていたのだろうが――同じく便利屋に似つかわしくないもう一人を思い返して、サクは口を開く。

「察しはつくだろうが、ヨウは割と良いとこの出だ。祝われる習慣自体は理解すると思うが、それ以上に家の話に突っ込まれんのを死ぬほど嫌う」

「ああ、そんなの触れたら最悪ですね。助かりました」

「でもいいのか、理由」

「師匠が私を気味悪がるのはいつもの事です」

 その受け入れ方もどうかと思うが、琥珀がもりもりと食事を再開したので指摘はしない。納得しているなら万事よいのだ。

 サクと同じ食事量を苦もなく平らげた琥珀は、口元を拭いながら話す。

「本来、贈り物に理由など不要です。思い立った時、相手の顔を思い浮かべて悩んだ品を選ぶことが最大の礼節であると。教えていただきました」

「……、……親か?」

「母ですが、……何故そう引け腰でお尋ねに?」

「気にしねぇんならいいんだ、忘れろ」

 貴族のもとで虐げられていた記憶と、母のいた幸せな家庭の記憶。二つがどの様に共存しているかをサクは知らない。

 傷は極力触れたくなかった。出自の話を持ち出されたヨウほど面倒臭くはない。どころか、虐待の内情を問い質しても詳細に説明するだろう。感情を挟まず、事実として。

「いい親御さんだな」

「はい。私は家族を一番の誇りに思っています。……勿体無いくらい、愛してもらいましたから」

 愛された自覚があるにも関わらず、自傷に近い戦い方を躊躇しない。

 幸せな記憶を、後ろめたいもののように懐古する。

 子どもをそんな状態にまで至らしめた深い傷は、決して治ってなどいないから。

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