彼女のおつかい③

「誠にありがとうございました。貴方様のお力添えのお陰で、我が主人あるじにお喜びいただける逸品が見つかりました」

「うむ、それは何よりだ」

 むんと胸を張る貴族殿は、滞在先の宿屋まで私を送り届けた。このこだわりはお節介というより信念に近いものだと、行動を共にしてよくわかった。

 市街で幼子を見かけては助け、迷子とみれば親御のもとへと連れてゆく。気をつけるのだぞと声を掛ける。武警団の制服もおそらく、貴族殿の活動を円滑に遂行するため着ているのだ。治安維持に尽力してくれる武警団かれらへの信頼は根強いから。

「染料はひと袋、……あっても困りますね。試験に足る量をお分けいたしますので」

 貴族殿が顔を覗き込んできた。私の額に手を触れる。

「……すまない。お前の顔色が悪いことは分かっていたのに、子らの誘導に連れ回した」

「私を気遣い同行してくださったご厚意と、幼子を助けるお気持ちは、根を同じくするものでしょう。貴方様は常に信念を貫いておられます」

 人格を作るのは経験だ。彼には人死ににこだわる背景があるのだろう。

 染料を渡した。彼はすこし碧眼を瞬かせて、控えめな音量で「ありがとう」と笑った。

 貴族殿がならず者を牽制してくれたのだから、感謝するのはこちらのほうだ。

「ところで染料これはどのように使う?」

 教えてくれと邪気なく言われた。まさかとは思った。

「……詳しそうなお知り合いは?」

「? 居ないから、お前に話を聞くのだろう」

「…………今ここで脱げます?」

「はしたないぞ!!」

「では、私の滞在する部屋までご同行願えますか。染料が貴方の肌に合うか、試験するところから始めさせていただきたいのです」気は向かないが街歩きの恩だ。

 実際に染髪手順を説明するなら鏡が欲しいし、その真白い制服がたいへんまずい。

 貴族殿はごほんと咳払いをして、胡乱げな眼差しで私を見た。

「……なぜ脱げと?」

「試験と申しますものは、二の腕の内側など皮膚の薄い箇所に染料を塗布し、お身体に異常が出ないか試す行為です。お召し物を汚してしまう危険があります」

 染める手技は師匠の髪でやっているし、苦情が無いので大丈夫なはず。あらゆる仕事に半端を許さない師のお陰で不思議な自信になる。ありがたいことだ。


 貴族殿は葛藤を終えたらしい。

 坊ちゃんへの不敬でそろそろ首が飛びそうだが、私は彼から身分を明言されていない。彼は庶民として私に接しているという免罪符を使わせていただく。

「話は分かった、お前に甘えたい。構わないか?」

「何なりと。未熟者ではございますが、精一杯つとめさせていただきます」

 そう――貴族殿に応える手を「誰か」が掴んだ。


 私は、その人を知っている。

「こんにちは、マキさん」

 いつもの「こんにちは」が返ってこない。

 見上げたその人は、今までに例がないほど呼吸を乱していた。


 何も喋らない闖入者ちんにゅうしゃを、貴族殿も怪しんでいる。「おい」だの「お前」だのと声を掛けても反応しないので私に聞く方が早いと切り替えたらしい。

「少年の友人か? おれは日を改められるが」

「違います、知人です」

「知、」

 マキさんが私を訪ねるという事は、頼みたい仕事があるのだろう。個人的な知り合いなので居場所を教えても構いませんとは伝えていた。

 何時なら身体が空くか。下準備と偵察予定を早急に組み上げ検討する。

 掴まれた手が万力のように動かないので、手を繋いだまま貴族殿から離れた。治ったらしい頬を叩けば彼はようやく我に返る。急ぎの用事か尋ねると首を横に振られた。

「申し訳ありませんが十日ください。マキさんのご予定は問題ありませんか?」

「あ、……ああ。問題はない、」

「ありがとうございます。宿はここ、話は通しておきます。十日後にお会いしましょう」

 なにぶん先約ができた。依頼内容は分からないが今日中の解決は難しい。

 指を一本ずつ剥がして拘束をとく。礼してきびすを返し、もの言いたげな貴族殿のところへ戻った。

「あまり上等な宿ではありませんが、ご辛抱いただけますか」

「……あの男、捨てられた子犬のような相貌かおだが……良心は痛まないか?」

「捨てていません」

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