斯くして少女は拾われた①

 季節は何度か回ったらしい。

 その年は、桜の開花が早かったそうだ。こよみが分かるものは屋根裏ここに無いから、特段の感慨も感想もない。私が覚えているのは、寝台の上から見える窓の外の景色くらい。

 深夜。空の藍に映えた新緑の若芽が、来たる夏を予感させるものだったということ。

「……成程ね。人形ドール蒐集家コレクターってそういう……ま、あの性根じゃあ生身の女には相手してもらえないか」

 施錠を解いて侵入したのは、黒髪と青い目の人間だった。

 性別の特徴が曖昧な顔だ。声で判断していいなら(母の様な喉を持ってさえいなければ)男声と取れる。骨格や身なりも男性のそれに共通項が多い。

 侵入者はしばらく、こもる臭いに吐き気をもよおし動かなかった。舌打ち混じりに部屋全体をさらりと眺め、心から嫌そうな顔で家探しをはじめる。

 重なり散乱する本、戸棚、衣類の山。無秩序に荒らしているような手際だが、触れられたことも気付けない精度で元通りに調えている。侵入してものの数分で状態を正確に記憶したらしい。

 彼は周囲を警戒しながら捜索を終えた。焦りから察するに、目的のものは見つからなかったか。苛立つ視線が寝台の私に留まる。


 手首を掴、

「……っ!?」

 彼は目をき、毒虫に触れたかのごとく離れた。


 全くの想定外に対しての、咄嗟とっさの反射だったのだろう。ただの子どもを恐れる理由もなく、気を取り直した確認の手は触診箇所を迷わない。

「……まさかお前、生きた人間? 冗談、……」

 私の呼吸を確認し、首に触れる。

 細い指がひたと脈を押さえ、拍動を確認した顔が歪んだ。

「……うっわ、気味悪。馬鹿じゃないの」

「……申し訳ございません、?」

「は? なに。喋れんならさっさと言えよグズ。まどろっこしい」

 立て。喋れ。ついでに謝れ。

 要求の忙しない人だ。一連の動作で土下座を済ませて寝台に戻りたかったが叶わない。

――手首を捕まえられている。

 彼が不満を申し立てかけ、懐中時計を見て黙る。どうやら長居はできないらしい。

「僕が来たことは黙ってな。最低限の会話すら億劫おっくうなんだろ、だったらそのまま現状維持だ。……ああクソ、出直しかよ」

 時間を気にする理由は、犯行を気取られないためか。もしくは家主を警戒して。

「いまこの離れに居るのは、夜廻よまわりの使用人お二人です。当主様は本邸でしょう」

 だから、犯行は気づかれない。

 慌ただしく出ていこうとした彼が止まった。猜疑の視線で滅多刺しにされる。

「根拠は」

「……? 音がしませんから」

 足音には個体差がある。屋敷の人間のものはだいたい覚えた。離れに響く音を聞き直してもやはり見廻りのお二人だろうし、当主の行動習慣パターンを鑑みてもこの時間帯に訪問してくる可能性はごく低い。

 彼はしかめ面のまま部屋を出た。気配を殺した足音が離れの様子を確かめ、再び屋根裏部屋へと戻ってくる。

「ここの当主……君を毎晩可愛がってる変態野郎が鍵を持ってるはずなんだけど、見たことある? 隠し場所の話が聞こえたことがある、でもいい」

 肌身離さず首に下げている金属あれだろうか。鍵に似た形状をしていた。

 そう伝えたところ、彼は邪悪な笑みを浮かべた。おそらく当たりという意味だ。

「飼い慣らされたお人形さん。『ってこい』は得意?」

 あいにく私は犬ではない。

 指示に従うのは構わなかった。ただ、自分の行動の意味ともたらす結果、彼の目的くらいは知っておきたいのが人情だが。

「開示してやる義務はない。余計なこと考えてる暇あるなら、その無い頭で作戦のひとつでも提案してくれない」

 十中八九、当主にとっての不利益なのだろうと思った。


 達成課題は鍵の奪取。

 目下の障害は、あの人は屋根裏で性欲処理を終えると必ず私室に戻るという習慣。

 件の鍵は複製ができないらしい。現物をしばらく自由にする為には盗むしかないとも考えてしまうが、肌身離さないなら重要なものに違いない。あちらも用心しているはずだ。

 可能な手段で、最も成功率の高い戦略を検討する。


 力ずくは不可能だ。物理的に、質量も筋力も足りない。

 話術は私の苦手な手合いだ。話題に心当たりもない。

 戦略的な交渉――相手への利を用意できない時点で無理だろう。私は鍵の正体を知らないうえ、大した交渉術も持たない。

 出来ない尽くしの木偶でくには分不相応な、唯一の刃。たとえ不完全でも、この手にあるのはそれしかなかった。


 耳慣れた足音が近付いてくる。

 醒めた月光のさす屋根裏部屋で、ぎいと扉が開いた。寝台までのみじかい数歩、床板が沈みこむ律動リズムを読み、私は呼吸を調ととのえる。

 衣擦きぬずれの下で、錆びた金属が鳴っている。

「音羽」

 覆い被さる男の耳に唇を寄せた。

 途中退席を出来なくする――目を奪い、支配する。


 そんな都合の良い魔法を、私はよく、知っていた。

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