不仲②

 ばさばさと、俺の頭上から紙が落ちる。

 五線紙と音符記号。見慣れぬ規則に忠実に従い、連なり重なる音符の群れ。

「真面目な話をしてしまえば、この家にあるのは山のような楽譜と本だけだ。金銭目当てなら他所を当たった方がいい」

 女の視線が手元に落ちた。烏羽よりも青めいた、見知った黒髪をいている――幼い双子が、母親の温もりに安堵して眠っていた。

 すなわち俺の目的だ。少女を指さし問い掛ける。

「俺はそれに用がある。起こしても構わないか」

「いいや構うぞ。寝かせておいてくれ」

「そうか」

 すると今、俺の用事は果たせなくなったわけだが。

 埃を払い立ち上がる。眠る少女を見下ろす俺に、母親は俺と少女を交互に見遣り、

「、……もしかしてお前は、俺の愛娘のともだちか?」

 母親の察しの問題というより「この子は内向的でな、家族以外に関わりのある相手が限られている」と。少女の閉鎖的な気質からの推測らしい。

「友達ではない。が、交流のあるものだ」「やっぱりともだちなんじゃないか。ふふ、いつも娘が世話になっている」「見ているだけだ。情はない」「見るというなら理由があるんだろう。それが関心でなく何だ?」

「その子どもには奇妙な死が見える。理由というならそれだけだ」

 寝顔は初めて見る。母親譲りの白い肌、血色の良い頬と、死の気配がちぐはぐだ。

「……暇なら、この子達の毛布を掛け直してあげてくれ。私が動けば起こしてしまう」

「ああ」

 子どもふたりの体積で乱れた毛布を剥ぎ、掛けなおす。小さな生き物がふたつ寒さに身じろいだが、毛布の温もりに寝顔を緩めてむにゃむにゃと眠りに誘われた。

「お前が嗅ぎつけた死臭は、僕からの移り香ではなく、か」

「俺の性質ではないからな、目測の程度だ。死神に較べれば精度は劣る」

 数えきれない人生と、数えきれない死を見てきた。機序は知らないが、俺の無意識が経験則で感じ取っている程度の予測――母親のそれをそらんじる。

「末期の病だ。痛みを薬で誤魔化しているようだが、呼吸が出来なくなるのは時間の問題だろう」

 間近に迫った避け得ない死。少女の纏う「未来ある死」とは質が違う。

 要観察は撤回していた。不死化変異が始まっていたとて、病魔が身を蝕む速度に対抗しうるものではない。この母親は人のまま死ぬ。

「その通りだ。お前の見立ては確からしい」

 薄い笑みは、自らの死期を悟っていた。

 痩せた手のひらが双子を撫でている。短髪のほうが少女の双子の兄だろう。瓜二つの見目だが全く違う。生の時間が潤沢な歳若い子どもとしか見えない。

 奇妙な死縁は少女だけの特質らしい。それが解っただけでも収穫とする。

「なあ死神。お前の鼻は、この子達の父親を嗅ぎ分けられるか?」

 呼称はともあれ。俺の異質は既に気取られ納得されているようだった。

 転移術式を組む手を止め、母親を見下ろす。そこには畏怖も恐れもない。妖しい笑みに剥き身の好奇心を含ませている。

「まさかお前を只の人間とは思うまいよ。死にゆく命の枕に立つものだ。じゅうぶん死神じみているとも」

「俺は死神じゃあない。吸血鬼だ」

「ほう。この傾国けいこくの歌姫の生き血を所望か。贅沢な男だ。あいにく処女の血ではないが、それでもただではやれないぞ」

「生娘かどうかは俺の食指とは関係ない。それと、食事なら間に合っている」

 生き先みじかい人間だ、不死の暴露も許容範囲と片付けた。不都合があれば記憶操作をかければいい。

「鼻が利くのは獣の類だろう。子と父親を並べてやれば嗅ぎ分けられるかもしれない」

 協力を取り付けられるか、実際に可能かも不明だ。「そうか」と言ったきり現実的な話をしない辺り、あちらも実行に移す気は無いらしい。

 風が家を軋ませ、窓硝子は微かに悲鳴をあげた。硬質な月明かりが微かに翳る。

 冬晴れに珍しい薄雲が、月を遮ったのだろう。

「言わないんだな。父親の顔なんて、母親がいちばん知っているだろうと」

「鼻が利くかと訊かれたから、専門外だと答えた。その他の問いが何処かにあったか」

「……いいや? ふふ。詮索しない姿勢は褒めてあげようか」

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