不仲①

 初雪が舞って以来、少女は社に来なくなった。

 じき獣道も大雪で埋まった。誰も立ち入れない場所で人を待っても仕方がない。

 春を待ちながら、俺は、不死身の役割を黙々と消化した。

 まだ幼い(とはいえよわい百は越える)同類に接触を図り、死なない異質の存在を伝える。場合に応じて生きる術を教えながら、彼らが人世の目に触れることのないよう助ける。監視および土地の統率といえば聞こえはいい、隠匿工作を担う裏方だ。

 血の気の多い畜生の類の怪異は、頃合いを見ながら鎮圧する。人狼が二度、野干やかんが一度。戦意を喪失するまで叩きのめせば暫くは大人しい。

 氷に閉ざされる時期は長い。職務を終えても樹木は凍てついたままだ。暇な足が社に向いたが、当然ながら少女はいない。

 習慣が欠けるというのは調子の崩れるものらしい。

 見当をつけた辺りの雪を掘り、石段を探し当てた。腰掛けて白い息を吐く。


 少女の纏う気配は奇妙だ。死期が近いだけの匂いとは違う。少女の人生の至る箇所に死への分岐が溢れている、とでも表せばいいのか――多様な可能性に富んだ「死」の原因は未だ特定できていない。

 俺は「死」が欲しいのか。そう自問して否定する。

 縁遠いゆえの探究心に近い。不死身と真逆の性質を持つものの観察であり、情も感慨も介在しない。それは恐らく知識欲で動く少女も同じだ。

 そう考えると、気質だけなら俺と少女は似ているのかもしれない。

 どちらかの気が変われば自然と立ち消え、もう片方も気に留めず忘れる程度の希薄な縁だろう。当然だ。名前も知らない間柄なのだから、――


『マキさん』

 違った。仮とはいえ、少女は俺の名前を呼ぶ。少女が尋ね、俺が答えたからだ。

 では俺は。少女は少女だ、見ればわかる。あの奇妙な死を抱き合わせて生きる人間を間違えはしない――が。


 俺は、少女の名前を知らないことに気付いた。



 土地の監視という役職は、それが可能なだけの呪力を持つ証左でもある。

 北を中心に広範囲の監視役である獏は、術式の扱いにおいて随一の知識を持つ。

「バッカじゃねえの!? 不死者ってだけでアンタみたいなのと一緒にされるの腹立たしいったらないわ! 知り合った相手の名前も聞かないとか社会性どこ置いて、……そりゃアンタみたく毎晩違う女とっかえひっかえする色魔なら? いちいち相手の名前なんて覚えてられない覚える気も無いみたいな認識になるのもしょお――もないのかもしれないわねハイハイそーねその通りね!!」

 しかしながら、その本質が夢喰い――ひとの記憶や情動に近い怪物であるせいか、感情の起伏が激しいことが欠点だ。

 北で有数の桜の群生地、中でもいっとうの古木から繋がる空間が獏の根城だ。いつ訪ねても温暖な光に照らされた無人の屋敷は、冬曇りに慣れた目には眩しい。

 入館許可を問い、許諾を貰う。跨いだ結界がぴりりと肌を粟立たせる。

 寝室の扉を開けた瞬間から怒涛の苦言に押し返されつつ、風評被害の訂正から始めた。

「俺は色魔じゃあない、吸血鬼だ。それと、人間の素性を探りに記憶に潜るのはお前がよくやる手だろう」

 獏は記憶の扱いに長ける。獏という魔物の性質だ。

 記憶操作や消去、封印、検索など応用は幅広く、他の術式との併用も相俟った技術は不死者でも比肩するものがいない。俺も心得はあるにせよ、獏のきめ細かな操作と複雑な術式には敵わないだろう。

 寝台に上身を起こして殺気立った獏からは、繊細さの欠片も感じないが。

「こっちは仕事中だってのに変なとこで中断させられたのよ。自分の用件押し付ける前に、見せる誠意ってものがあるんじゃないかしら」

「ああ、悪かった。だが、寝ているお前が仕事中か食事中か、趣味かも見分けがつかないのは困っている。付き人でも置いておいてくれないか」

「前もって約束してから訪ねてくるとかしてくれないかしら。あんた一応ものを頼みに来てるのよね。なんであたしがそっちの都合に振り回されるわけ?」

 何故か獏は用件を承知している。「監視下でうろつかれたら嫌でも視えるわ」と、大欠伸を隠しもせず、眠たげな瞳で嫌悪たっぷりに睨みをきかせた。

 面会許可は、俺に苦情をぶつける為だったのだろう。頭が痛い。

「あんたに食い荒らされた女の夢は最悪なのよ。餌として弄ばれただけだってのに惚れ込んじゃって気持ち悪いったらない。泥のほうがまだマシな味してるわ」

「吸血鬼の性質を恨んでくれ。俺も迷惑している」

 異性を惹くという性質の流布された魔性――それが信仰され浸透した「吸血鬼像」であるなら、名を冠する俺の力もそのように定まる。食事に困らないのは有難いが、浅く短い関係をつとめないと面倒に発展するのがきずだ。

 誠意をもって正直に答えたにもかかわらず、獏は表情を引き攣らせた。

「……ああそう。俺は悪くない改める気も無い、他所でやろうという気遣いよりもお気に入りに構う私欲が優先。随分と舐めてくれるじゃない」

「母親も含めて要観察という話だ。報告はしていただろう。……そろそろ本題に答えてくれないか。あれの名前は判るのか、判らないのか」

「は? 何でよ」

 一瞬で冷えた声は明確に機嫌が悪く、まともな返答は得られないと悟る。


「んなもんアンタが自分で聞・け・ば!?」

 獏の領域から弾かれついで、転移術式を顔面に叩き付けられた。



 宙に放り出され、身体を床に打ち付けた衝撃が一度。

 硬質なかどに頭を打ち、次いで大量の冊子が容赦なく降り注いだ。薄暗い中に木材と埃の匂いが溢れ、薄い背表紙が鋭利に刺さる。目まぐるしさに動きを止めてしばし、

「ふむ、何だ。ずいぶん手荒い登場だな」

 言葉には、少なくない興味が含まれていた。

 にやと笑う金の瞳。瞳孔を蛇のように細めて俺を射た。豊かな烏羽の長髪が、窓からそそぐ月明かりで翠色を纏っている。

「ご機嫌伺いもなく、唐突に家主の前へ転がり出るとは。物盗りにしては間が抜けて、迷子にしては劇的過ぎる――であれば僕はこう言おう、」

――ようこそ御客人。

 少女と同じ顔をした、知らない笑い方をする女が、窓辺の寝台に身を起こしていた。

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