恋の雷が
みちふむ
第1話 雷光
「よっこらしょっと!う、腰が?腰が?……」
彼の腰に激痛がビリビリと流れた。
カミナリ電気商会の
しかし、車で到着して工事の準備をしている時に、ぎっくり腰になってしまった。
……くそ……これは無理だ?誰か代わりにやってくれる人を探さないと……
そこで彼は脂汗を垂らしながら知り合いの電気工事仲間に片っ端から電話をしたが、すぐにここに来れる者はいなかった。
「親父も繋がんねえし……そうだ!この近所の電気屋に」
町の電気屋に頼むしかないと考えた彼は、スマホで検索し、ここから近い個人経営の電気屋にダメ元で電話を掛けてみた。
「出ろ……出てくれ……あ?」
『もしもし?太陽電機じゃ』
「よかった……」
電話にでた初老の声の男性は、今すぐ応援に行くと言ってくれたので、雷人はこれ頼み、エアコンの客には部品が足りないので届けさせる、と言い訳をして車でじっと待っていた。
すると30分経たないうちに雷人の車の背後に、黄色のボディの車が停まり、人が降りて来た。
「どうも!太陽電気です」
「え?」
「腰の方、大丈夫ですか?」
運転席の窓に声を掛けて来たのは、若い女だった。作業着姿の彼女は長い髪をまとめて片側に垂らし、キリとした顔立ちのだが、今は心配そうに彼を見つめていた。
「まあ、動けないですけど。あの、電気工事は」
驚く雷人だったが、彼女はまっすぐ見た。
「大丈夫ですよ。私がやりますので」
そう言って彼女はペットボトルの水と、鎮痛剤が入った紙袋を運転席のドアを開けている彼に手渡した。
「あ、あの?おい!待て!」
「何?」
彼女を呼び寄せた雷人は、腰の痛みを忘れて声を張った。
「エアコン工事は、さっきの電話の爺さんじゃないのか?」
「祖父は引退したんです」
「引退?あのな。この工事は遊びじゃないんだぞ。それに今回は交換だから、古いエアコンを外したり室外機を運んだりするんだから」
「……もしかしてあなた。私が女だから無理だと思っているわけ?」
「だってそうだろう?あんたみたいな女にできるはずないじゃないか」
自分でも大変な作業を、こんな若い娘ができるとは思えなかった雷人はムキになって彼女に噛み付いて来たが、彼女はハアとため息を付いた。
「……ま。黙ってそこで見ていて下さい。じゃ!」
「待て?あ?腰に響く……」
まるで電気が流れたような痛みの雷人を置き去りにした彼女は、さっさと家に入り工事を始めてしまった。
置いてきぼりの雷人は車の中で慌てて彼女がくれた薬を飲み、痛みで脂汗をかきながら車の窓から様子をじっと見ていた。
「こんにちは!遅くなりました」
「いいえ?こっちは何でも無いですよ。壊れた部品があったそうで、新しいのを届けてくれたんですってね」
「壊れた部品?まあ、そうですね確かに壊れていました。ええと、工事のお部屋はどこですか?」
一階の奥の部屋では雷人が途中まで作業してあったので、彼女はこの続きを慣れた手つきで工事を始めた。
「しかし、女の子の電気屋さんなんて。初めてだわ」
娘と変わらない年齢の彼女にこの家の主婦は感心していた。
「……よく。言われます。あの、すいません。ここを持っていて下さい」
「いいわよ。ここね」
客である主婦を巻き込んで彼女は工事をチャッチャと済ませてしまった。
「よし!できました!今度のエアコンは従来のよりずっと新型なので、電気代が掛かりませんよ」
「助かるわ……あ。おばあちゃん。工事は済んだわよ」
リモコンの操作方法を説明していた時に、高齢の女性がゆったりと部屋にやってきた。
「……まあ、まあ。女の電気屋さんかい」
「どうも!」
高齢の女性は、うるさいのが嫌なので居間に避難していたと言った。そんな老女が椅子に座った時、彼女は自分も膝を付き、同じ目線でゆっくり話しかけた。
「お母さん。今は家の中でも熱中症になるので、どうかこのエアコンを使ってくださいね」
「はいはい」
「冷え過ぎない様に設定しましたから。寒いと思ったら隣の部屋のドアを開けてくださいね」
「はいはい。御親切にありがとうね」
そして家を出る時、彼女は主婦に他に気になることが無いか訊ねた。すると彼女は玄関のチャイムが壊れていると話した。
「どこですか?これか……開けてみますね」
「鳴る時と、鳴らない時があるのよ」
「ハハハ。怖いですね?……この配線のせいかな」
彼女は外れかけていた配線をキチンと直してやった。
「今度は鳴るはずです、奥様、どうぞ!」
……ピンポーン!
「鳴りましたね。では、今度は私が」
……ピンポーン!
「鳴った!誰が押しても鳴ったわ」
嬉しそうな奥方に彼女もつい微笑んだ。
「フフフ!よかったです。では、エアコン工事、終了の書類のハンコを下さいね」
そういって彼女は車に書類を取りに向かうと薬が効いてきた雷人が鬼の形相でゆっくりと歩いてきた。
「……お前。あのな。ここは俺が」
「いいから!それに終りました」
「終った?もう?」
「はい。だから書類のハンコをもらってください」
「俺かよ?」
「だってここはあなたが受けた仕事でしょう?じゃ。一緒に行くか」
彼女は書類を持つ雷人を支えるように玄関に一緒に立ってやった。
「ここに押してもらうんでしょう?ねえ、ここ?」
「そうだ……あ、今日の日付もお願いします」
すると奥方はすらすらとサインを書き終えた後、二人の電気屋を見た。
「これでいいかしら?それにしても新婚さんですか?仲が良さそうで」
支えている彼女を仲良しと誤解した奥方に、二人はハハハと笑った。そして彼は笑顔のまま奥方に話した。
「いや~そんな事を言われたのは初めてですよ?」
「本当ですよ?では!これで失礼します……はい、ゆっくり歩きましょう」
そういって客に背を向けた二人は笑っていなかった。
「……お前、ちゃんとエアコン付けたんだろうな?」
「当り前でしょう?それに外した古いエアコンと機材はそっちの車に積みますから」
「お、俺もやるし。ど、どけ」
「無理だって……いいから、もう。邪魔!車に乗りなさいよ!」
そう言われた悔しさでいっぱいだった雷人は、ゆーっくりと運転席に向った。そしてゆーっくり車に乗り込んだ。
この間に彼女は外した機材全てと、彼の用意した電気工具を車に積んでしまった。
「さ。これでオッケー」
「ああ」
そんな彼女は、立ちながら何かをサササと書くと、窓が開いた運転席の雷人を見上げて手を伸ばした。
「これがうちの名刺と、今日の工事の請求書。振り込みでもなんでもいいですから」
「あ、ああ。まあ、助かった」
職人気質の彼がやっと言えた言葉はこれだけだったが、彼女は溜息でこれを許したかのように、黙って去って行った。
そんな雷人は、自宅のカミナリ電気商会に帰ってきた。
「た、ただいま……おい、
「どうしたの、父さん?」
家の奥にいた中学生の息子に靴を脱がせてもらった雷人は、こわごわと居間の椅子に座った。
これを見たエプロン姿の母も驚き顔で34歳の息子を見た。
「お前……痔かい?」
「違う……腰、腰!」
「なんだ腰か」
夕飯の支度中だった母は、お玉を持って台所に戻ってしまった。
すると今度は父の輝男が仕事から戻っていた。
「おう!どうだった?」
「……遅―せよ?息子がこんなになっているのに」
倅のメッセージを読んだのはたった今だった電気職人の父は、もっと前に読んだ風な顔で彼の傍に座った。
「仕方ないだろう。俺だって別の現場で工事をしていたんだし」
そこへ響がゲームを片手に顔を出した。
「でもさ。父さん、どうやってエアコン付けたのさ」
「工事現場の、近くの電気屋の女」
「「近くの電気屋の女ぁ??」」
雷人の話を聞いた二人だったが、輝男は太陽電気を知っていると話した。
「確か、あそこの爺さんは、伝説の電気工事の職人だぞ」
「女で電気工事がすげ?でも助かったじゃん」
「……」
なぜか不機嫌な彼に母はようやく飲み物を持ってきた。
「はい。コーラ。ねえ、それよりも雷人。病院は?」
「女からもらった薬が効いているからいい」
「湿布貼るかい?母さんが病院からもらってきたのがあるよ」
「……女からもらった袋に入っていたから。もう貼った」
「工事費用はどうするって?」
「請求書をもらった。俺、部屋で……休んでる」
こうして彼女に何もかもお世話になったのに、つまらない自尊心でお礼もろくに言えなかった彼は、腰も心も痛ませてこの夜を終えた。
翌日。
カミナリ電気商会に電話が入った。
この電話を受けた母の冴子は受話器を押さえながら雷人に声をかけた。
「雷人。昨日お前がエアコンを付けた家の人だよ」
「クレームか?もしもし……昨日のエアコンの事ですか?」
しかし内容は別で、家じゅうの電化製品を買い替えたいと言う話しだった。
「うちで用意はできますけど……はい。設置も古い家電も引き受けます」
そして彼は近いうちに相談に伺うと約束して電話を切った。
「どう言うこと?」
不思議顔の母に、彼は今の電話の内容を伝えた。
「昨日のエアコン工事の女が親切で優しかったから。家じゅうの電化製品を、うちで買い替えたいってさ」
「すごいじゃないの?で、彼女にお礼を言わなくちゃね!」
この大きな仕事に張り切る母に対して、彼は非常に複雑だった。
そんな時、ちょうど父が帰ってきたので、雷人はこの事を話した。
「そうか。実はな。父さん、今、太陽さんに昨日の工事代金を払って来たんだよ」
昨日の雷人の非礼を知らない輝男は、息子のピンチを救ってくれた恩人に挨拶をしてきたと話した。
「マジかよ?あいつはいたのか?」
「あいつって
「どんな子?父さん」
冴子の声に輝男の目じりが下がった。
「きびきびして感じの良い女の子だぞ?それに電気技士の1級を持っているってさ。大したもんだ」
「1級?くそ……俺の事はなんか言ってなかったか」
「ああ。詫びていたぞ?」
「詫びていた?」
「ああ、なんかな。お前の期待に応えられず、済まなかったってさ」
「……」
輝男は残念そうな顔で、説明を始めた。
「彼女はな。今まで銀太郎さんとコンビを組んでエアコン工事をしていたんだが、爺さんの方が年で目を患ってしまってな。最近、引退したそうだ」
そんな太陽電気は、多くのエアコン工事を引き受けていたので、光はこの夏、一人で工事をしていると話した。
「一人で?」
「ああ。彼女は、作業は早いがとにかく女だろう?二階とか大型エアコンはちょっと大変だよな」
するとエプロン姿の母が話に入ってきた。
「じゃ、誰かと組んで作業したらいいじゃないの」
「でもな。顔は可愛いが男勝りだし、作業現場は男ばかりだから、嫌がられるんだとさ」
すると冴子は、呆れた顔で雷人に語り出した。
「バカだね?今時そんな男がいるのかい?!まったく腹が立ってしょうがないよ……?仕事は力を合わせてやるものなのに。そんな男の親の顔を見てやりたよ、ねえ?お前もそう思うだろう?雷人」
「あ、ああ」
自分の息子がそれとは知らない母は相槌を求めており、彼はどうしようもなくなっていた。
「なあ……親父。太陽さんはその出来ない仕事はどうしているんだ?」
「うちに回してくれるといったが、お前も忙しいだろう?だから断ったぞ」
「断った……」
「ああ。それに太陽さんも廃業みたいだな」
すると雷人はすっと顔を上げた。
「……親父。うちで受けようぜ。そのエアコン工事」
「「え」」
「だってお前。今でもヒーヒーで嫌だって言っていたじゃないか」
「ああ。それに、二階のエアコン工事は受けたくないって」
そんな両親に彼は首を横に振った。
「いいんだ。じゃ、俺。太陽さんに行ってくる」
そして彼は彼女にもらったベルトを腰にしっかり巻くと、車で太陽電気へとやってきた。
「こんちは!」
「おお?今度は誰じゃ」
「昨日世話になったカミナリです。自分は息子の雷人です」
太陽電気の小柄な銀次郎爺さんは、背筋はシャンとしており仕事をするには目が辛いが日常生活は普通と話した。
「それよりも。雷人君はバイクが好きか?」
「好きですけど。あ?これは」
そのガレージには銀次郎のコレクションが並んであった。
「すげ!もう売って無い旧車ですよ?」
「ホホホ。ワシのコレクションじゃ」
バイクの話ができる人は滅多にいないので銀次郎は嬉しくて話し出した。
「こっちのVマックスは仲間のだったんだが。死んでしまって奥さんに頼まれて引き取ったんじゃ」
「そ、そうすか。あの、光さん」
「それがな……壊れておって。動かんのだ。買って損したな……」
「あの、光さんは?」
そこに黄色い車が帰ってきた。降りて来た彼女は、雷人を見てびっくりした。
「もう治ったの?」
「君にもらった薬と、湿布と。このベルトのおかげで」
「それは良かったこと?」
そう言うと彼女はスタスタと電気店の中へ入ってしまった。雷人は慌てて彼女を追って店の中に入って行った。
対面販売をしていない古い店には、電化製品は無く事務所になっていた。彼女は奥の和室の小上がりに座り、カバンから伝票を取り出していた。
「あのさ。昨日の事なんだけど」
「別にいいです。慣れてるから」
彼女はそういって持っていた伝票を整理し始めた。
「……すいませんでした」
「だから。もう怒ってないって言ってるでしょう!」
「いや。怒ってるし……」
「何?」
「すんません」
怒っている彼女に彼は叱られている生徒のように黙って立って話を聞いていた。
「あなただけじゃないもの。どこに行っても女には無理って一点張りで」
「……」
「だからもう良いの。気にしないで、その腰を治してください……」
最後は寂しそうに呟いた彼女に、雷人はふうと息を吐いた。
「ああー!もう止めだ?!」
「え?」
すると雷人は彼女に向き合った。
「あのな。昨日は本当〜に済まなかった!助けてくれたのにあんな態度で」
「……」
「俺さ、あんたのような可愛い女の子が、一人で工事できるなんてマジで思わなかったんだよ!本当すまない。う。痛ぇ?」
「ちょっと!なんで腰を曲げるの?」
光はあわてて彼の背を抱き、小上がりに座らせた。
「ゆっくりでいいから。さ、どっこいしょっと!」
「……ハハ。ヤバかった?」
「本当よ?まったく、止めてよもう」
彼女は、優しい笑顔で雷人の顔を覗き込んでいた。そんな彼女に彼は勇気を出して話した。
「あのな。昨日のエアコンのお客さんがさ。君の対応が良かったって言って……。家中の電化製品を買い替えたいって、うちに電話が来たんだ」
「そう……確かにあのうちの電化製品古かったものね。でも、うちはもう小売りはやってないからカミナリさんにお願いするわ」
「……一緒にやらないか」
「何を」
ここで彼は大きく息を吸った。
「この夏。俺と一緒にエアコン付けないか」
「……どういう意味?」
すると雷人は、俯きながら話した。
「俺は不器用で。いつも工事に時間が掛かるんで……」
「そんな感じね」
「わかるか?でも。俺は力だけはあるから、それに、君の力になれると思う」
「でも……女の私は嫌なんでしょう」
すると彼はよろよろと立ち上がった。
「だから!それは俺が悪かった!バカでした!」
ここに何も話を聞いていなかった銀次郎が入ってきた。
「なんだなんだ……誰がバカだって?」
「俺です」
「へえ。お前はバカなのか」
「フフフ。お爺ちゃん。カミナリさんがね。うちのエアコン付けるのを手伝っだってくれるんだって」
「マジか?さっき来た親父さんは断ったぞ?」
驚く銀次郎に雷人は、いいえと首を横に振った。
「自分にやらせて下さい。でもな。君がいるのが前提だぞ。それにうちのエアコン工事も手伝ってくれ」
「ガハハハ。光がいれば、千人力よ!」
「お爺ちゃん!?いいすぎ」
「ありがとうございます、う?痛……」
「大丈夫?カミナリさん。そこに座って!ゆっくり、そうゆーっくり……」
そういって彼女は彼の手を取って座らせた。
その柔らかい細い手に、雷人はドキとした。
「すまない。でも、本当に頼む……」
「わかりました。まず、治ってからね。わかった?」
「おう!」
「ワシも?おう!」
ハハハハと三人は声を出して笑った。
こうしてこの夏。
太陽とカミナリの眩しいコンビが誕生したのだった。
つづく
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