#132 塵も積もれば


 星夏が家に引き籠もって一週間が経った。

 来週には文化祭があるというのに、未だに彼女が立ち直る様子はない。


 当然、学校には行っていないままなので休み続けている。

 最初こそ家の事情という言い訳が通っていたが、一週間も休んでいると怪しまれるのは当然だった。

 もしかしたら星夏はこのまま文化祭にも来ないのかもしれない。


 準備を手伝えていない上に、学校を休んでいれば不満を懐くクラスメイトが出て来る。

 俺が居る手前、口に出しはしないが空気でなんとなくは察せられた。


 ただ悪意一辺倒なだけでなく、智則や尚也に会長を始めとして心配する人もいるのが救いだ。


 俺も説得を試みてはいるのだが、進展どころか星夏の猜疑心を逆撫でするだけに終わってしまう。

 その度にセックスを要求され、応えるのを繰り返すばかりだ。

 人並み以上の精力があるからといって、流石に一週間も続くのはしんどい。


 だというのに昨日の朝に至っては、俺が登校することすら嫌がるようになった始末だ。


「こーたを他の女に取られたくないんだもん!」


 理由を尋ねると星夏はそう答える。

 普通に聴けば嫉妬で済むが、今の彼女は俺に縋ることでギリギリを保っている状態だ。

 俺が他の女子に靡くことは自身の喪失に匹敵するのだろう。


 頭ではそう理解しているが、胸の内には不平が募る一方だった。


 それでも諦めないのは、星夏を想うからこそだ。

 いつもの彼女に戻って欲しい、その一心で今朝も説得に臨んだのだが……。


「だからイヤって言ってるじゃん! アタシにはこーただけが居てくれたら良いの!!」

「そんな訳にはいかないだろ! 会長もクラスの皆も心配してるんだよ。顔を見せるだけでも良いから、せめて籠もりっぱなしは止めてくれ!」

「じゃあこーたはアタシが他の男を好きになっても気にならないの!?」

「そうは言ってねぇだろ! 星夏のためにこのままじゃいけないって話で──」

「アタシのためになるなら、このままで良いでしょ!」

「~~っ、はぁ……」


 相も変わらず星夏は外に出ないの一点張りだった。

 折れない頑固振りに言葉を失くし、堪らず頭を抱えてため息をついてしまう。


 もうずっとこの調子だ。

 説得する度に口論になるのが当たり前になりつつある。

 好きなのにこんなことになるジレンマは苦痛でしかない。


 星夏の異常は日に日に悪化している。

 毎日風呂に入っているはずなのに髪はボサボサで、ことある毎に泣くせいで目元も真っ赤のままだ。

 俺も正常とは言い難い。

 睡眠不足で頭は痛いし、疲れが溜まっているのにセックスでの機嫌直しに付き合わされて、授業にも集中出来ない有り様だった。


 もう家に居る方が辛く思える気さえしている。


 結局、今日も説得出来なかったか……。

 悲観に暮れたいところだが、生憎とこれからバイトに向かわないと行けない。


 星夏の件で真犂さんに頼んで休みを貰っていたが、流石に一週間も休むのは申し訳がなかった。

 正直、疲労の溜まった身体で働くのはキツい。

 でもこのまま星夏と居ると思ってもいないことを口走りそうで、とにかく一度家を出て気持ちをリセットしたかった。


「こーた、どこに行くの?」

「……バイトだよ。そろそろ出ないとクビになってもおかしくないからな」


 そんな俺の気持ちに構わず星夏から呼び止められる。

 胸の内に黒い塊が燻るのを感じながらも、努めて冷静に返した。


「バイトかぁ……海涼ちゃんは?」

「あ? 同じシフトだけど?」


 不意に投げ掛けられた問いに何の気なしに応える。


 ストーカーの件が解決してからシフトが分かれるようになったが、それでも大半は同じままだった。

 眞矢宮のシフトを確認して何の意味があるんだ?


 そんな疑問の答えはすぐに出てきた。


「だったらダメ。別の日にして」

「はぁ? いきなりそんなこと出来る訳ないだろ」


 むちゃくちゃな要求に納得が行くはずもなく、無理だと反論する。

 だが星夏は不満を隠さずに続けた。


「だって海涼ちゃんがいるんでしょ?」

「同じバイト先なんだから当たり前だろうが」

「忘れたの? 海涼ちゃんはこーたが好きだったんだよ?」

「……だからなんだよ」


 容赦なく古傷を抉る言葉に、腹の底が煮え滾る錯覚を懐きながら要約を求めた。

 わざわざ言われなくても分かってるし、その件は彼女との間で既に話は着いている。

 今さら蒸し返す意味が分からない。


 訝しむ俺に対し、星夏は告げる。


「一緒に働いてる内に気持ちが再燃してこーたに迫るかもしれないでしょ? そうならないようして欲しいから言ってるの」


 ──。


 ──……。


 は?


 星夏の声で発せられたはずの言葉が上手く理解出来なかった。


 眞矢宮の気持ちが再燃して俺に迫る?

 何を言ってるんだ?


『叶わなかったからって、この初恋を無かったことにしたくありません』


 不意に脳裏にかつての眞矢宮の言葉が響く。


『これから色んな人と交流を重ねていく中で、新しく好きになる人が現れるかもしれません。でも、その人への好きと荷科君への好きは同じじゃないんです』


 アイツは……。


『私が荷科君を好きだった気持ちはずっと消えません。忘れもせず抱えたまま、他の誰かを好きになる。……これからそうやって恋をしていくだけなんです』


 眞矢宮は……。


『こんな素敵な気持ちを教えてくれた人が、初めて好きになった人が荷科君で本当に良かったです──ありがとうございました』


 そう言って涙を流していた。


 ……。


 …………。


「──いい加減にしろよ」

「え?」

「眞矢宮が……そんな恥を上塗りするような真似をする訳ねぇだろうが!!」

「っ!」


 限界だった。


 どんなに星夏が好きでも、どんなに俺が我慢しようとも。


 あの時の彼女の涙を侮辱するような言葉は許せなかった。


「自分の初恋を終わらせるのが、どれだけ辛かったと思ってるんだ?! 俺と星夏が諦められなかったみたいに、簡単なことじゃないんだよ!!」

「こ、こー、た……?」


 星夏が目を丸くしているが、一度決壊した感情の奔流が止まる気がしない。


「ただ一緒に働くこともままならないはずなのに、アイツはフラれた後でも変わらずに接してくれてるんだぞ? 俺が気に病まないようにだ! そんな眞矢宮の頑張りを無視して勝手に邪推すんな!!」

「ぇ、ぅ……」


 普通ならバイトを辞めるなり、シフトを被らせなかったり出来たはずだろう。

 そうしなかったのは、眞矢宮が友達として俺との繋がりを保とうとしたからだ。

 罪悪感を持たせない優しさがあったからこそ、俺は迷わずに星夏との関係を進められた。


 星夏の邪推は、そんな恩人で尊敬出来る彼女の努力を踏み躙る行為だ。

 それだけは……いくらなんでも見過ごせない。


「眞矢宮を信じられないだけじゃなくて、なんで俺が星夏を好きだってことも信じてくれないんだよ!! 俺が星夏を要らないとか学校に行くなとかバイトに行くなとか、他の女子と関わるくらいで浮気するとでも思ってんのか!?」

「ち、が……ぁ」


 帰って来た時から星夏は俺に縋る反面、気持ちを疑うようなことばかり言う。

 今の彼女は傷心状態だから、周りに気を配る余裕が無いだけだと誤魔化し続けた。


 でも、もう無理だ。

 いくら好きな人だからって、許容は出来なかった。


「違、うの……アタシ、そんなつもりじゃなくて……ご、ごめん、なさい……。ちゃんと、こーたの言うことを聴くから! アタシの身体、こーたの好きにして良いから! だから……き、嫌いにならないで……」 

「~~っ」


 内心に秘め続けた不満を爆発させた怒声に、星夏は怯えながら謝罪と反省の言葉を口にして必死に縋り付いて来る。


 だがそれは俺の怒りを煽るだけだった。


 違うんだよ、星夏。

 俺は謝って欲しい訳でも、身体目的な訳でも無い。

 ただ元の星夏に戻って欲しいだけだ。


 なのに伝わらないし、分かってくれない。

 今の自分が誰と似た態度を取ってるのか、客観的に見れていないんだろう。

 気持ちを理解してくれない上に、イヤでも彷彿とさせられるせいで余計に苛立ちが募っていく。


 これ以上、感情任せに怒鳴ってしまえば思ってもいないことを口走りそうだった。

 だから俺は縋り付く星夏をソッと引き剥がして背を向ける。


「……今の星夏とは、したくない」

「ぁ……」


 彼女に向けることは無いと思っていた言葉を残して、足早に家を出た。

 星夏がどんな表情をしたのか、振り返って確かめる勇気は無い。


 外の冷えた空気を吸って、幾ばくか冷静になった途端に後悔と罪悪感が重くのし掛かる。


「──っ、……なんでこうなるんだ」


 気を緩めたら涙が出てしまいそうで、自分のしでかしたことや星夏に対する気まずさから逃げるように、バイト先まで止まること無く駆け出すのだった。

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