第48話舌は怪物心は……?

「おおおおぉぉぉ!」


 ゴブリンリーダー率いるゴブリン4匹と、僕の側にいるゴブリンが一斉に飛び出した。


 僕たちに気づいた鹿が逃げる前に、


魔法の矢マジックアロー


 今度こそ狂いなく命中した魔法の矢は一番大きな鹿の頭を吹き飛ばした。

 

 群れの仲間が殺された衝撃か、僕の魔術への恐怖か、鹿たちの足がすくむ。


 それが——命取りだ。


 その一瞬のタイムラグの間にゴブリンたちは距離を詰めた。


 二方向から迫るゴブリンに、鹿たちはやむなくその間に活路を見出す。


 走り出した鹿たちが、まとまってに飛び出した。


 こうなれば後は一網打尽にするだけだ。


衝撃波ショックウェーブ


 僕の貧弱な魔術では固まっている鹿を全て吹き飛ばすことなどできない。


 ただ、この場合1匹で十分なのだ。


 体勢を崩した鹿に後続の鹿がぶつかり2匹とも地面にダイブ。


 他の鹿も転がっている2匹に足をとられて勢いよく転んだ。


 慌てて立ち上がろうとするが、恋愛と戦争にルールはない。


 まして生存競争なら倒れている相手に攻撃しない方が悪だ。


 立ち上がりかけた鹿の頭に部下のゴブリンたちが剣だの棍棒だのを叩き込む。


 そうなれば、後に残されたのは食べごろ(ゴブリン基準)の鹿肉が五つ。


「な、上手くいっただろ?」


 得意げにドヤ顔を晒すゴブリンリーダーが近づいてきた。


「これは私の魔術の力だろ」


 肩を竦めて返した僕に、ゴブリンリーダーがわかってないなとばかりに手を振った。


「ちげーよ。これは俺の作戦の力だ」


「ここまで考えていなかったくせに」


 フンっ、とお互い鼻を鳴らしてから笑い合う。


「ご苦労リーダー」


「悪くなかったぜ族長」


 ……生意気にも微笑む部下に僕は顔を逸らして獲物に目をやる。


「適当に解体してから食べるぞ」


 解体の得意な者はいるか、と聞けば、3匹が手を上げた。


 丁度いい。ぴったりな数だ。


「よし、じゃあお前たちは別れて、3匹で一組のチームを作れ」


 僕の記憶に残る教師に言われて嫌だった言葉ベスト3にランクインするセリフ。組みたいやつと組め。だが僕の予想に反して、ゴブリンたちは素早くチームを組んでいく。


 あれ?お前たち仲よかったの?

 別にいいけどさ。


 管理職の特権ということでそのまま休憩時間に入った僕は木の根に腰を下ろした。


 見ればゴブリンリーダーは川に入って返り血を落としている。


 文明的である。


 ……違うな。僕の判断の基準が低くなってるな。


 文明はもっとこう。テクニカルでメカニカルなはずだ。例えばこう……思いつかない。


「術師ってのは汚れなくていいな」


 馬鹿なことを考えていた僕にゴブリンリーダーが不満気な声を漏らした。


「……お前、魔術師に恨みでもあるのかよ」


 つい数時間前もそんなことを言っていた。


「別に……」


 顔を逸らしてそっぽを向くゴブリンリーダー。これは図星だろう。……あと顔を逸らすな。可愛くないから。


「あ、そ」


「聞かねえのかよ」


 水面から視線を上げたゴブリンリーダーの問いかけに、僕は簡潔に答える。


「理由なんてなんでもいいからな」


 僕への応対からして、一口に恨みと言っても、そこまで根深いものではないのだろう。


 なら別になんでもいい。部下の心情に口出ししないくらいには、僕は空気が読めている。


「そうか」


 少しだけ寂しそうなゴブリンリーダーから今度は僕が目を逸らした。


 ……こいつは聞いて欲しいのだろうか。そして僕は聞くべきなのか。


 正直、踏み込むのとか面倒くさい。


 だが、まあこいつが求めているなら、応えてやるか。


「聞いて欲しいなら聞くけど」


 僕の問いにゴブリンリーダーは鼻を鳴らした。


「別に、聞く必要なんかねぇよ。気にすんな」


「そうか」


 軽く頷いて僕が返してベストタイミングに、部下の一人が近づいてきた。


「解体は終わりました」


「ご苦労」


 軽く労ってから僕は立ち上がって部下たちの集まりに近づく。


 部下の言葉通り、切り口は雑だが食べやすいサイズに切り分けられていた。


 鹿肉を囲むように丸く座る。


「いただきます」


 口の中で小さく呟いてから、肉を口に入れた。


 遅れて、部下たちも肉に手を伸ばす。肉食動物のヒエラルキーじみたルールがゴブリンにもあるのだ。


 鹿肉は、なかなか美味だ。


 まだ暖かさを残した血はどんな清水より喉を楽しませる。


 歯応えのある肉も悪くない。繊維をブツリと髪切り、肉に歯を立てる。


 ゴブリンの体のメリットは夜目が効くことくらいだが、やっぱり生肉を美味しくいただけることも加えてもいいかもしれん。


 ひとしきり鹿肉を堪能した僕たちだが、まるまる1匹余ってしまった。



「どうする、コイツ」


 思案顔のゴブリンリーダーが尋ねて来た。


「もう食えないなら川に流してしまおう」


「勿体ないな」


「仕方ないだろ。無理なものは無理だ」


 食べ過ぎて動けないので、今度は狩られる側になりました。なんて間抜けな事態に陥ることだけは避けたい。


「まあ、そうか……」


 渋々ながらゴブリンリーダーが頷いた。


 気持ちはわかる。どんなゴブリンでも一度は飢えを経験する。かく言う僕もその一人だ。


 生まれた直後から同年代のゴブリンと食べ物を奪い合ってきた。あの群れはそうやって弱者を淘汰してきたのだ。


 胸くそ悪いが、効率的だった。何が嫌だって理解できる僕自身が嫌だね。


 とにかく、飢えた経験のあるゴブリンは食べ物の無駄を極端に嫌う。いつ何時飢えに陥るのかわからないからだ。


 それでも、僕は感情ではなく論理で動かなければいけない。


 満腹になると肉体の動きが悪くなる。危険なのだ。


「よし、さっさと出発するぞ。血の臭いがする場所に長く——」


「静かに!」


 部下の一人が鋭い剣幕で言い放った。


 あまりの形相に僕も思わず押し黙る。


 茂みが揺れる音が僕の耳に入ってきた。


 他のゴブリンも聞こえたのだろう。誰もが口を噤んで耳を澄ませている。


 まずい。これはまるっきり同じ構図だ。川岸に追い詰められた狩られる側僕たちと、茂みに潜む狩る側。


 部下たちが武器を抜いて後衛である僕の前に立つ。


 僕はすでに杖を抜いていた。


 ジリジリとした緊迫感が漂い、ガサガサと茂みが揺れる音をかき消すほど、僕の鼓動は早まっている。


 茂みの向こうから現れたのは——


 鋭さを持った獣性と知性を感じさせる瞳に、湿り気を帯びた黒い鼻。ピンと立った耳に、硬そうな毛。


 狼だ。それも1匹や2匹ではない。続々と茂みから現れ、都合7匹が僕たちの前に姿を見せた。


 まずい。これはまずい。


 使徒の奴隷に狼もいたが、あれは別物だと考えた方がいい。


 理知的な瞳を見れば、あの血走った目をしたヤク中のような狼と同列に並べることが失礼に感じられるほどだ。


 頭のとち狂った奴でも脅威だったが、今回のさらに恐ろしい。


 どうする?


 一触即発の空気の中、僕は必死に頭を回す。


 やばい。何も思いつかない。


「どうする?」


 狼を刺激しないように抑えれたゴブリンリーダーの声。しかし、焦りに焼かれた僕を刺激するには十分だった。


「知るか、自分でも考えろ——」


 このタダ飯ぐらいめ、と続けようとした僕は、ふと小さな疑問に襲われる。


 狼たちはなぜ僕らを襲おうとするのか。


 答えは電光石火で導ける。無論、食べるためだ。


 僕のように、経験値的なものを求めてではないだろう。


 では、もし僕が相手の立場だったらわざわざ臭くて抵抗してきそうなゴブリンを襲うか?


 答えは否だ。


 理由は単純。リスクに見合うリターンがない。コスパが悪いのだ。ゴブリンは臭いし、可食部も少ない。


 なのに抵抗してくる。


 地雷案件である。関わりたくもない。


 狼とて、それはわかっているに違いない。


 でなければ睨み合いなどせずにさっさと襲いかかってくるはずだ。


 ただ、引かないのは面子の問題か、それとも食料事情がひっ迫しているのか。


 どちらにせよ、僕は最適解を知っている。


「お、おい。何してるんだ!」


 唐突にゆっくりと歩き出した僕に、小声で叫ぶゴブリンリーダー。


 ……それ難しいくないか。


 越えてはならない一線。俗にそう呼ばれる野生動物のパーソナルスペース。


 そのギリギリ手前で、僕は立ち止まり、ゆっくりとしゃがむ。


 地面に放り出された鹿の残りを抱え、慎重に狼に近づく。


 狼が牙を剥いて唸り声を上げる。


 怖い、超怖い。


 冷や汗を流しながら僕はゆっくりと鹿を置き、後ろ歩きで距離を取った。


 狼が僕を睨み据えたまま、置かれた鹿に近づき、スンスンと鼻を動かす。


 お気に召したのか、ボス狼が一声唸ると包囲網の一角が崩れた。


 ……この先に伏兵がいるとか、そんなベタな戦術を使ったりしないよね?


「行くぞ」


 ちょっと不安になりながらも、ここで部下の後ろに隠れたら離反されそうなので先頭で歩く。


 恐る恐る付いてきた部下とともに、ゆっくりと狼たちから離れていく。


 幸いなことに狼は伏兵など張っていなかったようで、僕たちはすんなりと離れることができた。


「寿命が縮んだぜ」


 げんなりとした表情でぼやくゴブリンリーダーに、僕も密かに同意する。


 勢いよく修羅場に叩き込まれるのも疲れるけど、焦らさせるのも辛いよな。


「少し休むか」


 昼休暇を挟んだばかりだが、反対する者はいなかった。

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