第49話英雄不在につき

「ひどい目にあった」


 そう溢すゴブリンリーダーに僕は肩を竦めた。


「そうでもないだろ。取り敢えず腹は満たせた」


 僕の言葉にゴブリンリーダーも不承不承頷く。


 飢えとは3大欲求の内、もっとも人類が恐れていたものだ。


 歴史を見ればすぐにわかることだが、どの文明も飢えに関して敏感だった。


 ……僕が前世で飢えを知っていたなら、アフリカの貧しい子供たちに大いに同情しつつ、保存食を買い漁ったね。


 自分本位かよ。ま、ここで寄付したとか言わない辺り、僕は僕のことをわかっているに違いない。


 僕はやっぱりそんな自分が好きなのだ。論理的な思考も、重点を弁えた生き方も全くもって嫌いじゃない。


 世界にもう一人自分がいたら最悪の敵になりそうだが、一人な分にはなかなか好ましい。


「で、どうする?」


「まだもう少し北に行く」


「はいよ」


 ゴブリンリーダーは適当に返して立ち上がった。


 遅れて、僕も腰を上げる。


 重い。


 最近疲れすぎているきらいがある。


 安全な場所を見つけたらゆっくり寝たいものだ。


「行くぞ。移動再開」


 軽く手を叩いて部下に号令を下す。

どうも部下も疲れているようで、動きは遅々としたものだ。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ。


 ようやく立ち上がった部下と歩き出そうとした瞬間だ。


 メダルを擦り合わせた時のような嫌な金属音がした。


 一瞬で部下の表情が緊張したものとなり、僕の合図で身を低くする。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ。


 音が近づいてくる。


 逃げられない。そう悟った僕は部下たちに見せつけるように杖を抜いた。


 緊迫した表情で部下たちも武器に手をかける。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ。


 すぐ近くまで来ている。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ。


 あと少し。


 ガシャ、ガシャ、ガシャ。


 いまだ。


毒水ポイズン•ウォーター水槍ウォーターランス


「ガボォぉ」


 僕の魔術は顔を出した人間の口元に狙い違わず命中。

 

 毒水を吸い込んだ人間は苦しそうに喉を掻きむしった。


「********!」


 何事か叫んで鎧を着た人間に駆け寄る女は法衣を着ていた。


 その法衣に描かれた紋章はどこぞの使徒と同じものだ。


 それを見た瞬間僕は必殺の覚悟を決める。


「殺せっ」


 僕がそう命じる前に、部下は動き出している。


 もっとも優れた剣を持つゴブリンリータが距離を詰め、喉をやられよろめく剣士に切り掛かった。


 それをカバーしようと魔術師風の女が杖を構えるが、遅すぎる。


 部下が放った矢が女魔術師の肩に当たり、女魔術師の体がふらりと傾いた。


 致命的な隙だ。


 部下の一匹が危険を顧みず女魔術師の持つ杖を掴む。


「******」


 人間の言語は解さない。けれど、今何と言っているかはわかる。


 離せ、だろう。


 だが、ゴブリンは「君を離すもんか!」とばかりに執拗に掴む。


 ストーカー規制法に引っかかるレベルでしつこいゴブリンは、貧弱な女魔術師では振り払えない。


 ようやく追いついてきたもう一人の戦士がゴブリン目掛けて剣を振りかぶる。


 それも、遅い。


 わずかな時間を利用して、すでに到達していた他の部下たちが数の差で押し切っていた。


 戦士は僕の直属の精鋭に囲まれて蹂躙されているし、剣士はゴブリンリーダーが切り捨てていた。


 残るは女魔術師と女神官だが。


 女魔術師はすでに腹に短剣が刺さり重症。女神官は……僕がやるか。


「*****」


「ギギャーー!目がぁぁぁ」


 眩いばかりの、いや目を焼きたくさんばかりの光が溢れた。


 思わず素の、ゴブリンの悲鳴が漏れてしまった。醜態である。


 十中八九女神官が何かしたのだろう。


 だが、それももう遅い。


 女神官がいたであろう位置に適当に威力を下げた魔法の矢を放つ。下手な鉄砲もなんとやらだ。


「いだっ、悪い!魔術を食らった!」


「大丈夫か!」


 ゴブリンリーダーに当たったらしい。どう見ても敵の魔術に当たったと考えているので放っておこう。


 待て、奴らどの方向から来た?女神官の速度は?


 コンマ数秒で女神官の予想位置を修正した僕は、恐る恐る目を開きながら唱えた。


魔法の矢マジック・アロー


「****!」


 相変わらず意味不明な言葉で悲鳴を上げる女神官。どうやら今度こそ命中させられたみたいだ。


「ああ、くそ眩しかった」


 やっと元通りになった視界で僕は女神官を睨み据える。


 震え上がった女神官はちびりそうな勢いだった。


 ちびるのはやめて欲しいんだけど。汚いし。僕の性癖から外れているし。


 ……血と臓物を撒き散らさせる気満々の奴が言えることじゃないか。


 さっさと、トドメを刺そう。


 このシチュエーションだと、小鬼を殺す者が現れそうで大変怖い。


魔法の矢マジックアロー


 果たして、哀れな少女を救う英雄は現れず、少女は少女だったタンパク質に成り果てた。


 血と臓物の上げる悲痛な臭いが、僕の鼻を麻痺させる。


 英雄など、自分を救ってくれる都合の良い誰かなど、現れるとはずもない。


 ならば、救いのない世界は残酷なのだろうか?

 

 それは誤りだ。もっとひどい。


 世界は残酷ではない。世界に性質などないのだ。


 世界はいつだって無機質で、無感情で、救いがない。


 ただ世界は僕たちに悪影響をもたらさない。世界は数式であり現象であり、悪意はない。


 悪意があるのは僕たちだけだ。僕たちが、自分の手で、言葉で、意志でセカイを残酷なものにしている。


 狂っているのだ全てが。


 まともな顔をしている全ては悍しい仮面に過ぎない。


 だから、仕方ない。そう、仕方ない。


 それが確かならば。僕が心すら怪物になることも仕方ないはずなのだ。


 狂った世界で狂った役割を与えられたら、狂ってしまうのも仕方のないことだ。


 僕は自分が好きだ。論理的な思考も、すっばりと諦められることも、適応力が高い所も、僕はまったくもって嫌いじゃない。


 ただ少し、ほんの少しだけ僕は自分が怖かった。


「—長?族長?」


「っん、ああ、なんだ?」


 ゴブリンリーダーに肩を揺すられていることに気付いて僕はようやく現実に戻れた。


「なんだって……あんたそういう時があるよな」


 呆れたようにため息を吐くゴブリンリーダーに、鼻を鳴らして答える。


「もうちょっと、疲れない考え方をすればいいのに」

 

 無理なことを言う。それができたら僕はどれだけ楽になるだろうか。


「それができたらな……」


 僕の返答にゴブリンリーダーはお手上げだと首を振った。


「あんたはできないんじゃなくて、やりたくないんだよ。理屈を捏ねくり回していれば他人事だと思えるからな」


 余人にほざかれれば魔法の矢を喰らわせてやるような妄言だ。


 だというのに。噛み締めるようなゴブリンリーダーの言葉に僕は思わず声を忘れた。


「どう考えたって生きるしかないんだからよ」


「思考を放棄しろと?」

 

 僕の疑うような顔を、ゴブリンリーダーは鼻で笑って、拳を突き付けてきた。


「逃げるなってんだよ」


 その真剣な表情に僕は不覚にも飲まれてしまった。


「さ、死体漁りといこうぜ」


「そうだな。よし、戦利品を集めろ。分配するぞ」


 無理に作ったような明るい声に、僕も習って場の空気を切り替えることにした。


 それでも、僕の耳からゴブリンリーダーの声が消える事はなかった。

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