第44話森神官

 その日、僕はそのまま家に帰った。物言いたげな部下を無視し、毛皮と草のベットへとダイブ。


 今日、深夜に逃げよう。


 そのためにゴブリンリーダーと森神官も家に呼んでいる。


 家が狭いが仕方ない。北に近く周りにゴブリンが少ない僕の家は控えめに言ってベストプレイスなのだ。


 北に抜ける経路はすでに見つけていた。


 族長には悪いと思うが、ここで死ぬわけにもいかない。


 反対する部下もいるだろうが、なんとか短時間で説得ないし排除する他ない。


 もう決めたのだ。


 徐々に薄れゆく意識に身を任せ、僕は目を閉じた。



———————


 意識がはっきりと瞬間に僕は意志の力で目を開けた。


「朝、まだ夜か」


 浅い眠りを何度も繰り返しているうちに、つい深く眠ってしまったらしい。


 幸いにもまだ太陽は昇っていない。


 だが、一刻の猶予もなかった。


「起きろ」


 近くで寝ていたゴブリンたちを起こし、他のゴブリンを起こすことと、武装を整えることを命じた。


 それから数分後、僕を含め、全員がフル装備で整列していた。


 拭い去れない不安が全員の顔にも浮かんでいた。僕もきっと同じような表情をしているだろう。


「これより、我々は独立して遠征を行う」


 部下たちがざわめく。


 誰もが不安と不信を口に出していた。


 族長は今日から外出を禁じる命令を出していた。


 僕の言葉はそれに真っ向から逆らうものだ。


「静まれ!」


 僕は強い口調で命じた。ここで騒がれれば一巻の終わりだ。


「ついて来たくないものは、結構。戻って眠るがいい」


 4分の1ほどのゴブリンが部屋を出た。


 残るのは15人。


 思ったより残ったな。


「先程も言った通り、我々は独立して遠征を行う。それには当然妨害が予想される。そして我々は、それを突破する」


 だからくれぐれも静かに動け、と命じるとゴブリンたちは硬い表情で頷いた。


「では行動を開始する。戦闘はゴブリンリーダー、後ろは私だ」


「わかった」


 ゴブリンリーダーを指差して言うと、ゴブリンリーダー小さく頷いた。


「出発」


 動き始めた集団の最後尾で、僕は二度と帰らないであろう我が家に、いってきます。と告げた。


 真幸くあれば、また帰ってくる。


 自分たちで作った柵を乗り越えて、土塁を這い上がり、堀をよじ登る。


 幸運なことに見張りとは遭遇しなかった。


 森の中で巡回している部隊をする抜けることは至難の技だが、警備する側の僕ならばこれくらいは簡単だ。


 森に入った僕たちはさらに幸運にも巡回部隊の影も形も見えなかった。


 これで大丈夫なのかと逆に心配になるほどすんなりと警戒線の中に入った僕の後方で鬨の声が聞こえた。


 集落に火が放たれていた。


「クソっ、行動が早すぎるだろう!」


 昼にサルバドの集落を攻めて、夜が明けないうちに今度はこの集落を攻めるとはな。


 勤勉すぎるのも考えものだ。


「まずい」


 寝ぼけていた。ようやく頭が回り始めた僕は自分に舌打ちをした。


 見張りがいない?そんなはずはないだろう。排除されたのだ。


「急げ!囲まれているぞ!」


 僕が怒鳴り声を上げるが早いか、茂みの反対側から人間の兵士が飛び出してきた。


「¥&@☆○¥%〒!」


衝撃波ショックウェーブ


 意味不明な言語で叫ぶ兵士二人に僕は魔法をぶつける。


 まとめて二人を吹き飛ばし、後続が来る前に走り出した。


 耳を澄ませれば隠す気がなくなったのかあちらこちらから金属音が聞こえてきた。


 数は圧倒的に不利。ここの力量でも多分負けている。


 だが、有利な点が一つだけある。ここが森の中であること。ゴブリンは人間より夜目が効く。


 時折人間に遭遇しながらも大人数の前に出ることは避けられていた。


 ただ僕の耳はそれが束の間のことであると教えてくれた。


 列が止まる。


 最前部に移動した僕に緊張しているゴブリンリーダーが声をかけた。


「どうする。部隊長。ここからはかなり厳しいぞ」


 僕たちの行手を阻む形で小さな川が流れている。それだけでも苦しくのに、その上兵士たちが陣を敷いていた。


 しかし、そう、しかし、選択肢など突っ込んで死ぬか、待って死ぬかの二つだけだ。


 ならば少しでも生きる可能性の高い方に賭けるほかない。


「突破する。僕が先頭に立つ」


 僕は一人称が戻っていることすら気づかず言い放った。


 先頭に突破力がなければそのまま囲まれて終わりだ。多少の危険は覚悟するしかない。


「まずは、混乱コンフュージョン


 木に寄りかかっている偉そうな男に呪いをかけ、混乱し始めた男に注意を集める。


 今しかない。


「行くぞ!」


 やけになりそうな気分だ。


「おおおぉぉぉ」


 突然現れた僕たちに兵士が驚きと共に硬直する。


「どけぇえぇぇぇ」


 通じないと分かっていても僕はそう叫んでいた。


 慌てて剣を抜いた兵士たちを、


衝撃波ショックウェーブ!」


 まとめて吹き飛ばし、空いた穴に走り込んだ。


 あとは後ろを振り向かずに走るだけだ。怒号が背後から流れてくるが僕は構わず走り続ける。


 いつのまにか、怒号は止んでいた。


「何人いる?」


 ゼェゼェと荒い息を吐きながら僕は森神官に聞いた。


「13人。二人かけました」


「追手は?」


「途中から来ていません」


 それはおかしく——ないな。たかがこれだけの数のゴブリンにわざわざ追手を掛ける必要はないか。


「そうかでは……」


 ここで休息を取ると言おうとした僕は、ガサガサと揺れる茂みに口をつぐまされた。


「どこへ行くの?」


 月を覆っていた薄い雲が晴れ、ぱっと一人の女、少女の姿が現れた。


 可憐という言葉そのものの美貌を持つ少女が、透明な微笑みを浮かべている。


 美しくはずなのに、嫌悪と憎悪が湧いてくるのはなぜだろう。 


 その透明さが自分を隠すほどの相手ではないという軽蔑に裏打ちされているからか。


 いや、待てよ。


「なぜ、お前はゴブリンの言葉を話せる?」


「質問に質問で返すのはって、ゴブリンが知るわけないか」


 嘆かわしいと首を振るった女が突然にっこりと笑った。


「教えてあげる。私の『魂縛の呪言』のおかげだよ。どんな相手とも言葉を交わせて、従えることができる」


 簡単でしょう、と寒気がする微笑みを浮かべる女に、僕は嫌な予感と、明確な恐怖を抱いて問いかけた。


「君は、何者だ?」


 にっこりと笑う女。


「初めまして、私はエリカ。慈悲深い女神の使徒なの。私はね、君を殺しに来たんだ」


 ひまわりのような笑みから放たれる強烈な鬼気に思わず後ずさる。


「な、なんでだ?」


「貴方が邪神の使徒だから」


 語尾にハートマークをつけそうなふざけた言い草に苛立つのも忘れて否定した。


「違う。僕は奴らの使徒じゃない」


 本当だ。僕のステータスには邪神の教徒なる不穏な称号があるが、使徒ではない。


「あっそ」


「は?」


 興味なさげに返した使徒に僕は呆気に取られて聞き返していた。


「でも、関係ないよ。言ったよね、私は君をとびっきり痛めつけて殺さないといけないの。ごめんね」


 肩がぶつかったことを謝るような口調の使徒に寒気を感じる。


 こいつは、僕を殺すことをなんとも思っていない。僕も大分アウトローな生活をしてきたが、こいつはタガが外れている。


「じゃ、そういうことだから」


 ちょい、と女が僕に指を向けると同時に茂みから狼が後から後から現れた。


 囲まれている。


 使徒を狙うのは……不可能。一番守りが硬い。


「逃げていいよ。追いかけるのも楽しいから」


「くそが」


 僕で遊ぼうってのが。


 歯軋りをしながら罵声を浴びせるが、所詮負け犬の遠吠えだ。


「逃げるぞ」


 森神官が頷いたのを確認してから、遮る狼を切り飛ばしてとにかく走り出した。


 森中から吠え声が聞こえてくる。


 僕の右後ろから飛びかかってきた狼を森神官が魔術で吹き飛ばした。


 まずいまずいまずい。


 空から降下してくる大ガラスを低木の影に入って避け、足首を狙う蛇を踏み潰す。


 突進してくる猪の眉間に魔法の矢を飛ばし、思い出したように現れる狼を森神官が風の魔術でまたしても吹き飛ばした。


 大分、戦った。全員が満身創痍で人数も減っている。


 だというのに、また囲まれた。

 もう、足が動かない。


「あれぇ、もう鬼ごっこは終わり?」


 猪に乗った使徒が嗜虐的な笑みを浮かべる。


 僕には言葉を返す体力も残っていなかった。


「そっかぁ、じゃあ運動してお腹も減ったし、ご飯にするよぉ」


 その言葉を合図にして、悍しい使徒の奴隷たちが涎を垂らしながらジリジリと迫る。


「部隊長殿」


 森神官が静かな声で前に出た。


「私に任せてください」


「およよ?何をするつもりかな」


 使徒の挑発に耳を貸さずに森神官は僕の目をじっと見ていた。


「何をするつもりだ?」


「任せる、と言ってください」


 森神官は有無を言わせず僕の肩を掴んだ。


「あ、ああ。任せよう」


「ありがとうございました」


 別れを告げるような森神官の口調に嫌なものを感じた僕が口を開くより前に、詠唱が始まった。


「古き魔龍よ、我が肉、我が魂を捧げん。しかるに、我に亡霊の力を与えたまえ」


 声が掠れ始めた森神官が、崩れ落ちた。


 そして、肉体が隆起し始める。手足が長くなり皮膚に鱗が生えた。


 ただ、変容したのは体だけではない。


「何してるの!私を守りなさい!」


 同じことを感じたらしい使徒が大声で獣を集め始めた。


 森神官は森神官ではなくなっていた。


「部隊長、おい部隊長」


 ゴブリンリーダーが僕の肩を掴んだ。


「行くぞ」


「しかし……」


「逃げるぞってんだよ!」


 ゴブリンリーダーはそのまま僕を強引に引っ張って、走り始めた。部下たちもそれに続く。


「奴を生贄にするのか⁈」


 下らないことを聞いていると僕は自覚していた。


 今足を動かしている時点で、この質問は自分を正当化するための唾棄すべき偽善にすぎない。


「ゴブリンのモットーを知らないのかよ」


 僕が答えずにいるとゴブリンリーダーは歯を食いしばって言葉を続けた。


「誰かが生き残れ、だ」


 それが生贄ではなくなんだと言うのだろう。


 それでも、僕から醜い言い訳をする気を奪うには十分だった。

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