第43話匂い立つ死

「聞いていなかったのか。線の内側を掘るんだ。外側じゃない!」


 僕は三度目の間違いに思わず金切り声を部下に叩きつけていた。


 こちら、ゴブリンの集落である。


 搬入されてきたスコップを使って堀と土塁の造営に勤しんでいた僕は、何度言い聞かせてもわからないゴブリン頭に怒鳴り声を上げていた。


 うなだれるゴブリンたちにようやく自制心が復活してきた僕は一つ深呼吸。


「わからないことがあったらそれぞれの区域の監督に聞け。いいな」


「「「はい」」」


 一斉に返事をしたゴブリンたちに頷いて返した僕は、作業に戻るよう指示する。


 今度こそ正しい作業についたゴブリンたちにもう一度ため息をついてから密かに伸びをした。


「おい」


「あっ?えっ、なんだ」


 完全に無防備な瞬間に声をかけられた僕はキョドリながら振り向いた。


 いきなり後ろから声をかけるなよ。僕が暗殺者だったら殴り飛ばされても文句が言えないレベル。……文句言いそうだなこいつだったら。


「族長がお呼びだ。大至急来るように」


「え?あ、ちょおい!」


 そう偉そうに言い捨てるだけ言い捨てて、僕の返事も待たずに女弓使いはくるりと背を向けた。


 いや、行くよ。行くけどさ。なに、もうちょっとほら、言い方とかさ。

 

 近くで同じように作業の監督をしていた森神官に歩み寄った。


「どうされましたか?」


「ちょっと族長に呼ばれてね。留守を頼む」


「それは……何かあったんでしょうか」


「わからん」


 心配そうな森神官に僕はそう告げるしかなかった。


 用件は僕にも知らされていない。大体想像はできるが、あくまでも想像の範疇を出ない。


 迂闊なことは言えないという奴である。


「とにかく、お気をつけて」


「ああ」


 旅立つ息子を見送る母親のような森神官の言葉に僕は手を振って返した。


 さて、どんな利益が僕に舞い込んでくるだろう。


 暖かな日差しの下早歩きで族長の元へ進んでいた僕は、それほど時間が掛からずに族長の館へ到着した。


「族長からのお呼びで参った。おとりつぎ願いたい」


 門番に声をかければ、門番は一礼して答えた。


 一礼したのだ。最初に来たとは完全に舐めていた。あの門番が。


「その件について伺っております。では、こちらへ」


 妙に手早く案内してくれる門番に続いて歩くと、この間の広間の扉より少し小さい扉の前で足を止めた。


「失礼します。部隊長殿がいらっしゃいました」


 3回戸を叩いてからの口上にまた名乗り出るべきか迷った僕が行動を起こす前に、


「通してやれ」


 入室の許可が出た。


 どこかほっとした僕が声に従って部屋に入ると、予想に違わず数人のゴブリンが長テーブルに腰掛けていた。


 ちなみに族長の直属は壁際に立つ決まりらしく女弓使いも立っていた。


「座れ」


 族長が右の真ん中の席を指し示した。


 僕こういう席次って結構気にするタイプなんだよ。ふーん族長からの僕への評価ってそれくらいなんだ。へー、ふーん。


「首尾は?」


 僕が席に着くが早いか、族長が質問を浴びせかけてきた。


「上々です。遅くとも明日の夕方には作業が完了します」


 腹の中でどれほど幼稚な声を考えていても口調が機械的になってくれることに感謝を捧げる。


「それは朗報だ」


 全くそう考えているとは思えない表情で喜びを言葉にした。


「さて、全員揃ったところで……ベルグラス」

 

 直属の魔術師の名を呼んだ族長は差し出された拳大の水晶を長テーブルの上に置いた。


「これは遠見の水晶。サルバドの群れを出るときにかっぱらった物で、文字通り遠くが見える」


 盗んできたのかよ。そりゃ、今更同盟なんて無理だろうな。


 僕が白い目で見ていることを無視して族長は続ける。


「見ろ。これが人間の軍隊だ」


 サイズの問題でかなり見にくいが確かに人間の軍隊が映っていた。


「ここはサルバドの群れの近くだ」


 っ、ということは……


「奴ら十中八九サルバドの群れを攻めるつもりだぞ」


 族長の喜悦の入り交じった声は予想の範囲内のことを伝えてくれる。


 ま、そうだろうよ。何のために人間がわざわざこんな所に来たのかは知らないけど、ゴブリンを見逃すとは思えない。


 別に最初から殺そうと思っていなくても、そこにいるからと、ゴキブリのような理由で殺される気がする。


 ……僕が卑屈になっているだけかな。そうだといいな。


「さて、問題は……奴らの数だ。奴ら1,500は下るまい」

 

「なっ!」


 その場に呼ばれた全員の口から驚きの声が溢れ出た。


 連隊規模じゃないか。


 僕も内心の動揺を抑えきれていない。1500それも少なく見積もってだ。

 

 こちら側の戦力は多く見積もって300。五倍の差がある。



 これは……まずい。半端じゃなくまずい。


 ゴブリンの取り柄である数を封じるにはどうすればいいか。簡単である。それ以上の数をぶつければいいのだ。


「サルバドの集落は多く見積もって1100。陥落するものと考えた方がいい」


 ざわめきが爆発的に大きくなった。


 この場に集められたのは知能の発達した高位のゴブリンだ。


 そこらのゴブリンのように馬鹿騒ぎを起こすことなどない。しかし、しかしそれでも限界がある。


「すでにウルズを使いとして方々の群れに送った。お前たちにはこれからの戦いを見て何か役に立つことを見つけて欲しい」


 頼む、と頭を下げた族長に周囲のゴブリンが慌てて跪き、頭を上げるように乞うた。


 僕も習って頭を下げたいるが内心は怒りで煮えくりかえっている。


 やられた。今集められたことで逃げる手を封じられた。


 もうこの集落は終わりだ。とにかく安全な住居を失うことは明白だ。


 これからのことを森神官たちと相談しなければならないというのに。


 重い沈黙の帳が降りている広間で、水晶の映像を切り替える音だけが響く。


 どうやら人間は古典的な三面包囲を取るらしい。


 確か、孫子が考案した戦術だ。


 完全に包囲すると死に物狂いで反撃されるから逃げ道を残しておいて、逃げる背中を刺していくぜ。


 みたいな奴だった。


 人間の指揮官が剣を振り下ろすと号砲がわりに火矢と魔術が飛ぶ。


 狂いなく集落の柵に当たった魔術は爆発とともに炎を広げていった。


 人間側にも延焼するのではと思ったが、そこも考えていたらしい。風の魔術で炎を集落の側に押しやり柵を破壊。


 突入部隊を出し、ゴブリン側がやむなく応戦部隊を放ったところで、左右から強襲をかけ包囲。


 ゴブリン側の強者が人間の兵士相手に無双しているが、数が違う。さらに包囲されている。ダメ押しとばかりに人間側にも強者がいるときた。


 人間側が圧倒的有利に戦いを運んでいたが、そのまま負ける訳にもいかないだろう。


 水晶越しでも目の焼けるような白光ともに、熱量が人間側の部隊の中心に放たれた。


「サルバドだ」


 族長の意図せぬ呟きで魔術師の名を知る。なるほど、強大な群れを率いるだけあって恐ろしい魔術だ。


 魔術師や弓兵がいる辺りを狙った龍の息吹のような炎は、魔術師が貼った結界のような盾を破り、人間を焦げ臭い肉塊に変えていく。


 強力な一撃だ。


 この前の戦いで使われたら一溜りもなかったと断言できる畏れすら感じる魔術。


 だが、目標を間違えている。


 今削るのは奴らにすべきだった。


 水晶越しでも恐怖を感じる凄まじい勢いで法衣を纏った騎士が走る。


 例の白い炎はためが必要なのか、サルバドは雷や風の魔術を使っている。


 その一つ一つがゴブリン10匹を殺してお釣りがくる魔術だ。


 それを連発するサルバドは流石としか言いようがない。


 ただ、相手が悪かった。


 感情がないかの如く欠けていく仲間を振り返りもしない聖騎士たちは数を減らしながらもサルバドに近づいていた。


 盾を持った前に倒した鬼のようなゴブリンが部下とともに聖騎士の前に立ちはだかる。


 鬼が武器を振って、過小評価だったことを悟る。


 近くにいたら耳がおかしくなる程の風切り音が聞こえたであろう剛撃が聖騎士を鎧ごと真っ二つにした。


 彼だけでなく部下も恐ろしい精鋭だ。


 数で劣りながら聖騎士たちと互角に渡り合う姿は、絶大な賛美を受けるに値する。


 膠着状態に陥った戦場に黒い影がさした。


 次の瞬間、あっという間に大きくなった黒い影が空から配下のゴブリンを襲う。


 なんとか避けたものの、姿勢を崩した隙を突かれ、聖騎士に討たれた。


 カラス、か。いや大きすぎる。大ガラスはトールキンの世界だけど思っていたんだけど。

 

 魔物使いは人間側にいたらしい。


 航空戦力の出現によりサルバドは空へと注目せざるを得なくなった。


 恐ろしい速度で大ガラスを筆頭に厄介な航空戦力を削っているが、それでも空の後押しを受けた聖騎士がサルバドの護衛を倒す方が速い。


 盾のいなくなったサルバドは忌々しげに顔をしかめると、杖を一振り。


 呼び出されたのは泥人形ゴーレムだ。並外れた体躯を持つゴーレムだが、果たして——


 聖騎士の一人が白い光を剣に纏わせて、一閃。


 数秒のタイムラグの後、ズレるようにゴーレムの上半身が落ち、そのまま何もなかったかのように、土に戻った。


 数秒のうちに盾を失ったサルバドは、まだ諦めていない。


 その数秒を使い、巨大な蛇のような炎を呼び出した。近くの木を燃やしながら炎の蛇は聖騎士たちに襲いかかる。


 さらにその後ろからサルバドの雷撃が飛んだ。


 ただそれでも、聖騎士の力には及ばない。白い光を纏う剣が、強く輝き、炎の蛇に振り下ろされる。


 風切り音が耳に響いた気がした。


 炎の蛇は形を失い、同時にサルバドも倒れる。


 それを確認してから聖騎士も膝をついた。


 周りの聖騎士に肩を借りながら後退。


 僕は乾いた笑い声が出そうだった。


 もう無理だろ。


 辺りを見回せば少なくない数のゴブリンが頭を抱えて呻き声を上げている。


 水晶の中のゴブリンたちは首領を失いついに総崩れになった。


 ゴブリン側の正面戦力を駆逐した後は逃げるゴブリンを追……わない。


 罠だ。確実に罠だ。


「やめろ、罠だ!」


 同族の末路を思い、届くはずのない言葉を囁いたのは誰か。僕かもしれないし、そうでないかもしれない。


 とにかく、はっきりと分かるのはその言葉が通じなかったことだけだ。


 獣道を駆けるゴブリンたちに両側の茂みから槍が突き出される。


 まともな防御の出来ないゴブリンたちはなす術もなく倒れていった。


 ふっと、映像が消える。


 攻めてくると決まったわけではない。だが、誰も誰もが自分たちは無関係だとは思えなかった。


 誰も口を開こうとしなかった。

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