第2幕 鎖と敷物
――あれほど激しかった暴風は、あっさりと止んだ。扇風機のスイッチを切ったかのような感覚に、千草はゆっくりと顔を上げる。
ファストフード店の店内は、暴漢が暴れ回ったかのように……いや実際そうなのだが、とにかく滅茶苦茶になっていた。机や椅子は散乱し、ドリンクサーバーは倒れ、窓ガラスは砕け散っている。そして、その中心には、ウェイター服姿の男が佇んでいた。そこに浮かぶのは醜悪な笑顔、瞳に宿るのは嗜虐的な光。
(……成程、ね。一番ダメなタイプだ)
自身を縛る鎖を静かに解き、宙に浮かぶ魚のように周囲に浮かせる。蛇のような金色の瞳を瞬かせ、残虐な笑みを浮かべる彼を見つめる。
仕事柄、そのような表情は見慣れている。今までに相手にしてきた犯罪者の中には、彼の同類は何人もいた。だから、と彼は唇を引き結ぶ。そういった類の人間は、意図的に好きにならないようにしている。
(多分、コミュニケーションもまともに取れない。前回戦った子と違って、無傷での決着は望めないかな……だからって、これ以上黒星つけて帰るのも、なんかなぁ)
スニーカーを軽く鳴らし、彼は男に歩み寄る。それを視界に収め、男は即座に別のじゅうたんを呼び寄せた。割れた窓から魔法のじゅうたんが飛び込み、複雑な魔法陣を描く。即座に飛び出してきた電気コードを鎖で弾き飛ばし、あるいは縛り返し、彼は男に目を合わせる。
「……僕を殺してから、ゆっくり勝利条件を果たす。そういう魂胆だね?」
「アッタリメェダロ? 何よりツマンネェ競技なんかするより、テメェを殺した方が! 断然オモシレェじゃねぇか!!」
「……ふぅん」
脳裏に浮かぶのは、MDCの同僚たる少年。彼もまた殺人を好む異常者ではあるが、目の前にいる男は彼とは比べ物にならないほどの狂気を孕んでいる。普段は割と常識人な霧矢とは違う――正真正銘の、極悪人。
「……纏え纏えよ。
呟くと、虚空から無数の細い鎖が降りてくる。サロペットの上から彼の全身を包み、鈍色に輝く鎖帷子を形成する。同時に虚空から降ってきた鎖鎌を手に取り、彼に向ける。脳裏で懐中時計のような音が、ゆっくりとカウントダウンを開始する。
――と、首筋に走る違和感。反射的に振り返ると、音もなく彼の背後に何かが滑り込んでいた。
「――ッ!」
虚空に浮かせていた鎖の一つを掴み、天井から伸びる照明に巻き付ける。反動をつけて勢いよく飛び退ると、背後の絨毯から爆発が起こる。一拍間に合わず、彼の後ろ髪がかすかに燃えた。ひっくり返ったテーブルを飛び越え、別のじゅうたんから襲い掛かる電気コードを鎖鎌で叩き落とす――と、首筋に針のような感覚、錯覚。
「ギャッハハハハッ!!」
嗜虐的な笑い声が響くと同時、背後で果物ナイフがきらめいた。反射的に飛び退り、両側の壁に張り巡らせた鎖で防ぐ。果物ナイフというものは、切れ味は決して良くない。金属製の鎖を切り裂くことはできないだろう。同時に鎖鎌の鎖部分を引き、彼の頭部を狙って叩きつけるけれど――ガィンッ、と金属をぶつけ合わせたような音が響いた。
「ハハッ……甘ぇ、甘ぇな! 『メタライズ』!!」
「……っ!?」
金色の瞳を見開くと、男の全身は金属製の鎧に覆われていた。同時に果物ナイフにも魔法陣が展開され、巨大な剣に変化する。それはまるで、あらゆる存在から搾取する暴君のように。
重い音を立て、大剣が振り下ろされる。それは耳障りな金属音を立て、鋼鉄製の鎖に食い込み――。
「ギャッハハハハ! 潰れちまえェ!!」
「鎖よ――ッ!」
最短の詠唱と同時、何本もの鎖が大剣に巻き付いた。金属質な音とともに剣を押しとどめ、火花すら立てながら拮抗する。響くのは金属が擦り合う耳障りな音と、男の叫び声。しかし鎖の強度は強く、そう簡単には千切れそうにない。
(――今ッ!)
照明に引っ掛けた鎖を手に取り、反動を使って張り巡らせた鎖を飛び越える。宙に浮いたまま片手を勢いよく下ろし、反射的にこちらに視線をやる男に笑いかける。それはまるで罠師のように、女郎蜘蛛のように。
「は……?」
男の声が漏れると同時、彼の足首に一本の鎖が巻き付いた。それは勢いよく縮み、男の身体を遠慮なく引き倒す。同時に四方八方から鎖が彼に巻きつき、両腕に、両脚に、首に、片端から食い込んでゆく。あっという間に、八つ裂きの刑を思わせる拘束が完成してしまった。
「͡コノ……クソヤロウ……ッ!」
「うん、見た感じ拘束完了……かな」
「チッ……!」
憎々しげな瞳が千草を貫く。彼はなんとか拘束から抜け出そうと藻掻くけれど、その度に鎖は逆に食い込んでゆく。荒れ果てたファストフード店の中、ウェイター服姿が鎖で拘束されている様は、まるで冒涜的な芸術作品のようだ。鎖が肌を貫通するには至らないあたり、男は人間ではないのだろう。それでも、と千草は金色の瞳を瞬かせる。その表情には何も浮かんでおらず、まるで虫けらでも眺めるかのように。
「それじゃあ、両腕両脚それに首、引き千切っちゃおうか」
「サセルカっての……! ラァッ!!」
鋭い掛け声。同時に彼の両腕両脚が鎖から抜ける。思わず千草が金色の瞳を見開き、その手首に視線をやると――挟まっていた太い金属製の腕輪が、粒子となって消えてゆく。
「成程ね……金属を挟んで、いつでも抜けられるようにしたってわけね。でも、首の鎖が取れない限りはどうにもならないよね? 君はワンチャン人間じゃないっぽいけどさ、どっちにしろそのうち首もげるなり窒息するなりして……死ぬよ?」
「ハッ……そうなる前に、ゲホッ、殺せばいいだけだろうが……」
「悪い子だね、君って」
「ギャハハッ……! 《極悪魔人》に、向かって……ッ、何言ってやがる……!」
負け惜しみ、だろうか。未だ不敵な笑みを浮かべる男、その両腕がゆっくりと持ち上げられる。遠くから何かが迫ってくるような音がするけれど、気のせいだろうか。
千草は小さく息を吐き、軽い音を立てて床に着地した。空いた片手にもう一本、鎖鎌を落とし、新たに召喚した手錠で彼の腕を縛りつける。そのまま腕を照明から伸びる鎖で固定し、両手首に鎖鎌を食い込ませた。人間ではない彼の表皮を刃が削り、食い込み、貫いてゆく。同時に首に細い鎖が食い込み、徐々に肉を断ち切ってゆく。
芝村千草という人間は。
好きではない人相手なら、どこまでも残酷になれる。
しかし、それでも目の前の男は笑みを崩さない。何かしらの策があるのだろう――だが、その策が成就しようとしまいと、関係はない。首さえ断ち切れば、いくら人外であろうと、流石に死ぬだろう。それが叶わずとも、手首を落とせばハンバーガーを食べるのにも支障が出る。それこそ霧矢や雫と同じ系統の能力者でなければ、だが、おそらく男はそうではないだろう。
「なァるほど、ナァ……テメェは鎖や、それにまつわる物体を召喚できる能力者、ってわけかァ」
「……?」
「それなら、ハッ……俺の方が上手ミテェダナ……!」
その声に、負け惜しみのような声は不思議となく。反射的に飛び退っても遅い、お遅すぎる。気付いた時には、轟音はファストフード店全体に迫っていて。
「敷物には敷石も含まれる……! そんでもって、『隕石』も石なんだよッ!!」
「そんな、そんなことって――!?」
そして、無数の隕石が、店を叩き潰さんと降り注いだ。
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