第2幕 話が通じない

「……っ」


 雫はそっと歩を進める。周囲一帯に広がるのは、無数の物品を展示しているフリーマーケット。発電機やつけっぱなしのラジオの騒音が響く中、彼女はテントの一つに近づいた。ハンマーやクマのぬいぐるみ、ヘアブラシにオリーブオイル。統一性などない雑多な品物たちを見つめ、雫は小さく溜め息を吐いた。


(……覚えられる、気がしない)


 セーラー服のポケットに手を伸ばす。薄い板状の機械を探すけれど、事務所に置いてきてしまったのか、スマートフォンは入っていなかった。それがあれば、少しは楽だったかもしれないのに。

 しかし、だからといって手を抜くわけにはいかない。頬をぱしぱしと叩き、無理やりに顔を上げる――と、甲高い声が耳をつんざいた。


「あはっ! いろんなアイテムがより取り見取り! ここにあるものって、普通に持って帰ってもいいんだよね? くだらないゲームなんて知ーらない! ここにある素敵なアイテムは、ぜーんぶ! あたいが貰うんだよっ!!」


 キンキンと脳を貫くような声。さほど遠くない場所から発せられたそれに、雫は弾かれたように振り返った。黒いレインコートを翻し、腰の小型拳銃に触れる。怯えたように揺れる瞳が素早く走り――一人の少女を、捉えた。


 派手な動きと共に長い金髪が揺れる。極彩色の道化服に包まれた身体は扇情的なラインを描き、碧眼はあらぬところを見つめていた。両腕は雑多な物品を抱えていて、その中には彫刻刀やカエルのおもちゃ、山吹色のマフラー、クマのぬいぐるみ……

 ……ぬいぐるみ?


「――ッ!」


 反射的に背後のぬいぐるみを掴み、少女に駆け寄る。その腕の中からぬいぐるみを奪おうと手を伸ばし――刹那、少女の腕の中からカエルのおもちゃが飛び出した。


「ひっ……!?」


 反射的に飛び退り、雫は青い瞳で少女を見つめる。意図していないことだったのか、少女はきょとんと首を傾げた。その碧眼がゆっくりと動き……雫の片手がぶら下げているぬいぐるみを、捉えた。


「ああーっ!」

「ひぃっ!?」

「可愛いぬいぐるみがもう一つ! あたいはなんて運がいいんでしょう! ね、それちょうだい! あたい、それすごく気に入ったから!」


 無邪気な色を宿す碧眼は、雫のことなど眼中にないようで。彼女はぬいぐるみを胸の前に抱え、ふるふると首を横に振った。青く長い髪が左右に揺れる。射貫くような青い瞳にも、少女は笑顔を崩さない。


「うふふ! その子なんて可愛いんでしょう! モテモテね! だけどその子とあたいは運命なんだよ! だからちょうだい!」

「……はい……?」


 何を言っているのかわからない。というか、これはゲームではないのか。ペアに触れると消滅してしまうということを、彼女が分かっているとは思えない。青い瞳をすっと細め、雫は震える声で問う。


「……あなたは、何者ですか……?」

「あたい? あたいはマルガレーテ・ファウストだったり、コールサイン・プロローグだったりするよ! 今はそのクマさんの運命の人! さあさ、その子を渡してちょうだい!」


 マルガレーテ・ファウスト。コールサイン・プロローグ。どちらの名で呼ぶべきかはわからない。ただ、ひとつだけ確実なことがあった。


(この人――話が通じない)


 青い瞳から、光が消えてゆく。怯えたように引きつった口元が、徐々に緩んでいく。まるでスイッチを切り替えるように、表情が、雰囲気が変わっていく。一瞬、完全な無表情を挟み、唇を三日月形に歪める彼女は――瀬宮雫だが、同時に別の人間で。彼女はプロローグを蔑むように目を細め、言葉を吐きだした。


「……付き合ってられませんね。それでは、こうしましょうか」

「んん?」


 少女に歩み寄り、片手をそっと差し出す。青い視線が見つめるのは、プロローグの手の中にある彫刻刀。


「んん? なにそれ?」

「交換条件です。、いただけますか?」

「残念、無理です、お断り! これもあたいのものだもの! そのクマさんもあたいのもの! 早くあたいに返してよ!」

「そう言わずにください、よッ!」


 軽く地を蹴り、少女に接近する。その頬に指先を伸ばし、触れようとして――拒絶するように手を払われる。しかし、二つの手を繋ぐように透明な管が伸びた。採血でもするかのように、プロローグの指先から不可視のエネルギーが吸われてゆく。雫は口元を三日月形に歪め――はた、と止まった。


「……?」


 生命力に、違和感。まるで人間ではないような……異形の怪物に、堕ちてしまったかのような。天賦ギフトとも違う、これは、一体――?


「くれないんだったら! 力づくで奪い取るしかないみたいだね! それではお覚悟を! はじまりはじまり、なの!!」


 理解を求めるように細められた青い瞳に、徐々に変化していく少女の身体が映った。巨大に、そして極彩色に。理解の及ばぬ生物、いや、ソレはきっと生物ですらない。


「……面白いじゃないですか」


 極彩色の凱旋門を前に、雫は薄く笑う。

 初手からトップギアで走り出す凱旋門を避けるように、彼女は横に跳び退った。

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