9話:バレンタインデー(後編)
二月十四日、バレンタインデー。
バレンタインデーといえば、ここ数年はSNSにイラストを挙げるだけのイベントだったが、今年は違う。
「チョコレート買うなんて久しぶりだなぁ……」
手作りにしようとも思ったが、やめた。私はお菓子作りは得意ではない。というかそもそも、料理が苦手だ。
女なら料理が出来て当たり前と考えていた元カレならともかく、みーくんなら手作りでも既製品でも関係なく喜んでくれるはずだ。
前もって予約していた店に取りに行き、家に帰って自室の冷蔵庫に入れて『今日は渡したいものがあるから早めに帰って来てね』と、彼にハート付きのメッセージを送る。
すると『楽しみにしてます』とすぐに帰ってきた。時間的に昼休みなのだろう。『おう』と親指を立てる絵文字と共に返信をして、アプリを閉じる。
「さてと……」
バレンタインデー用に下書きしておいたイラストを清書し、SNSに挙げる。今年は、照れながら美桜にチョコレートを渡す水蓮。そしてそれを微笑ましそうに見守る結城家の使用人達という構図で描いてみた。ファンからのリプや引用リツイートに紛れて、担当から「進捗はいかがですか」とメッセージ。作業場を撮影し、今から仕事しますアピールをしてから仕事に取り掛かった。
「……ふぅ」
「お疲れ様」
「うおっ。いつの間に。早いな」
「鈴歌さんが早く帰って来いって言ったんじゃん」
作業を終えて一息吐くと、いつの間にか帰ってきていた彼が温かいゆず茶をくれた。冷えた体が芯から温まっていく。
「ご飯、出来てるよ」
「ありがとう」
彼はいつもそうだ。帰ってきてご飯が用意されていないことに文句を言うどころか、逆に作ってくれる。
「……なんか、申し訳なくなるな。君も仕事してるのに」
「えー?良いよ別に。僕、料理好きだし。それに、仕事してるのはお互い様でしょ。それより、どう?クリームシチュー。ルーから手作りしてみたんだけど」
「……通りで懐かしい味がするわけだ」
昔、彼の母親の家でクリームシチューを食べたことがある。あれは確か、中学生の頃だ。親と喧嘩をして家出をした冬の日だった。
「あぁ、あったね。そんなこと」
「あの時は危うく海さんにガチ恋するところだった」
「鈴歌さん年上好きだしね」
「けど海さん、バーでお客さんと話してるの聞いてると遊び人の片鱗がちらちらと見え隠れしてるんだよね……実際、相当遊んでたらしい」
「親のそういう話聞きたく無いんだけど」
「あははっ。ごめんごめん」
「……てか、鈴歌さんも人のこと言えないでしょ」
「今は君だけだよ」
「うわっ。遊び人っぽい台詞」
「冗談だよ。遊んでたのは……まぁ……事実だけど。浮気はしたことないよ。好きな人が出来るとその人しか見えなくなるタイプだから。浮気は出来ない。みーくんが好きだよ」
「……ありがと」
「例のものは飯食ったら渡すね」
「うん」
夕食を終えて、自室に戻って冷蔵庫を開けてラッピングされたチョコを取り出す。彼に渡すと、ギョッとしていた。
「このチョコ、めちゃくちゃ高いやつだよね」
「まぁ……そこそこ。……えっ。もしかして重かった?引いた?」
「ううん。すっごく嬉しい。こんな高級チョコ貰ったの初めてだからびっくりしちゃった」
「そ、そうか。良かった。奮発した甲斐があったよ。あ、三倍返しとか考えなくて良いからね。気にせず食べて」
「ありがとう。いただきます」
チョコレートを一つ口に放り込んだ瞬間、彼の目が輝く。何も言わなくても美味しいと伝わってくる。今までチョコレートを渡した男性の中で一番良い反応だ。今までの恋人達は——思い出したくもない。
「鈴歌さんもどうぞ」
「君にあげたんだ。君が全部食べな」
「えー。食べきれないよ」
「じゃあ、一粒貰おうかな」
「うん。食べて食べて」
差し出された一粒チョコレートを彼の手から口で受け取る。さすがに高級なだけあって美味しい。
「ナッツ入りのチョコっていいよねー。僕好き」
「知ってる。だから選んだ」
「ふふ。ありがとう」
「……どういたしまして」
一粒一粒、美味しそうにチョコを味わうその横顔が堪らなく可愛いくてたまらない。
「いちゃいちゃしたくなってきちゃった」
「あと一粒あるから待ってね」
「食べさせてあげる」
最後の一粒のチョコレートを奪い、口に含んで、舌先の体温で少し溶けたチョコレートを彼の口の中に移す。
「美味しい? みーくん」
「……やると思った」
「そう怒らないでよ。さ、食べ終わったし、お風呂一緒に入ろう」
その後は一緒にお風呂に入って、いちゃいちゃして——その日は25年間生きてきた中で今までで一番幸せなバレンタインデーとなった。
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