第69話 ん……!

 第65話での、魂の叫びを覚えておいでか……?


「だからぁっ、イチャイチャなんてしてねぇだろっ! たまには、ホントにイチャイチャくらいさせてくれよ。なんで、大槻おおつき(仮名)は、いつもいいポジションにいやがるんだよ?」



 渡瀬わたらせくん(仮名)……、切実だった。イチャイチャ……したかったんだね。

 そうだよね、恋人(この呼び方は恥ずかしい♡)としてつきあい始めて、およそ2ヶ月。

 わたしが、悪戯心いたずらごころに駆られて、渡瀬くんの腕に絡みついた時か、わたしがいきなり倒れて、保健室まで抱き抱えられて(これも恥ずかしい♡)行った時以外、触れ合うことなんてなかったもんね。


 わたしだって、極々普通の女の子なわけだから、好きな人(この言い方も……♡)には、ぎゅっ……くらいはしてもらいたい。その先のことだって、期待しないわけではない。

 ただ、そんないけない願望を抱えている割には、わたしの目の前には、高く大きな障害が立ちはだかっているのです。


 それは、抱きしめようとかして、わたしの前方から伸びてくる手の恐怖……。

 幼少の頃、負ったトラウマが払拭できていないのです。最近では、ほぼ毎日、夢にまで現れ、わたしの睡眠時間も削っていくのです。

 渡瀬くんが、そんな負の感情(首を絞めて◯してやろう……みたいな)で手を伸ばしてくることはない……のは、当然、解ってます。でも、体が、それを理解してくれません。

 あぁ、ごめんよぉ、渡瀬くん。わたしも、きみに、ぎゅってされたいんだよ、ホントは。


 なぜ、こんな話を書いているのか……?

 渡瀬くんも、わたしのそれを知ってるから手を出せないんじゃないか? だから、優しい渡瀬くんは、いっぱい我慢をしてると思うよ……みたいな、友人たちからのありがたい助言の数々。

 そんなことが、土曜日のお昼の話題に登りました。


「ひな(仮名)はさぁ、後ろから抱きつかれるのはだいじょうぶなんだよな?」

「そうだね。知ってる人限定だけどね」

「わたしがいつも、背後から抱きついてるけど、それは、平気なんだよな?」

「うん」

「ひな、よくお父さんに抱きついていくよな? 自分からは平気なんだ?」

「うん。自分からいって、それから抱きしめてもらうのならだいじょうぶ」

「そういうのはだいじょうぶって言わない!」

「だってぇ……」

「だってぇ……じゃない! それじゃあ、これからも渡瀬とはイチャイチャできないってことだろ? 残念だったな、渡瀬!」


 美亜ちゃん、どこ見て言ってんだ? あ、渡瀬くんの肩が小さく動いた。聞き耳立ててたな?


「そんなことないよ! わたしから抱きついていけばいいんだし」

「ちょっとぉ、真琴まこと(仮名)、莉緒りお(仮名)、聞いたか? ひなが自分から抱きついていくんだって。積極的だねぇ? じゃあ、渡瀬のためでもあるし、ここで実践してもらうか?」

「なぜ、そうなる?」

「ホントに、ひなのその考えでだいじょうぶなのか……、友人としては把握しておく必要があるとは思わないか? 渡瀬、ちょっとこっち来い」


 友人たちは、瞳を爛々と輝かせて、わたしたちを見ていた。渡瀬くんは、わたしの目の前で、頬を紅くしている。でも、わたしは、もっと紅くなってたかもしれない。覚悟を決めて……。


「ん……!」


 両手を広げて、目の前の渡瀬くんを誘ってみた。彼がゆっくりと近づいてくる。わたしの手が届く距離だ。ぎゅっと抱きしめてみる。お父さん以外では初めてだ! 自分からやっておいて、ドキドキする。


「もう、だいじょうぶ……。渡瀬くんはしてくれないの?」



 これは、わたしと親友みあちゃんと、そのほか、少ない友だちを巻き込んだ、掛け合い語録。


 捻りもオチもないけど、彼女みあちゃんがいなかったら、今のわたしはいなかったと思うし……。


 上目遣いで、渡瀬くんを見つめるわたし。そんなわたしの要求に、渡瀬くんが応えてくれようとした時だった……。


「はいっ! 教室で、そこまでイチャイチャしないでね!」


 わたしたちの担任が、教室入り口で、腕組みして立っていた。残念っ! 渡瀬くん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る