第9話 立つ鳥跡を濁さず
昼晴ナカトミホールのエントランスロビー。
文一は小林に
小林はか細い声で、つぶやくように謝っていた。
「すみません……すいま……せん、……俺は……知枝さんを……巻き込んだ……」
「──“知枝さん”なんて呼んでんじゃねぇっ!!」
文一の一喝が、広いロビーに響き渡る。
「やめておけ」
そんな彼の元にジャックが歩いてやってきた。先ほど文一の拘束を解いてくれた時夫も一緒である。
「止めんなよ! ……こいつのっ……こいつらのせいで、お前や俺や……知枝は……!」
「もう俺達は無事だ。警察が来る前にそれを捨てろ」
「こいつは知枝を、俺達を殺そうとしたんだぞっ……!」
文一は怒りでその声と、銃を向ける手が震えていた。
こいつはまだ、“これから殺される”という恐怖を味わっていない。──そんな言葉も込められてるように聞こえた。
だが、銃を向けられている小林は怯えや恐れの色を見せず、命乞いもせずただ、悟ったように黙って文一を見据える。
ジャックが言った。
「確かにそいつは罪人だ。裁かれるべきだろう。だが裁くのはお前でも俺でも無ぇ」
「ハッ……それで次に“復讐なんて良くない”とか言う気だろ?……」
「確かにこの世の中、理不尽なことの多くは泣き寝入りだ。復讐なんぞ滅多にありつけない。……俺が奴の情報漏洩を暴いたり告発したのも復讐だった。それがこの事態を招いた。人のことは言えねぇさ」
「じゃあ、口を挟むなよ!!」
震え声を無理に張り上げる文一にジャックは言い放った。
「よく聞け! いいか! お前がそれ以上やろうもんなら、それは復讐じゃない! ただの憎悪だ! ……家族も友人も捨てたらこいつと同じ──、こいつを撃つってんなら、お前は永遠にこいつ以下になるぞ」
それを聞いた文一は、しばらく躊躇して──銃を下ろす。その銃はそのまま彼の手から床に落ちた。
文一の目から雫が溢れる。
「──おかしいだろっ……! こいつが……知枝を巻き込んで……、なのに、あんなに蹴られても、ずっと知枝を……俺は! 俺はっ……何もできなかったのに……!」
その本心が嗚咽と共にロビーに響き渡る。
「で? それでストーカー野郎に負けたと思うのか?」
ジャックが訊くが、文一は嗚咽を漏らし続け、返答をしなかった。
「──冗談だろ? 誰もお前を幻滅も、怒りも、笑いもしないし、ましてや、あんなことが愛の証明になるってんなら、俺はドン引きだよ」
すぐそばにいた時夫が泣いている文一の背中をさすった。
ジャックは、
「時夫、文一を」
──知枝の元に送ってやれ。
その言葉に時夫は軽く頷くと、文一と共に劇場ホール内へ、ゆっくりと踵を返していった。
すれ違うようにして、千咲がジャックの元へやってくる。
「……地下のエレベーターで、近藤達がノビてるから運んでおいて」
「エレベーターごと下に落としたのか」
そう言いながら、ジャックは床に落ちた銃を回収する。
それとこれ、と千咲はジャックにスパークして無残になったスマホを渡した。
ジャックは受け取ると、
「今回もお前に助けられたな。いずれこの借りは返す」
「……別にそんなの求めてないし、私達は自分の意思でここに来たから」
「そうか……ありがとな。……──『Yankee Doodle』か」
千咲は、アメリカ独立戦争の歌を奇襲の合図に使っていた。
その直前にも、頭上の足場にいる汐音によって目薬か何かの水適が、膝に落ちてきたことで奇襲作戦の大体は理解していた。
「……問題は無かったでしょ」
「まぁな、あれで確信できた」
「──彼はどうするの?」
千咲は小林を見ていった。
知枝の元ストーカー。近藤の部下でありながらイエスマンにならず、必死で知枝を守った男。
そして、卑劣な殺害計画に加担した犯罪者である。
「すいません……堂垣さん」
掠れた声で謝辞が入る。
「何、けじめはつけさせてもらう」
そう、ジャックは言って、指をゴキゴキと鳴らした。
小林は先ほど銃を向けられたときと同様、黙ったままの反応だった。
昼晴市の天気予報は見事に外れ、小雨が降っていた。
昼晴中央病院の表では、病室で坂東を殺そうとした女が、戸石が呼んだパトカーに乗せられていた。
小雨の中、そのパトカーの前で、戸石は緑岡にボヤいていた。
「ったくよぉ〜〜、どうして毎年クリスマスはやべー奴らばかりなんだ? ええ?」
「知りませんよ。──てかどうするんです? この女」
緑岡が車内で死んだ目をした女を親指で指す。
戸石は頭を掻きながら、
「こいつ取り調べたら、なんか吐いてくれっかなぁ」
「坂東丈の関係者臭いの確かですが、やはりジャックこと堂垣君を探した方が良いのでは?」
「それはそうなんだよな……む」
戸石のスマホに着信が入る。
「噂をすれば……──おい、堂垣! お前どこで何してんだ? ……何? ナカトミホール? どこだ、そこぉ!?」
中央病院内。先ほど女を投げ飛ばした公安刑事が、窓から戸石達を見下ろしつつ、スマホで連絡を取っていた。
「──はい。……昼晴ナカトミホール……すぐに別の捜査官を向かわせます。……はい、先ほどの女も昼晴の刑事に任せました。いずれ回収に……──了解です」
そしてそのナカトミホールの地下。四人がそこのエレベーターを開けると、中にはズタボロで床に転がる近藤の姿があった。ジャックが、
「もう一人は?」
千咲に訊くが、首を横に振る。
目の前の近藤はつぶやくように答えた。
「がはっ……あのタンカス野郎……私を下敷きにして逃げた」
もうさっきまでの覇気はなく、苦悶の混じった声だった。
「まだ近くにいるかもしれねぇ。外を見てくる」
ジャックは、すぐそこにある地下の搬出口のドアから屋外に出ていった。
その場に残った三人を前に、近藤が嘲笑を混えて言った。
「アウトローを……孤高を気取っていた男も……所詮は孤独に耐えられなかった、ガキだったってことだ……」
この三人の存在を知らず──知っていたとしても彼女らが事態を悟り、助けに来ることを予期できなかったことが近藤達の最大のミスだった。
そして、確かに今回はジャック一人の力で解決したものではない。それは誰が見ても明らかである。
しかし──
「はぁ!? だから何なの? アイツが一人だろうとそうじゃくても──」
「……彼もあたしも人の孤独を否定したりしない」
「あ、あと人を殺そうとしないし、女も襲ったりしないね」
ジャックの友人達は、一斉に言葉を返した。
それを聞いた近藤が、そのまま怒りに震えて口を開く。
「ガキ共がっ……! お前らなんてな……この社会じゃ──」
だが、彼の惨めな台詞をかき消すように、エレベーターのドアが閉まった。
──こうしてクリスマス・イヴの誘拐、殺人未遂事件は終結した。
昼晴ナカトミホールに警察が到着、現場が抑えられると、近藤、小林、その他関係者10名が、無事逮捕された。
現場検証の後、ジャック、時夫、汐音、千咲は取り調べを受けるため、警察官と共に昼晴署へと同行する。
文一と知枝は被害者ということで病院へ搬送されたが、『病院で文一が彼女に別れを切り出した』という報告が、後ほどジャック達に伝わった。
12月24日、23時56分のことである。
──時は流れる。
クリスマスが終わり、年は明け、そしていつしか正月も終わり──
──【1月9日】
朝8時。太陽が照りつけ、澄んだ空の埼玉県昼晴市。
「また始末書ですか、戸石さん」
昼晴警察署内、強行犯係のデスクでは、始末書を書く戸石刑事と、それを咎める緑岡刑事の姿があった。
「お前が実家で雑煮食ってる間に、“年明け暴走族”とカーチェイスしてたんだよ」
「この前も書いてましたよね? ──ナカトミホールの一件、何か判りましたか?」
「堂垣達から全て聞いただろ」
「いえ、公安の方です」
戸石が半笑いで、
「ハハ……俺が分かるわけないだろ。近藤達の件は公安の管轄下に入ったらしいが」
ですよね、と緑岡が肩を落とした。
「どうした?」
「──戸石さん、坂東丈を覚えてますか?」
「まだボケちゃいない」
「例の病院で調べてきたんですが、26日に亡くなったそうです」
2人の会話が不穏な空気に包まれる。
「……まさか公安が?」
「公安はそんな組織ではありません。ですが、やはり裏があるんじゃないかと僕は思います」
「奴は昏睡状態だった。普通に死んだ可能性もある。何とも言えん……緑岡、俺らには追求はできんよ。確たる証拠も無く牙を剥こうものなら、いずれは陰謀論者に成り下がる」
その言葉を聞いても黙りこくる緑岡に、
「まぁ、何、複雑なことを考えなきゃ複雑なことにはならん。『人生はシンプルで、シンプルなことが正しいんだ』!」
戸石はオスカー・ワイルドの言葉を引用すると、立ち上がってタバコをくわえる。
「警察官が、その発言はどうかと思いますよ!?」
「課長曰く10時から会議だとよ、忘れんな〜」
そう、言いながら喫煙室へと消えていった。
その頃、成田空港では普段と変わらず、人と人が行き交い、賑わっていた。
その中にコートを着てトランクケースを転がす、文一の姿があった。
彼が空港内のファーストフード店に立ち寄り、席でチーズバーガーを食べていると、向かいの席に男が座ってきた。
「よっ」
「ジャック……」
二人はファーストフード店を後にし、ジャックはフライドポテト、文一はチーズバーガーを食べながら空港内を歩く。
ジャックが訊いた。
「知枝と別れたって聞いたが、本当か?」
「……ああ。別に小林のせいじゃない。留学のことはイヴに打ち明けるつもりだった。でも今まで言い出せなかったのは、『これが原因で“恋人”を失うかもしれなかった』。それが怖かった」
「……そうか」
「俺があの時、小林が許せなかったのは、殺されかけたこともあるが──自分の女を守れなかったからなんだ」
「おい、あの時言ったはずだ。誰もお前を──」
「違うんだ」
文一が首を横に振った。
「俺はずっと知枝のことを“自分の女”としか見ていなかった。……あの日、それに気づいた。でも知枝に別れを切り出したとき、必死に別れたくないって言われたんだ。『あなたの束縛も命令も、もう大丈夫だから』って。……笑えるだろ? 初めて知ったよ。──俺、あいつを束縛していたんだ」
遠い目をしながら文一は続けた。
「普通にあいつのためだと思っていた。でも違ったんだ。自分の女ならこうであるべき、と理想を押し付けていた。それでも知枝は、ついこの前まで復縁をせがんでたんだ」
「考え過ぎだ。カウンセリングを受けろ。全てが間違いだと思うのは良くねぇ」
「悪い……」
「とりあえず、好き嫌いの矯正とかはもうやめておけ。次からはな」
「知ってたのか」
「……まぁ、な」
小林からの依頼で知った“束縛”の一部分。それも裏は取れていた。
「だとしても……恋愛や友情も──生き方も、結局どうすべきなんだろうな……?」
「……その答えは簡単には見つからねぇさ。ニューヨークにある保証もない。だが探すことはできる」
「探す……」
「ただ探すことにこだわるな。これまでの経験や、新たに得た情報を見極め、選択し、考察する。それら全てが意味を成すとは限らねぇ。だが、答えを探し求める自由は常にあるんだ。俺達にはな」
「その答えを俺が決めろと?」
「そうだ。生きていく上で支配しないこと。されないこと。──誰かが求めた答えに生きるんじゃなく、自分の答えを模索するんだ。……お前の選択が間違っていたのか、あるいは反省すべきなのかも、お前が考えて決めるんだ」
それが
持っていたチーズバーガーを食べ終わると文一は、
「また恋人作れるかな?」
そう、ジャックに訊いた。
ちょうどジャックもポテトを食べ終わったところだった。
「さぁな。お前次第だ」
「今年はクリスマスデートできるかな、あっちで」
文一の問いかけに、ジャックは鼻で笑った。
「知ってるか? 海外じゃクリスマスは家族と過ごすのがメインだ。カップルの日で定番なのはバレンタインデーだ」
「じゃあ、1ヶ月後の2月14日までに?」
「──さぁな。未来のことは俺にも分からねぇ」
「ははっ……やっぱ、──難題だよな」
やがてジャックと文一は足を進め、保安検査場前に到着する。そして、
「それじゃあ、ジャック。次に逢えるのは来年だ」
「それまで生きてろよ」
「お互い様だ。……世話になったな」
ありふれた、別れの言葉を交わす。
そのまま互いに背を向け、ジャックはその場から立ち去った。
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