第5話 ゲヘゲヘ

 鞍の上で方向転換をして、私はカイの胸の中におさまった。

 背後から伸びた腕が、器用に虎徹の口に噛ませた轡につながる綱を操る。


「カイさん?」

「なに?」

「カイさん、どうしてこんなのを操れるんですか?」

「さあ」

「さあって……」


 首を捻ってカイの顔を見る。赤い目はただ静かに暗闇に包まれた前方を見据えていた。


「俺も、あんたと同じ。プレイしていて落雷の音がして、気がついたら、虎徹に乗ってここにいた。虎徹の乗り方も、槍の扱い方も、魔法の使い方も、『カイ』が覚えていることは出来た」


 こっちは素っ裸で、洞窟の地面の上に寝転がってたってのに、防具に武器に魔法に乗り物つきか。


「カイさん?」

「……なに」

「予備の装備もってませんか?」

「ない。全部倉庫の中」

「そうですか」

「持ってても、俺の装備じゃひょっとしたら……」


 言い淀んだまま、ふいに口を閉ざしたカイは眉根を寄せて、首を捻る。


「したら?」

「……いや、今はいい。それより早くここから出よう。前を見てて。走らせづらい」


 はーい。と私は大人しく、カイの言葉に従った。

 タタンッタタンッ

 虎徹が跳ねるたびに、上下にぶれる視界。

 鞍の上にあっても、脚に力を込めて虎徹の体を挟みこまなければ、体が浮いて振り落とされそうだ。 私が、杏のままであったなら、とうに酔って、力尽きていただろう。オクトの体に感謝だ。


「カイさん?」

「……なに」

「カイさん、いくつなんですか? それぐらいなら聞いてもいいでしょう? あ、あと、中の人は女性だったりとかしません?」


 時折妙にソフトになるカイの口調に、私は希望を込めて尋ねた。どうせなら、同じ境遇の方が心強い。


「……歳は、あんたより下。それから本来の性別も男」


 嫌な質問を聞いたというように、答えるカイの声は低い。


「へえ。カイ、年下なんだー。落ち着いてるからてっきり年上かと思った」

「あんた、俺が年下だと分かった瞬間にそれ……」


 カイのため息が頭にかかる。


「だって、年上に畏まられると気を使うでしょ。という気遣いなんだけど? ところでレベルは? レベルはいくつ?」

「今は魔道騎士の99」


 なんだか色々と諦めたようなカイの声。


「ほおー、それってひょっとしてカンストしてる? カイってネトゲ廃人なの?」


 背後の体がぴくっと反応して固まった後、脱力するように力が抜けるのが分かった。


「あんたなあ。聞いちゃいけない質問ってのがあるだろ」


 ははは、ごめんね。いや、心強いよ。と言って脇を通る腕を鎧の上からぽんぽんと叩くと、またため息が頭にかかった。

 どのくらい虎徹で駆けただろうか。まだ然程距離を進んでいない気もするが、代わり映えのない洞窟の土壁が続いているからそう思うだけで、実は結構走ったのかもしれない。


「カイ」

「……なに」


 どんどんと、投げやりになっていくカイの声。

 でも、今はそんな事はどうでもよくて、私の意識は、目の前にどどんと立ちはだかる巨大なアレに集中していた。


「あれは、なに?」

「敵」

「いや、それは分かるけど」

「センジョ・レクス。攻撃を受けると背中のイボから四方に毒液を撒き散らす。得意技は――」

「ジャンプアタック~~~~~~!?」

「正解」


 でっぷりと太った体からは想像もつかない華麗な動きで、巨大なヒキガエルは洞窟の天井すれすれの位置まで飛び上がる。ゲヘゲヘという下卑た鳴き声が気持ち悪いことこの上ない。

 その白い腹の真下には、虎徹とカイと私。


「しっかり掴まって」


 言うなり、カイは器用に手綱を操って虎徹を真横へと飛び退かせた。


「ど~~~~こ~~~~に~~~~」


 絶叫しながら、獣の体をはさむ足にこれでもかというほど力をいれ、鞍の縁に指を食い込ませる。せめて綱を持ちたいけれど、そんな事をしてはカイの邪魔になると分かっているから持てない。

 さらに、前方へと一回ジャンプした後、くるりと向きを変える虎徹。


「無理! 無理無理無理! 落ちる~~~~~」

「黙って、舌かむよ」


 片手に手綱を持ちかえると、カイは鞍に括りつけてあった、槍に手を伸ばした。


「獄灼炎!」


 ぼっと槍の穂先に青い炎がともる。


「伏せてて」


 怒鳴ると共に、返答も聞かずに、カイは虎徹をゲヘゲヘに向かって走らせた。

 えええええ。逃げようよ~~~~。と主張したいが、喋ると本当に舌を噛みそうだ。

 私に出来る事といえば、振り落とされぬように足に力を込めて、指示通りに虎徹の背に腹ばいになるしかなない。「虎徹ごめん」と心のなかで断りをいれて、長い鬣を掴む。

 それからの事は伏せてたから見てない。

 ザシュッて音がして、ゲヘッて鳴き声がして、また虎徹の体が180度回転して、さらにズボッって音がして、ゲヘヘーって断末魔が聞こえて、「アイギス!」と叫ぶカイの声がして、キンって硬質な音が耳を打ったと思えば、ざばざばざばざばっと豪雨が降り注ぐような音がして、しーんと静かになった。

 虎徹の荒い呼気にまじって、背後でカイが2~3度深く息を吸い込む音がした。


「もう、顔をあげていい」


 あんまり、あげたくない。


「見ておいたほうがいい」


 ゲヘゲヘの死体を!?

 ……車にひかれた小さいカエルの死骸でさえ、あんなにぐろいのに、こんな特大サイズのカエルのなんて。


「はやく、消える」

「消える?」


 訳の分からない急かし文句に、私は涙目になりながら、そっと顔を上げた。

 でろんと長い下を伸ばして目をむいて息絶えたゲヘゲヘ、その横っ腹にはカイの槍が深々と突き刺さっている。

 やっぱりグロイ。

 目をそらす事も出来ずに、ゲヘゲヘの亡骸を見詰めていると、つつっと頭上から紫色の液体が滑り落ちてきた。

 ……滑り落ちてきた。空中の何もないところを、さもそこに何かがあるように、紫の液体が後から後から、流れていく。


「なに、これ?」

「アイギス。毒を被らないように、シールドをはった」


 ほほう、それは便利。

 カイを中心に虎徹をもすっぽりと覆っているらしい、シールドを滑り、紫の液体は綺麗に円を描いて落ちていく。


「ほら、もう消えるよ」

「なにが?」


 あれって踏んだらまずいのかな、等と、どんどんとたまる紫の液体に目を凝らしていると、後ろから伸びたカイの手が、くいっと顎をつかんで、顔を上げさせた。


「センジョ・レクスが」


 それは異様な光景だった。

 ぬらりと光るゲヘゲヘの体から、しゅうしゅうと音を立てて白い煙が上がっている。

 白い煙に包まれたゲヘゲヘの体は、その表面から、まるでパズルを分解していくように、ばらけて、蒸発していた。

 ゲヘゲヘは、言葉どおり消えていこうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る