第3話 魔女

「オネサーン、こにちはー! カレーよろしくー」


 カラカランというドアベルの音とともに、そんな素っ頓狂な挨拶をかけて店に入ってきた美星メイシンを見て、カフェ『ウィッチハウス』の店主の比良坂美波ひらさか みなみは何も言わずに冷蔵庫を開けて、大きめのタッパーから煮込んで冷やしておいたカレールーを取り出し、鍋に移して温めはじめた。

そんな美波の作業を見ながら、美星は勝手にカウンター前の席に座り、レジ前の席に陣取っていたブラウンタビーの毛並みを持つノルウェージャンフォレストキャットにも挨拶した。


「はーい、ミス・モリー。お元気デスカー?」


 ミス・モリーと呼ばれた猫は、つまらないものを見たという目つきで美星を一瞥いちべつし、プイッと顔をそらした。


「相変わらず変な発音するわね。素で話しなさいよ」


「まあ、ほら様式美って事で。それに日本人は、あたしら中国人がカタコトで話した方が安心するからね」


「素を知ってる私を偽っても仕方ないでしょ!」


 屁理屈を言う美星に美波とモリーが呆れた眼差しを向けた時、カラカランとまたドアベルが鳴り響き、来客を告げてきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 店内に入ってきた男性は困ったような顔を美波に向けた。


「あの……ここに来れば御守りとか作ってもらえるって聞いて……アーッ!?」


「あー?」


 大声を上げた男性を思わず見た美星は、一瞬、誰だっけ? という顔をした後で、ようやく彼が数日前に助けた男性――信二だった事に気づいた。


「ああ、従従ツォンツォンに襲われた男か……」


「お前、俺に何をしてくれたんだよ!」


 男性――信二の剣幕に、美星はムッとして睨んだ。すると、信二は助けられたことを思い出したのか、それともあの犬の恐怖が蘇ったのか、身震いさせて自分を抱きしめるように両手で自分の腕を抱き寄せた。


「はい? 助けてやったのに、なにその言いがかりは!?」


「それは……その……。ありがとう。で、でも、あの後から変な物を見続けるようになったんだ!」


「変な……もの?」


 それが何を意味するものか知っている美波の料理の手が止まり、戯言ざれごとなら聞き流そうとしていた美星はスツールの上で身体を回し、信二に向き直った。


「なにを見たの?」


「羽の生えた蛇が、空を飛んでるんだ! 俺、頭がおかしくなったのかと思って……。だから、ここに来て御守りを作ってもらおうって……」


 美星と美波は目を合わせて小さく頷きあった。


「話すのは、ちょっと待ってくださいな」


 美波はカレーを煮ていた鍋の火を止め、ザルと空いた鍋を用意した。さらにホーローの赤いケトルを火にかけ、湯が沸くまでの間に漢方薬の薬品棚を思わせるたくさんの引き出しのついた棚の前に向かい、そこから芍薬ピオニーのドライフラワーをひとつかみほど取り出した。

 芍薬ピオニーのドライフラワーをザルの上で、手でゆっくりと揉むようにして粗めに砕いてゆく。

 そうしている間にケトルで湯が沸き始め、美波はザルを空の鍋の上に置き、その上から熱湯を降り注いだ。

 ジュッ! という熱した鉄板に水を振りまいたような音が立つと、信じられないほどの量の水蒸気が立ちのぼり、店内に広がっていった。

 するとどうだろう。店内の空気が驚くほど清浄なものに変わっていった。

 呼吸するたびに肺に取り込まれる空気のおかげで、美星も信二も身体が浄化されるような晴れ晴れとした気分にさせられていく。

 店内の空気が変化するのを待ってから、美波は店内のあちこちに配置された素焼きのジンジャーマンのような人形を確認して回る。全てが割れていないことを確認してから、ようやくホッとしたように息をついた。


「ふぅ……。魔除けは効いているみたい。念のために空気を清浄化したからもう大丈夫かな? で、どこで何を見たのか、詳しく話してくださらない?」


 いったい美波がなにをしたのか分からないが、信二が調べたネットの噂では、この『ウィッチハウス』というカフェのオーナーは魔女という話だった。実際、今し方も〝魔除け〟という言葉を使っていたし、信二はその噂を信じて、ここにその〝魔除け〟の御守りを作ってもらいに来たのだ。

 静かだが有無を言わさないという圧がこもった美波の言葉に促され、信二はポツポツと話はじめた。


「数日前に……その人に憑かれてるって言われて、変な犬の妖怪から助けられたんだ」


従従ツォンツォンね。でも、退治したから問題無いはずだけど」


「翌日までは何もなかったんだけど……。その会社から帰る夜から、また、なにかおかしいって感じるようになったんだ。何か、重い物がズズッと引きずるような音が聞こえて……。またあんなバケモノがって思いながら振り返っても、何もいなくて……全部気のせいだと思った。だけど……」


「気のせいじゃなかった……っと」


 確認するような美星の言葉に、信二は何度も頷いた。


「それってさ、あんたを殺したいほど呪っている人間が、会社にいるってことよね」


「はあっ!?」


 ストレートな美星の言葉に信二はなにを言われたのかわからず、ポカンと口を開けたまま美星と美波を交互に見比べた。


「あんたがどんな人間か知らないけど、会社であんたを死ぬほど嫌っている人間がいるってことよ。だから、あの夜死ぬはずだったあんたを見て驚いて、新たな呪詛を仕組んだんじゃない?」


「な……なん……なんで……」


「呪いが続けば、呪われた人は呪詛じゅそを見ることが出来るようになる。だから、あなたを殺すように願っている人が放った新たな呪詛が、あなたには視認出来るようになったんですよ。羽が生えた蛇とは、あなたを狙う呪詛が具現化したものです」


 信二に詳しい呪いを説明する美波の言葉に、美星はある可能性に気づいた。

 そう、美星に羽黒という呪術師の誅滅ちゅうめつを依頼してきた今村は、姪にかけられた呪詛が見えていた。それはつまり、今村自身も同じ呪術師から呪われているということではないのか、と――


 その時、美星のスマホが震えた。

 着信を知らせるバイブレーションに気づき、あわてて電話に出る。相手は叔宝だった。


『美星。落ち着いて聞け。先ほど、今村さんが事故にあって亡くなったそうだ……』


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