声の記憶

宙夢

第1話:自分の声が分からない!




 広瀬秋良(ひろせあきら)は中学二年の時に声変わりなるものを経験した。

 最初は声が出し辛いな、といった違和感から入り、その後、一週間くらい声が出せなくなってしまったのだ。

 その間は筆記でなんとか場をしのいだのだが、声が出せるようになった時、秋良は混乱した。


(どうしよう。自分の声がわからない!)


 元々、声が自慢で音域も相当広かったし、家族、友人、芸能人なんかの色んな声真似をして遊んだりしていたのだが、声変わりした後は苦手だった低い音も容易に出せるようになった事で、より音域に幅がでて――結果よくわからなくなってしまったのだ。

 高い声から低い声まで座りの良い声を探してみるが、よく分からない。


(春兄は、どうやって自分の声を決めたんだろ?)


 ベッドの中で「あー」と声を出しつつ高音域から低音域まで出していると。


「秋ちゃん。喉の調子はどう?」


 朝、ベッドの中で発声練習もどきをしていた秋良に、母が尋ねてくる。


「母さん。自分の声って、どう出すの?」


 秋良は仕方ないので『母の声』で尋ねる。

 母は驚いているようだった。


「普通に声を出してみて?」

「普通って?」


 あ、こりゃダメだ。

 母の表情はそう表現し、しばし悩んだ後、掌をポンと叩いた。


「じゃあ、お父さんの慌てた時の高い声を真似してみて?」

「こう?」

「そうそう。自分の声が決まるまで、その声を使いなさい。母さん、お父さんのその声が大好きなのよ」


 そういう問題ではないような気がした秋良だったが、うちの母は筋金入りのマイペースだった。


「それから、秋ちゃん。ご飯よ」

「はーい。着替えたら行くー」

「ふふ」


 母は幸せそうに微笑んだ。

 うちの父は僧侶である。

 俗に言う坊さんだ。

 毎日、読経をしている為、近所で知らぬ者はいないくらい落ち着きのある美声だった。


 一方、母は声楽家で歌が非常に上手く、その上、自他共に認める程の声フェチだった。

 父に惚れた理由も、母の親戚の法事で呼ばれた父の声に一耳惚れ(?)したからなのだと豪語する。


「おはよー」


 部屋で詰め襟に着替えた秋良が食卓に出向いて、自分の席に座ると、既にテーブルで朝食を食べていた兄・春樹(はるき)と姉・夏海(なつみ)が秋良を凝視した。


「秋良。その声……」

「秋ちゃん。お父さんの声にそっくり!」


 二人とも驚いているようだ。


「でしょ〜! 母さん、秋ちゃんに惚れちゃいそう」


 母はそれぞれのコップに牛乳を足して回りながら、僅かに頬を染めた。


(いや、母さんがそうしろって言ったから)


 秋良は内心、呆れつつも箸を持って「いただきます」と父の声で声をかけた。


「そんなに似てるか?」


 そう言ったのは新聞を読んでいた父である。


「うん。お父さんの声とそっくりよ。私、大好き」

「父さんの方が低いけど、秋良の声も好き」


 夏海と春樹は、にこやかに末っ子の秋良を見つめた。

 広瀬家は皆、仲良しである。


「まあ、筆談がなくなって良かったな。秋良」


 父は新聞から目を離すと、秋良を見つめた。


「うん。本当に良かった」


 あとは自分の声を定めるだけである。


「春兄、帰ってきたら部屋入ってもいい?」


 高校二年生の長男である春樹は、音楽マニアで、自室にありとあらゆる音源を溜め込んでいた。


「ああ、いいよ」

「ありがとう!」

「秋ちゃん。暇なときに声録音させて?」


 高校一年生の姉は、趣味で様々な声を集めていた。


「いいけど。まだ安定してないから、変わっちゃうかもよ?」


 秋良は、今後声が変わる事に対しての保険をかけておく。


「だったら、急がなくちゃ。スケジュールを確認して……」

「あ。夏姉、時間ある時にコレクション聞かせてよ」

「いいわよ〜。録りたてピチピチの聞かせてあげる」

「楽しみ!」


 手っ取り早く、兄や姉のコレクションの中から気に入った声を探す事にする秋良だった。



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