20.自戒
女王は過去に起きたことをつぶさに語った。その時代の者たちが、今は生きていないことが、この話を真実と裏付けをすることができないが、女王の語り口からは、偽りを語っているような様子はなかった。それでも、スノウは依然として怪訝な様子だった。
「それが本当にあった事実なのであれば、なぜあなたは、師匠とアイハムを救い出さなかったのだ。あなたがその気になれば、可能だったはずだ」
静かではあるが凄みのある口調に、その場の空気が緊張感に包まれる。
「私も突然の出来事で混乱してしまったのです。この次第を理解したときにはもう……」
スノウの責めに反論するが、そう言った女王の表情は沈んでいた。確かに、あの場にいて、アンメイザはもちろんのこと、復交を望み互いに信頼を築こうとしたアイハムの命を救えなかったことが、自責の念となり、女王を嘖んでいることがわかる。
「ならば、襲撃者は誰だったんだ。魔法が使われていたのであれば、そちらに敵意があったことは明白だ」
女王の反論に、スノウは食い下がる。
「いえ、私は供を連れていませんでした。故に私の配下がそのような事に及んだとは思えません。しかし、私の権威から逸脱した者たちが、犯行に及んだことは否定できません。私も襲撃の首謀者を探ってはみたものの、見つけ出すことはできませんでした」
女王の失意の表情が、更に深まり、健二はその様子を見ていられなかった。女王は付け加えるように言葉を継ぐ。
「あの状況から、襲撃がカトラリアによるものだと断定されることは、考えずとも明らかでした。アンメイザと前国王の死は、スエーデンの民の心に深い悲しみと憎しみを植え付けることになり、両国の感情的な溝が更に深くなったことは言うまでもありません」
女王の言葉が悲痛な叫びに聞こえてしまい、健二はこれ以上、自責の念に駆られる女王を見ていたくない一心で、思わず口を挟む。
「ねえ、この会談は何が目的なの……お互いを理解し合うために集まったんじゃないの」
健二は互いに責め合い、責任を擦り付けようとする女王とスノウの頑迷さに失望した。両国に感情的な溝があることは、知っている。だが、このまま互いが憎み合い、領土を奪い合おうすることで、人々の命が犠牲になってはいけない。
利益の為の今を見つめるより、両国にとって良好な関係を築こうとする方が、長期的な安寧と将来を見つめる上では、優先すべきことではないのか。
健二の言葉を嘲笑するかのように、スノウは低く笑う。
「君はあまいな。そして愚かだ。この世界で、戦争は身近にある日常でしかない。これは、世界の摂理のひとつであり、人々は古から争いを続けてきた。殺し合い、奪い合うことで、自身らの存在価値を見出し、また主張してきた。君が、この戦争に口を出したからといって、人々が争いを止めることはない。君はそれでも争いを止めろと咎めるのか」
スノウから読み取れる感情は、憎しみと落胆だった。この世界の人々に『期待』を抱いておらず、混沌とする世界を受け入れ、それに介入さえする気がない、といった様子だ。そんなスノウの言葉に、健二はやるせない気持ちになった。
人々が争いを止められないことは、この世界で永く生き、各地を旅し、人々の営みを観察してきたスノウにとっては、その結論に至ることは理解できる。だからといって、人々の争いを傍観し止めない理由にはならない。
隣の芝生は青く見える、というのは、健二も経験してきたことがある。
学校で同級生が、人望を得ようと人気のアニメや漫画のグッズや話題を交えて、楽しそうにしているのを見た。その様子を見て健二はうらやましくなり、母にグッズをねだったことがある。
母はそんな健二の願いを一蹴した。他人の羨んではいけない、他人に絆され、ありもしない欲望を求めるな、と。以前の自分は、母の言葉に、苛立ちや妬みを募らせていた。ただ、あのときの自分は、同級生のように他の人と仲良くなるきっかけがほしかったのだ。
今は少し違う心境になれる気がする。母は、その言葉を口にする前に、健二に問うた。なぜそれがほしいのか、それを欲してどうしたいのか、と。その問いに健二は上手く答えられず、苦し紛れに放った言葉があった。皆のように自慢したい、自慢して人望を得たい。そう言った健二の言葉を母は、すげなくあしらったのだ。
もし、今の自分がその光景を端から見ていれば、生意気で至らない子供が、愚行に及ぼうとしているのがわかる。その率直さは、幼い者にとっては、良いことなのかもしれない。自分の欲望に忠実であり、自分が何を求めているのかも自覚している。だが、それをいつまでも自分の中で、常識として敷いていることはできない。
人は信念を持つ一方で、愚直であり、業も深い。だからといって、それを他の者を傷付けることの正当性を示す理由にしてはならない。
「それでも、争いは人の心を傷付けるだけだ。良いことは何もないよ」
健二はスノウを宥めるようにして言うが、スノウの怒りは収まる気配がない。恨めしい表情で女王に更に詰め寄る。
「師匠はこの世界の平和を望んで、この女を信用した。だが、この女は師匠の願いを利用しアイハムを殺した。この女がのさばっている限り、この世界に平穏など訪れない」
スノウの言葉を聞いたとき、健二は何となく状況を悟った。なるほど、そういうことか。健二は、凄むスノウを制すると、じっとその目を見据える。
「――違う。スノウ。君は女王に怒りをぶつけたいだけなんだ……本当はわかってるんだろ、女王がアンメイザを殺していないことは。君は、自分を責めたいんだ。自分がアンメイザを引き止めていれば、あんな事にはならなかったと後悔してるんだ。だけど、どうにもならなくて、どこにも向けられない怒りの矛先を女王に向けてる」
健二は捲し立てるように声を荒げると、深々と息を吸う。正直、この言葉を口にしたところで、スノウの怒りが収まるとは思わなかった。逆上し、今度は健二に怒りの矛先が向きかねない。それでも、女王に対するスノウの言動に、苛立ちを抑えられなかった。故に、呑み込もうとしていた言葉が、堰を切ったように溢れ出したのだ。
健二の言葉で、スノウの怒りがふっ、と沈静化する。健二を見つめた目が、怯んだように泳いでいるのがわかった。言い過ぎてしまったのか、と後悔し始めた健二に、スノウが呟くように。
「そんなこと……言われなくても」
今にも泣き崩れそうな子共のように、目尻に赤くし唇を噛み締めてスノウは言うと、ふと立ち上がり、その場の皆に背を向ける。その背中は小刻みに揺れ、何かを考えているのか、暫く無言で佇んだままだった。スノウの空気に同調するかのように、その場には沈黙が漂う。皆がスノウの言動に、息を呑んで見守っている。
何かを決断したようにスノウは振り返ると、女王を見据える。女王の目の奥を探るように、食い入るように見つめ、穴が開くのでは、と思えるほど見つめたあとに、健二に向き直る。
「それで、私はどうすれば良い。私はこの怒りを誰に向ければ良い」
縋るようにして、健二に助けを求めるスノウの気迫に気圧されながら、健二は考える。
「お互いに理解する必要があるんじゃないかな」
「――どういうことだ」
「争いが起こるのは、相手に対する畏怖の念だったり、理解が乏しかったりするからだと思うんだよ。ほら、何も知らない相手は何となく怖いでしょ。でも、話してみてみると、その人の意外な部分が見えたりするでしょ。優しいところだったり、面白いところだったり。それから――」
健二はスノウの問いに答えようと、頭を巡らす。だが、上手く説明できずに口籠もってしまった。
健二自身も他人と関わりを持つことに苦手意識があった。故に、他人にそれを説くほどのことを言えた義理ではない。そう思えてしまった。だが、スノウは意外にも納得した様子だった。
「――君が言っていることが、正しいかはわからないが、今の私が行き詰まっているのは確かだ。君が説いたことを試してみるのも必要かもしれない」
ぶっきらぼうに言ったスノウの表情から、怒りの感情は感じられなかった。重苦しかった天幕の空気も、スノウの怒りが収まったことで、少しばかり明るい様相を取り戻しつつある。
「まあ、良い。事の次第が予想外ではあったことに驚きはあるが、こうなっては仕方あるまい。一度、バタルへ帰還し今後の方針を決めなければなるまい」
先程まで状況を静観していたハディが、太く低い声で唸るように呟く。この状況を想定していなかったらしく、いつもの無表情は眉を顰め、憂いごとに振り回される君主の顔となっている。
確かに、今までは『伝統』ともいえる打倒カトラリアを掲げてきたスエーデンにとっては、青天の霹靂、と言って然るべき状況だ。ハディにとっても、今回の対談が自国の官たちに与える衝撃は多大であり、官たちがこぞって怒りを露わにすることは明白だろう。それでも、国主であり、民にとって、天神の加護を受けた一族の言葉は、神の言葉も同然だ。
「ハディ。君はそれで良いのか。君たちは、これまでカトラリアを敵として、アイハムの仇として対峙してきた。この真実は、君の信念を揺るがしかねないんだぞ」
スノウの言葉に、ハディは低く笑う。
「良い。私にとっても民にとっても、先代の死は大きな衝撃だった。ある意味、先代の死の真相を聞けたことは、良かったのかもしれない。この歳まで、先代の仇を、と奮闘してきたからな。だが、真相を耳にして複雑な心境でもある。確かに、お前が言うように、私の信念は見事に打ち砕かれたということだ」
深々とため息交じりに呟いて、ハディは脱力したように背もたれに体重を預けると、女王に目を向ける。女王もじっとハディを見つめ返す。
暫くの沈黙のあと、ハディは意味ありげに眉を吊り上げると、立ち上がる。
「ひとまず停戦だ。詳しいことは、使者を通して伝える」
ハディは椅子から立ち上がる。それぞれに目配せすると、天幕を立ち去る。その姿を見送っていた健二は、脳裏に違和感を覚えた。
頭部と視界が何かに引き寄せられる感覚と共に、意識が飛ぶと、ふわりと身体が浮き上がる感覚のあとに、霧が立ちこめる空間に立っていた。この感じは覚えがあった。恐ろしく現実味がある夢の中にいるときの感覚だ。
少し歩くと、視界全体を覆う火の海の中に、燃え盛る木々が見えた。その風景の向こうに、何かがあるような気がした。危険だとわかっているはずが、足が無意識にその向こうに誘う。
焦げ臭く熱感で肌が焼けそうになる火の海を渡ると。荒々しく燃え盛る火の海は、どこかへ消え去り、しんとした澄んだ空気へ変わる。
そこに、スノウの姿があった。健二の姿を認めると、全ての状況を悟ったようだ。
「――なるほど。そういうことか」
そう言って辺りを探るように、よろよろと歩き回るスノウのあとから付いていくと、見覚えのある巨大な建造物が見えた。
十メートル四方の巨大な岩石が幾つも重なり、神殿のような構造物を成している。その周りを蔓植物が、ぐるりと囲み根深く張り付き、建物の表面を覆い隠している。
「――精霊の泉」
健二は、以前にも来た神秘的で不可思議な建物を認めて呟いた。健二の言葉に賛同するように、スノウも頷いた。
「やはりな。守護者に呼び出されたか」
湖畔に立つと、二人を待っていたかのように地面に影が伸びる。
影は目の前に迫ると、人の形を成すようにゆらりと立ち上がる。
『お前たちに警告せねばならない。時がない故、あまり説明できない』
泉の守護者の言葉に、聡く察したスノウが口を開く。
「状況を教えてくれ」
『我々が何とかこの場所を隠蔽していたが、直に世界に晒される。これは、世界の始まりから、世界で起きる無数の争いを静観し続けてきた我々への報いだ。泉が崩壊されてしまえば、世界に新たな精霊は生まれず、いずれはこの世界も終焉を迎えるだろう』
「私たちはそれを未然に防ぐべくここへ来たのだ。決して泉の破壊などさせない」
スノウの口調は静かだった。その表情は決意で満ち、何が何でも泉の破壊を防ごうとしているのがわかった。
『少年。お前には天神を顕現し使役しすることで、世界の平穏と秩序を守るという義務がある。忘れるな、この世界は……』
守護者の言葉は、テレビの画面が砂嵐にあるように乱れると、視界は激しく明滅し張って糸がぷつりと切れるように一瞬にして暗闇へと転じた。思わず瞼を閉じ、再び見開いたときには、守護者と泉の姿は消え去り、もとの現実へ引き戻されていた。
「スノウ。今のは……」
「どうやら泉の結界が破られたようだ。泉は守護者の意に問わず、誰もがその姿を目にすることになるだろう」
スノウは遠くを見つめるように言う。
「何が起きたのですか。二人とも、何かに取り憑かれたようでしたが」
心配した様子で女王が、健二の顔を覗き込む。二人の様子に、立ち去ろうとしていたハディも何が起こったのかと立ち止まり、こちらを凝視している。
「ハディ。泉に対する攻撃命令は、確かに中止されたのか」
スノウの意味深な問いに、ハディは眉を顰める。
「当然だ。私の命令は絶対だ。故に、拒否されることはない」
そこまで言うと、顰めた眉が更に深まる。何かを察したように、傍らにいた兵士に言う。
「命令は伝わっているんだろうな」
ハディの言葉には圧力が籠もっていた。その言葉に、兵士の顔がみるみる青くなる。
「確かに、陛下の命を狼煙にて。こちらからも飛行船が視認したのを確認しております」
兵士の言葉を聞いたハディの表情が険しくなる。
「再度攻撃中止の狼煙を揚げろ」
自身が下した命が、遵守されなかったことに憤慨しているのか、ハディは低い声で兵士に激しく罵倒する。
尻に火が付いたように走り去っていく兵士の後ろ姿を見送ったあと、ハディは落ち着きを取り戻したようすで去りかけた天幕に身を潜める。
「スノウ。どうやって私の命が実行されていないと知った」
ゆっくりとした口調で話すハディだが、表情は懐疑的で、スノウの皺ひとつの動きも逃すまい、と鋭い目つきで睨み付ける。
「泉の守護者に招かれた。ただそれだけのことだ」
ハディの迫力に気圧されることなく、スノウは磊落な態度で答える。
スノウの端的な説明をハディは追求しようとはせず、ため息を吐くとおもむろに口を開く。
「私は国主として国の覇権を握っているが、私の意に従順でない者たちも少なくはない」
そう言ったハディは、暗い表情でうなだれる。そして、自分が今しがた吐露してしまったことが、自分の弱みを晒すことであり、また国の現状を露呈させてしまったことを自覚したのか、無表情の顔をゆっくり上げる。
「今の言葉は、聞かなかったことにしてくれ。私の独り言だ」
静かな口調だったが、ハディから漂う威圧感に、健二は背中に悪寒が走るのを感じた。
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