チューニング

舶来おむすび

チューニング

「サンドラ、10分だぞ! いいな!」

「わかってるって。じゃあダン、先行ってる!」

 シルバーグレイのフルフェイスヘルメットを外してやった途端、少女は水平線へ向かってまっしぐらに駆け出した。こちらの方など見やしない。

 こうして何度海に連れてきても、そのたびに新鮮な反応を見せる。今年で齢15になる彼女の無邪気さを喜ぶべきか、哀れむべきか、ダンにはついぞ判断がつかなかった。

 あっという間に小さくなった赤いツナギの後ろ姿は、遠目に見ると真っ赤な人形のようだ。うんと幼い子供が遊んでいる、赤だったり緑だったりするプラスチックの兵隊フィギュアを彷彿とさせる。当たらずとも遠からず、といった自分のユーモアセンスの悪さに男はとうとう吹きだして、ワゴン車内の片づけを始めた。

 陽光を受けてつやつやと光るヘルメット、寝袋めいた三重構造の拘束具、通常の倍は用意されているシートベルト。誰がどう見ても海水浴客の荷物には見えないだろうな、とぼんやり考える。適当に畳んで座席の上に放り投げ、馬鹿みたいに分厚いドアを力任せに閉めた。大統領の公用車と同じメーカーが作っているらしいそれを、リモコンと実鍵で念入りにダブルロックし、ポケットから端末を取り出す。

『74番、“チューニング”に入ります』

 打ち込んで再びポケットに戻した途端、軽やかな通知音が耳に飛び込む。画面を見るまでもない。返答などわかりきっている。

 脱いだ革靴とソックスを車のそばへ置き去りにして、ひょろりと背の高い男はようやく少女の後を追いかけた。


 *


「超人には超人の苦労があるものさ」

 ダンの教育係だった所長は、担当部屋を出るなりそんな言葉を落とした。今にして思えば、彼の好きなアメコミの影響も多分にあったかもしれない。

「例えば、私が今しがた会っていた発火能力者パイロキネシストの60番は週に1度、完全オフの日を作って“外”のプールで過ごさせる。そうでないと、正常な体温を忘れてしまうのだそうだ。さながら変温動物のようだね」

 ダンの頭に、先程までこの上司と会話をしていた少年の姿が描き出された。あちこちに目立つひきつれの痕は、能力を使いこなす前に加減を誤ったものだと聞いているが。

「ああ、違うよ。熱暴走によるものも多分に入っている。そうだな、我々で言うところの『リフレッシュ休暇』のようなものさ。あまり考えすぎなくていい、ある程度は能力とリフレッシュ……“チューニング”内容の相関も確認されているからね」

「……熱暴走……ですか」

「何だい?」

「いえ、理屈はわかりますが、その言い方はまるで機械マシンのようで」

 笑いながら言った。冗談のつもりだった。

 しかし、当時既に白髪交じりだった所長は、痛みを耐えるような表情でダンを見つめていた。何も答えず、何も言わないままに。

「……私はね、ここに来た新人には必ず同じ話をしているんだ。『私のようにはならないでくれ』『どうか、彼らを人間として扱ってくれ』と」

 番号で呼ばれるものではないんだよ、皆が皆かけがえのない命なんだ。

 祈るように囁かれた言葉は、不思議な重みを孕んでいた。

「いつか君も、彼らを受け持つ日が来る。その時はきっと、私の言葉を思い出してくれ」

 所長はそれから4年ほど後進を育て続けて、ある日眠るように死んだという。

 葬儀は国を挙げて盛大に行われたらしい。彼に育てられた研究者は、その中継をテレビ越しに眺めて、またすぐ自分の作業に戻った。

 いつもと同じ、何の変わり映えもない退屈な日だった。


 *


「……ン、ダン!」

 顔を上げると、少女と目が合った。透き通るようなプラチナブロンドと、チャコールグレーの瞳は何度見ても陶器人形のようだと思う。

「もう、どうしたのボケーっとして。私ずっと待ってたのに、ちっとも来ないんだから」

 右の掌には色とりどりのシーグラス。それをひとつひとつ左手でつまみ、しばらく眺め、ぽいとその辺りに放り捨てる。

「すまんな。……ああ、“チューニング”はどうだ?」

「ん、悪くない。この海はいいね、いろんな思いがいろんなところから流れついて来る」

 74番ことサンドラは精神感応者サイコメトラーだ。ダンが今まで手掛けてきた被験者の中でも最高の能力を誇り、それゆえに引っ張りだこの活躍ぶりを見せている―――というのは、政財界でもほんの一握りしか知らない事実。こと交渉事となれば、彼女に勝る兵器なぞこの世に存在しない。もっとも、彼女はその読み取った内容をわずかも理解できないのだが。

 そして、彼女の“チューニング”に必要なのは海だった。数多の漂着物があればあるほどふさわしい、というのは本人の弁である。

『長い時間をかけてきたものってね、染みついた人の思考の角が取れていくの。古物商でもいいじゃないかって思うかもだけど、それだと人の思考が重ねがけされちゃってるのよね。だから海が良いの。誰の思考も染みつきようがない大きなプール、そこでいい感じに人の気持ちが薄められたものが一番落ち着くのよね』

 かつての言葉を思い出しているうちに、ちゃっかり男の隣へ腰を下ろす。しっとりと湿り気を含んだツナギの裾に、白砂が飛び散ってくっついた。

「ねえ、“チューニング”もういいからさ。遊んでよ、ねえ。前に外に出た時はアイス買ってくれるって言ったでしょ、ねえってば!」

 肩に乗せられた頭が重い。ぐりぐりと甘えたようになすりつけられる、頭蓋骨と肩の骨がこすれ合って静かに痛んだ。

「……わかった、ああ、わかった。買ってやるから、ほれ」

 小さな頭を手の甲で叩き、いささか乱暴に撫でまわしながら立ち上がる。やったあ、と宙へと振り上げた手から、シーグラスがきらきらと光って落ちた。

「あっちにアイス屋さんあったの! 私ベリーチョコとレモンのダブルね、ダブル!」

「もうリサーチ済みかよ。早いわ。普段のカリキュラムもそれくらい真面目にやれ」

「ええー! だってつまんないし。それに試験監督の頭読めば一発だもん」

 やたらにべたべたとまとわりついてくるのは、愛着形成に失敗した子供特有のものだと聞いたことがある。少し前なら憐れだと思ったろうが、今では大分違った感情を抱くあたり、相当ほだされているのだろう。

 腕が重い。こすりつけられる柔らかな肢体から、どうにかこうにか意識をそらした。

「あ、そういえば127番の話聞いた? マリエットって子、研究員のお兄さんと一緒に逃げて処分されたんだって」

「……ああ、知ってる」

 よく知っている。同期の中でも抜きんでた研究馬鹿だった。まさかあいつが、と誰もが口にしたのは先月の終わり頃だったか。

『女遊びなんかしない子だったからね。免疫なかったんじゃない? 127番は最近急に発育良くなったし、ちょっと好奇心が強すぎる特性があったし』

 先輩研究員の指摘は、案外的を射ていたのかもしれない。

「こんにちはっ! おばちゃん、それとそれダブルでちょうだい!」

 小さなリヤカーに飛びつくようにオーダーすれば、いくらも間を置かないうちに目当ての品物が突き出される。コーンを大事そうに抱えて走り去っていったサンドラへ「あ、こらっ」と中年の女性は手を伸ばしたが、ダンが「すみません、俺が払います」とやんわり割り込めばすぐさまひっこめた。

「あら、お父さん?」

「ええ、まあ。いや元気で困りますよ、俺なんかもうついていけなくて」

 そうか、外の世界ではそれほどの年齢差に見えるのか。

「いいことじゃないの、そのうち『ウザいから一緒に来ないで』なんて言われるのよ。うちの主人もそうだった!」

「あっはっは、それは旦那さんさぞ悲しまれたでしょうなあ」

“普通”から縁遠くなると、人はあっさり狂気に呑まれる。ともすれば、その狂気こそが狭い世界での“普通”として大手を振って歩いているがゆえに。

 ―――ああ所長。もしかして、あなたの目的はこれだったのですか。

 生まれてこのかた、戦場と施設を行き来するばかりの子供らに、少しでも世の中の“普通”を教えてあげたいという、一種の親心。随分とまあ熱心なことだ。

 あるいは、罪滅ぼしのつもりでもあったのかもしれない。本人は現役兵士の戦力増強のつもりで研究をしていたというのに、蓋を開ければ人工授精のモルモットが大量に造られていたと知った時の心境など、推し量りようもないが。

「女の子なんてあっという間に大人になるのよ。お父さんも今を楽しんでね」

「ご忠告、痛み入ります」

 とんでもない。むしろ大人になってもらわねば困るのだ。いくら倫理と道徳が壊滅した研究都市だとしても、妙なところでインモラルへの忌避はあるらしい。

『今はまだ街の決まりで無理だけど、16歳になったら一緒に寝てくれるんでしょう?』

 楽しみだと笑う小さな人間兵器の魅力に、抗える男なんてきっとあそこに居はしない。

 己も早晩127番の相手と同じ末路を辿るのだろうなと思いながら、ダンは財布からコインを数枚取り出して、女性の手に載せてやった。

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チューニング 舶来おむすび @Smierch

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