短編 その他まとめ
めがねのひと
現実における人間のキャラパターンに対する仮説。
「誰もが自らの中に他人を隠し持ってるとしたら、人は自分以外の何者にでもなれるのではないだろうか!」
豪華なセットに圧倒的な演技力。そして観客をも巻き込んだ盛大な仕掛け。その全てに心を揺さぶられた舞台の終演後。何とも形容しがたい心地よい空気に後ろ髪を引かれながら繰り出した真冬の空の下で、友人は人目を気にすることなく高らかに声を上げた。
「どうしたんだ急に」
舞台に感動したとはいえ、まだ幾分か冷静さを保っている私からしたら流石にこの友人の行動に苦言を呈さずにはいられない。こっちはちょうどよい余韻に浸かりたいのであって、決して他人からの冷笑を浴びたいわけではないのだ。しかしここで感情任せに叱ったところでさらに他人の目が厳しくなるのは明らかなので、私はいたって冷静に彼に声をかけた。
「感動したのは分かるがなんだその謎の仮説は」
「仮説だなんてちゃちなもんじゃない、これはあの舞台から生まれた疑問なのだよ」
どこかの教授のような口ぶりで友人は人差し指を立てる。嗚呼、周りの視線が痛い。
「なんだそれ…お前と何かに触れるたびに思うが、お前は素直に感動すら出来ないのか?」
「逆に問うがお前は感動しか出来ないのか?」
とても不思議だと続けて友人はあくどい顔を見せて笑った。確かに彼のそういう観察力というか想像力…思考能力には一目置いている節はある。しかし時と場所を選んで欲しいものだ。ここは満員御礼で終わった舞台会場の出入り口からほど近い歩道。大きな道路に面しているわけではないが、役者を出待ちしている人間のおかげでまだ人通りは多い。
「感動しかって…感動はいいことだろ」
「ははっ甘いな、感動しただけではまだ作品を堪能し尽くしたとは言えんのだよ」
「どこの評論家を気取っているつもりだ?それに観客に作品に対して必ず疑問を持たなきゃいけない義務など…」
「そこが甘いと言ってるのだよ!」
ただでさえいつも古風さが抜けきらない口調で喋る友人がこうも興奮を隠すことなくはしゃぎまわっているのは、災難が訪れる前触れであることは痛いくらいに知っている。さて、どうその災難に立ち向かおうか。もはや諦めに入って思案を始めようとしたその時だった。
「友よ!私は役者になるぞ!」
「また私を巻き…ん?」
「だから役者になると言っているのだ!何度も言わせるな、決意の価値が下がる」
唐突な宣言に今度は目が丸く開いた。視界には街頭の光を目の中に反射させて笑う友人の顔。その表情が嫌いということはない。強いて言うなら私には眩しすぎるというところだろうか。ところで…役者になるだと?
「なんでそう飛躍するんだ!」
「これは飛躍ではないぞ?この疑問はこの舞台で生まれたものだ。ということは答えは舞台に上がる…つまり役者にならないと分からないだろう!」
「なんでそう極端に物事を考えるかね…」
そう愚痴を零すもそうなってしまうのに根本的な疑問は抱かなかった。というのも今まで彼は疑問解決のためにいつだって猪突猛進だったからだ。そのせいか大学生でありながら彼のアルバイト職歴は100を超えている。長続きしないわけではない。ただ答えが見つかってしまうと興味をなくしてしまうのだ。だがしかし、今回はアルバイトとは違う。
「君な、流石に一時の疑問に人生を捧げてしまうのはどうかと思うぞ」
大学三年生、全員が進路に悩んでいる時期。今までは全ての真理を解き明かす学者になると言っていた人間がいきなり役者を目指すだなんて。怒りを通り超えてもはや卒倒されることだろう。今までは所詮アルバイトだからと止めてこなかったが、今回は流石に止めざるを得ない。別に彼の今後が私の人生に影響を及ぼすわけではない…が。幼児期時代からの友人の未来は少しばかリではあるが気にかかるものだ。
「そんなこといってやるな。人間いつ死ぬか分からないのだ、そう考えたら私は疑問を残して死にたくはない」
心配する私を余所に友人は続ける。
「とはいえだな…わざわざ役者を目指さずとも、スタッフなどの仕事でもいいではないか」
「いや、それじゃ駄目だ」
「どうして?」
「なぜならこの答えを体感できるのは役者しかないからだ」
「は?」
優越に浸る表情を振りまいて彼は持論を語った。
「今まで自分がこの疑問に辿り着かなかったのはおそらく、普通に生活していれば人は自分以外の何者にでもなれるだなんて思わないからだろう」
「それはそうだ。何か特殊な体質でもない限り、普通人間の中には一つの人格しかないからな」
「しかし、同じ人間でも役者は自分以外の何者にでもなることが出来る…すなわちそれは”役を演じる”ことだ…そしたら後は言いたいことは分かるな?」
「つまり、本当はどんな人間でも自分以外の”何か”になることが出来る可能性を秘めている…ということか?」
正解と彼はゆっくり頷いて微笑む。ここまでは何となく分かった、しかし。
「人間が自分以外のものになれる可能性は分かった。だがそれが何故他人を隠し持っているという考えに至る?」
「それは、何故役者が自分の中にないはずの人格を演じることが出来る謎に通じる」
「ん?」
「何もとっかかりのないものから全く自分の中にない人格を演じることはおそらく不可能だろう」
「そんなの、役者である人間が元々人格を複数持つ特異体質だったら…」
「役者は日本だけでもごまんといるんだぞ?しかも世界を見ればもっとだ。君はその全員が特異体質と言い切るのか?」
ぐっと顔を近づけられて思わず後ずさる。確かにその通りだ。そんなことがあったらそれはもう特異体質ではない。それに言っておいてなんだが、役者は狭き道ではあれ門は非常に広い。特異体質の人間にしかなれないのであればそれこそ、その門自体がもっと狭いものだろう。
「そこで私は考えた。もし人間が自分の存ぜぬところで自分以外の人格を隠し持っていたとしたら」
「人格は一つしかないと言ったではないか」
「生憎だがそれはあくまで意識下の中での話だ。それに人間は全くの0から1を生み出すのは不可能だからな。いくら0から1を作る人間がいてもそれは結局今までのそいつのインプットから構築されたものだ」
「…そうか」
「話を戻すぞ。無意識下で隠し持つというくらいだ、おそらくその人格とやらは自ら見つけ出すことは難しいだろう。そこで必要なのが演出家と脚本家の存在だ」
「演出家と脚本家?」
「そうだ。まぁ私はそこまで演劇に精通しているわけではないから断言は出来ないが…おそらく彼らは人の中に無意識下で眠る人格を見つけ、引き出すことが出来るんだろう」
「どういうことだ?」
次々と現れる言葉の羅列に半分驚きながら返事を投げる。もうこの頃には周りの視線など気にならなかった。
「今回は舞台で考えるが。大体舞台作品を作るときは二通りが考えられる。なぁ、オーディションというものがあるのは知ってるな?」
「まぁ…あぁ」
急に疑問を振られてほぼ反射で返事をする。
「一つは役者を集めてそのオーディションで役に値する人間を選ぶという方法だ。私の理論をこれに当てはめると、オーディションではその役と類似した人格を持つものを探し出して採用するということになる」
「まぁ…筋は通っているのか?」
「二つ目は脚本家が元々決まっているキャストのために物語を書くやり方。この場合、脚本家はどのように脚本を書く?」
さながら教員のように彼は私に問いかけた。多少は演劇に心得があるのでその問いにはすぐ答えることが出来る。
「まぁ…役者にあててキャラクターを作り上げて書くやり方は聞いたことがあるが…まさか」
「あぁ、そのまさかだ」
友人は驚く私を見て微笑んだ。
「演出家も脚本家も役者の内面から人格を拾い上げて作品に利用するんだよ。その人格には意識下で出している一つの人格か無意識下で眠る人格かなんて関係がない」
「は…」
「私はね、この持論を役者になることで証明したいんだよ」
なんということだろう。まだ穴だらけな持論ではありながら、友人はまた一つの出来事だけでここまで考えを構築してしまった。してやったりと彼は笑う。嗚呼、この顔だよ。私がいつまで経っても彼の奔放な生き方を止めることが出来なかった理由。いつも理論を組み立てては敵なんかいないというように笑ってみせるのだ。そしてそんな顔に…彼自身に私は魅せられている。
「…その仮説を聡明な先生や両親に説明して分かってもらえるといいな」
「別にこれを説明する義理はない…ってだから仮説なんかでは!」
「はいはい、とりあえず分かった。まずは帰ろう。流石にそろそろ体の芯から冷えてしまいそうだ」
「あぁ、すまない」
ようやく二人で帰路を歩き出す。もうすっかり人込みはなくなっていた。
「そうだ、お前は脚本家にならないか?」
「は?」
油断をしていたところで言葉の槍を突き付けられる。しかし流石にそれはすんでのところで躱した。
「流石に私は君みたいに一時の高揚で今後の職を選ばないよ」
「でも君…趣味で戯曲を書いているじゃないか」
「あれはただ単純に楽しくてやっているんだ。あえて生業にするつもりはない」
ひらりと躱すと彼は不機嫌そうに顔を顰める。
「それに…君の希望通りの脚本なんか書けないしね」
「そんなの分からないじゃないか、それにお前は誰よりも私のことを分かっていると思うぞ?」
友人の言葉に少しだけ息が止まった。彼から見たら私はよき理解者らしい。これも隠れた人格のなす技だろうか?何とも自分では分からないものだ。
「私は君のことが一番分からないよ」
そう夜空に投げかける。ガスに包まれる街中では星なんか見えなかった。
(暗転)
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