第88話

 その日は本当に楽しい、言葉通りの日常が俺の前へと訪れた。


 リゼが作った美味しい朝食を皆で食べ、片付けを終えれば街へ出た。珍しく四人で街中を歩き、洋服や日用品、魔法屋に寄って魔法書など、様々な買い物をして過ごした。


 お昼には冒険者ギルドに備え付けられている食堂にお邪魔し、エイプリルと顔を合わせ一緒に食事を取った。遅れてキャロルとシルヴィアも現れ、皆で楽しい昼食の時間を過ごせた。


 夜になれば落ち着いた時間となり、俺は自室にて魔法書に目を通す。今日の出来事を振り返ると自然に頬が緩む。心の底から楽しい休日だったと言えるだろう。


「…………」


「どうした――――ダンタリオン。リゼが朝食を用意してくれてたんだぞ……?」


 えらくしおらしい顔を俯かせながらダンタリオンが顔を見せる。何時もながらセンスのズレたスーツファッションだと鼻で笑い小言を投げ掛ける。


「そりゃあ……悪い事したな……」


「ああ、後で謝っておけよ」


 俺の隣を抜け、窓を開けながら窓辺に寄り掛かる。そよ風にページを捲られないように軽く押さえ、星空を見上げているダンタリオンの背を見やる。


「珍しく黄昏てるじゃないか……って、こんな話を前にもした気がするな」


「ああ……そんな事もあったっけなぁ……」


 ダンタリオンらしくない湿気の混じる声音が微かに聞こえてくる。目を通していた魔法書を机に並べてからゆっくりと立ち上がる。


「何も……変わらなかったんだな……」


「変わるかよ、誰を相手にしてると思ってる」


「オレはお前の事を制御出来ると思っていた。手の上で転がして、オレの物にしてやろうと……まあ、思っていた訳だ」


「ふむ……告白ってヤツか?」


「何度も告白してるだろ、オマエがオスを爆発させてりゃ……こんな事にはならなかったんだぜ……?」


 オスの爆発とは一体何だと思わず頭を悩ませる。珍獣にでも成ればダンタリオンは満足したのだろうか。


「とっとと組み伏せてよぉ……滅茶苦茶に犯しまくってよぉ……」


「何言ってんだお前は……。そもそも、ダンタリオンが好きなのは境界の方だろ? 俺が何処の誰だって関係無い筈だ」


「そうだよなぁ……最初はそうだった筈なんだけどさぁ……どうしてこんなガキに惚れたのかねぇ……」


 ダンタリオンの隣に立ち、俺は逆に部屋の中を見る様に窓へと背中を預ける。それを見た彼女は少し厭そうに俺から顔を背けてしまう。


「ははっ、惚れてたのか? 俺なんかに?」


「平凡な性格しておいて……馬鹿みたいな力を持ってて……思い悩んでる姿が可愛らしいとか思ってたら……いつの間にかな……」


 今までで一番伺えるダンタリオンの人間性。こんな場面で見られるとは思わず、ついつい悪戯気分で顔を覗きに行ってしまう。


「……悪かった……色々とな……」


「良い子だ。よくぞ謝れました」


「……茶化すなよ」


 近くに寄れば更に遠くへ顔を背けてしまう。いつもとは立場が逆転した様で、それが面白くて堪らない。


「苦しいか……人類の味方は……?」


「生き方を決められているのに……腹が立つ。こんな糞みてえな鎖で縛り付けられて……人類の味方を強要されてさ……」


「そう考えると……神格達も意外と歪んでいるんだな……人が居ないと生きていけないだなんて」


 人の命に刻まれた役割など大した物では無い。それと比べれば存在自体に意味を求められる神格達の何と生き辛い世の中だろう。意味が無ければ信仰も得られない。人類にとって有益で無ければ、そもそも存在さえ許されないなんて、一体誰が縛り付けたのか。


「生き方と死に方を決められているのなら……生まれたく無かった……なんて感傷に浸る程暇じゃ無かったさ。何となくの妥協点見つけて、好き放題暮らしてたけどよぉ……オマエを見たら全部が引っ繰り返った。もしかしたら……世界にとんでもない爆弾を撃ち込めるんじゃないかって……そう思った」


 苦しみに負けず、流れに抗わず、その時に出来る最善手を選んでいたというのに……俺という歯車に狂わされた。


「結果は……コレだ。何も残せないで……ワケ分からんまま戻って来ちまった……」


「…………」


 そこでようやくダンタリオンが顔を向ける。自暴自棄の笑顔を浮かべたまま頬に涙が伝う。これからどうすればいいのかと迷子に陥ってしまった彼女は俺の手を掴もうとして、途中で引き戻す。


「そうだ、誰かの入れ知恵ってヤツ……! ソイツだけの所為じゃねえけどさ、禍奏団の大ボスってのが分かっ――――」


 戻り掛けているダンタリオンの手を引き寄せ、無理矢理にキスをする。今までに聞いた事の無い女の子らしい呻き声を漏らし、強く瞼を下ろす顔が伺えた。


 数秒だけのキスを終え、離れていく俺達との間に糸が繋がるが、名残惜しそうに消えていく。儚げな、何時もは見せない彼女の顔を頭に刻み込み、心に誓う。


「分かってる……全部……分かってるから……」


「また――――戻れるかな――――?」


「戻れるさ――――お前にその気があるのなら」


 遂に時間が訪れてしまったと体を離し、窓辺にもたれ掛かる。月を背にしたダンタリオンは神秘的な存在感を放ちながら儚げに笑みを作る。


「だったら……さ……! 出来れば……助けてくれよな……!」


 最高の弾ける笑顔と共に黒い泥が彼女を包む。冥界と契約した彼女は当然の様に奴の傘下に与してしまい、その肉体は死滅する。


 現世を超えた冥界へ――――ユリウスという男の元でただの駒としてダンタリオンは捕らえられた。


「分かってる……分かってるから……分かっていたから……お前達の存在は……」


 気まぐれで自己中心的で下品な言葉しか吐き出さないダンタリオンが珍しくピュアな言葉を口にしたのだ。ならば迎えに行かねばならないだろう。俺自身が、そうしたいと思えるのだから。


 ――――奴は……悪だ。


「知ってるさ。間違えたなら、償えばいい」


 結局の所彼女は俺に現実を直視させただけなのだ。絶対的な悪人だとしても、償いをする機会はあるべきだ。


「言い訳はやめだ――――俺が一緒に居たいから……連れて帰る」


 ――――後悔するぞ。


「して来たさ、何度もな。さて――――あの二人にはお灸を据えてやらなきゃな」


 無限の魔法使い――――アル=アジフ=アモエヌス。


 冥界の魔法使い――――ユリウス・フォン・ローエングリン。


 俺と敵対した事は褒めてやるが、相手になるとは思わない方がいい。宣戦布告をしたならば覚悟を決めろ、こちらも全力で応じてやる。

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