死地の訪れ


 二頭の巨獣が暴風を手繰り、自身の眼前に球状へ収束させる。

 大きさはフィーネが抱え込める程度の代物、しかし収束された風が解放されれば人間数十人をまとめて吹き飛ばせる兇悪な威力を秘める。

 最強格の《魔獣》にのみ許された剥き出しの暴力の塊を、二頭は躊躇いなく解放し、射出する。


 ゴウ、と。


 ほとんど衝撃波と化した爆風が荒れ狂う。ぶつかり合う風弾は弾け合い、衝突点を爆心地として例外なく大地とそこにしがみつく矮小な生命を揺さぶった。

 その危険度はさながら風の爆弾。

 付近の大岩の陰に伏せた、最も影響の少ないはずのアゼルが身構え、大岩を掴んで身体を支えたと言えばどれほどデタラメな規模か分かるだろうか。

 ジュチとエウェルも例外ではなく、何とか断崖絶壁から引きはがされないように必死でしがみついて凌いでいた。ただの余波でこの有様、流石は竜骨山脈の覇者とそれに比肩する大魔獣の力比べだった。


『―――――――――――』


 互いを油断なく睨みつける両者、健在にして無傷。

 先ほどぶつけ合った小手先のそれではない、渾身の力を込めたぶつかり合い。

 飛竜ドゥーク大王鷲ガルダ、ともに風精に親しむ《魔獣》なればその力比べの結果はそのまま互いの格付けとなる。

 結果は見ての通り。即ち、互角。

 飛竜と大王鷲は同格の《魔獣》とされる評が事実と証明された形である。


「でも、こっちには私がいる。ね、スレン?」

『グラァ!』


 が、自分こそが有利だとスレンの背でフィーネが誇った。

 応じるスレンも確かな実感を持って力強く吼えた。

 スレンこそ両界の神子たるフィーネの力を身をもって知る第一の眷属。肯定を意味する咆哮にも信頼があった。


(でも、やっぱり強い。流石はガルダ。お父様が私を引き留めるだけのことはある…)


 フィーネに油断はない。

 彼女は両界の神子という慮外の力を持つ超越者。単騎で天地を揺らし、国を亡ぼし得る怪物。だが彼女は戦士ではなく、その力を十全に扱う術を仕込まれていない。

 彼女がその『力』を最大限発揮することを畏れた賢人議会の意向でもあり、これまでのフィーネの人生でその過剰なまでの力が必要とされなかったからだった。

 そしてそのことはフィーネも自覚している。、少女は一片も気を抜かず全力でガルダを迎え撃つ!


(油断は、しない…。一筋の傷もジュチくんに付けさせない。全力でガルダを抑え込む…!)


 敢えてフィーネは無暗にその身に秘める暴力を振るわない。慣れない真似をしても却って隙をさらし、ジュチを危険に晒すことを恐れるからこその判断だ。

 ガルダへ万に一つの勝ち目すら与えないために、戦闘そのものはスレンへ一任する。そしてフィーネ自身は敵手への妨害とスレンへの支援にその力の大半を割り振る。

 それがフィーネとスレンが立てたこの魔獣争いにおける戦術だった。


(いける…! やっぱり私がいる分スレンの方が圧倒的に有利!)


 そしてその戦術は当たった。

 暴風の爆裂をぶつけ合ったあと、熾烈な空中戦へ移行した両者。その形勢はあっという間にスレンの側へと傾いていく。

 スレンが操るのは風精だけでく、火精も含まれる。そして風精と火精は互いの働きを強め合う、相性が良い組み合わせだ。

 それを証明するようにスレンが繰り出す大火炎を風精が踊るように巻き込み、爆発的に火勢を増していく。蛇の如く自在に幾つもの火柱となって、縦横無尽にガルダへと襲い掛かる。


KYREIEEEEキリィイイイイィ―――!!』


 離れた位置にいるジュチにすら届く強烈な熱波。まして直接その身を劫火の蛇に炙られているガルダの苦しみは言うまでもあるまい。

 甲高く鳴くガルダの方向も劣勢を示すかのように苦し気だ。援けを求めるような咆哮が《精霊の山》に響き渡る。


「よぉし、このまま―――!」


 優勢を確信して一気呵成に押し切ってしまえ、と意気を高めるフィーネ。ガルダすら一蹴する強烈な巫術、フィーネの助力を受け、大幅な強化を得たからだった。それでもフィーネにはまだまだ余裕がある。

 勝機である水精を抑え込まれ、スレン以上に強力なフィーネが控えている。ガルダに最早勝ち目は無かった。

 そう、


 


 ガルダの鳴き声が聞こえる。


『――――――――ィィィ――――――――』


 途切れ途切れに、弱々しく…。弱々しく?

 否―――!


KYREIEEEEキリィイイイイィ―――!!』


 熾烈な空中戦を繰り広げるスレンとガルダの更に遥か上から、猛々しく戦意に満ちたもう一つの咆哮が急速にのだ。


『「―――!?」』


 咄嗟に言葉を出すことも出来ず驚愕するフィーネとスレンの主従。

 勢いのままその巨体による体当たりを敢行するガルダ。なりふり構わない捨て身の突撃をスレンは空中でなんとか身を捩り、躱すことに成功した。

 剛風を身に纏い、目と鼻の先ほどの距離を隔ててすれ違うガルダの姿に背筋が粟立つ。

 ガルダほどの巨体が落下の勢いを利用したそれが当たっていれば、飛竜のスレンですら地上に叩きつける激烈な威力となったろう。

 そして殆ど完璧な不意打ちには両界の神子たるフィーネも気付いてから迎撃するための時間が全く足りなかった。

 いま自分は死線の上で踊っていた事実を思い知り、とフィーネの背筋に震えが走る。


(ガルダが、二頭―――!?)


 新たに現れたガルダは地上に激突する寸前でひらりと身を返し、恐ろしく滑らかな飛翔でスレンと対峙するもう一頭の下へと合流した。

 スレンと同格の魔獣が更にもう一頭。

 その合算される戦力はフィーネであっても決して楽観視できるほどではない。


!」


 遠く離れた位置から事態を見続けていたアゼルの叫びが端的に事態を言い当てていた。

 この断崖絶壁に巣を構えた大王鷲ガルダは一頭だけではなかった。互いを伴侶と定めるつがいだったのだ。

 考えてみれば自然なこと。猛禽が巣を構える目的として子作りは想定して然るべきだった。そして子作りにはつがいが必要となる。

 先ほどの苦境を示す叫びも助けを求めるような、ではない。そのまま自らつがいに向けて助力を求める叫びだったのだ。


(マズイ…っ!)


 戦力差の優劣で語るならばフィーネが優勢である。

 だが、至近距離にはフィーネ達の最大の弱み。一身上の都合により全力で守らなければならないジュチがいる。彼は断崖にしがみ付き、降りるどころか《魔獣》争いの余波から落下を免れるために必死だ。

 そして対峙する敵手はスレンと同格の魔獣、大王鷲ガルダが二頭。縄張りを荒らされ、つがいを追い詰められた彼らはフィーネ達へ並々ならぬ敵意を向けている。彼らが繰り出す巫術の余波で脆弱な人間であるジュチは容易く死の淵を渡るだろう。

 彼を守りながら、二頭のガルダを撃退しなければならない。それは常人が手中の脆い卵を守りながら、何人もの暴漢を打ち倒すが如き難事である。

 これだけの悪条件が揃えば、両界の神子たるフィーネですら楽観視は出来なかった。

 短い生の中で初めて直面する苦境、死線にフィーネの顔が苦渋に歪んだ。

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