国境


「ここが、闇エルフの王国シャンバラの国境を示す境界か…」

「見れば分かるとモージは言っていたが、なるほど…間違えようがないな」


 アゼルが納得したように頷いているが、それくらい二人の眼前の光景はあり得なかった。

 切り立った崖と崖の間に挟まれた隘路を抜けた先に続く、人と獣によって踏み固められた山道。そこに青々とした葉を繁らせた立派な二本の大木が人間十人ほど並んで通れるほどの距離を開け、並び立っていた。加えてその根元には明らかに人の手による石が無数に積まれ、その光景が偶発的に生まれたのではないことを主張している。

 その威容にまるで鳥居のようだ、と言う感想がジュチの脳裏に過ぎった。天上の神々が降臨する聖地としての石塚オボーの存在に親しむ遊牧民ジュチにとって、聖域の境界を区切る境界線の意味を持つ鳥居の概念は馴染みやすかった。


「これほど天高き峰に大樹が聳え立つとは…。これまでの道行きでは見られなかった光景だな」


 森林限界という奴か、とアゼルの言葉に頷く。地域差はあるが概ね高度が上がるほど高木は生育し辛くなっていき、一定の高度を超えると森林を形成しなくなるという。だがそんな常識を無視するかのように眼前の大木は生き生きとした様子で天に向かって枝葉を伸ばしている。

 現在二人がいる《天樹の国》国境がどれほどの高度になるかははっきりとは分からない。

 だがここ数日は精々背の低い灌木を見るくらいで、近辺の植生を考えれば眼前の巨木は明らかに異様だった。


「しかし心なしか周囲も暖かく感じられるのは気のせいか?」

「いや、気のせいじゃなさそうだ。してみれば分かるけど、ではっきり気温が違うぞ」

「……凄いな。闇エルフは精霊と親しい種族と聞くが、それが関係しているのだろうか」

「天上の楽園…。まんざらモージの吹かしじゃなかったんだな」


 並ぶ立つ双樹が示す境界線上を行ったり来たりしているジュチの言葉に、呆れと感嘆の混じった率直な感想がアゼルの口から零れる。似たような真似ならば恐らく巫術を使うモージでも出来るだろうが、国という規模で恒常的に維持しているとなれば必要な労力はけた外れに膨れ上がるだろう。

 恐らくは闇エルフの秘術が関係しているのだろう。一見地味だがその実凄まじい偉業だ。小規模な環境改変テラフォーミングとでも呼ぶべきだろうか。


「……ところでモージから聞いた国境を護る守護役の姿が見えんが」

「モージが入国したのは今より大分若い頃って話だからなぁ…。下手したら五十年は経ってそうだし、使われなくなって関を廃したとか?」

「いや、しかし…。ありえるか? 闇エルフは余所者への警戒心が強いのだろう。むざむざと警戒網に穴を開けると思うか?」

「山道を進む途中から追剥すら見かけなくなっただろ? あの馬鹿でかい《魔獣》のことも考えるともしかしたら最近は誰もこの道を使ってないんじゃないか。昔から道が険しい上に大人数で通るには向かないってことで使う奴は少なかったらしいし」


 実はもっと安全で利用する人の数が多い隊商向きの経路もあった。

 だが、その経路で辿り着く関所は今ジュチ達がいる位置よりももっと北寄りにあるのだという。

 そしてそちらは今よりもずっと大回りの道行きとなり、時間がかかりすぎる。

 故にかつてモージが利用したという山々を踏破する険しいが短い経路を二人は選択したのだった。


「お前の言いたいことも分かるが…。だが噂に聞く余所者嫌いの闇エルフが全くの無警戒でいるとも思えんぞ」

「だよなー」


 アゼルの懸念に尤もだと頷く。

 精霊と親しい闇エルフのことだ。例えば侵入者を察知するというような、なにがしかの秘術が仕掛けられていてもおかしくはない。


「……噂に聞く魔剣の様子はどうだ?」

「ん。しっかりフィーネの反応がある。北の方にいるみたいだ。どれくらい距離があるかは正直分からないな」

「元よりそういうものだと聞いている。致し方あるまい。それよりもいきなりアテが外れたな」

「ああ。ここで入国許可とフィーネへの取次を頼むつもりだったんだけどな…」


 このまま国境を侵せば不法入国だと捕らえられる恐れすらある。《天樹の国シャンバラ》についてモージや先代族長からの伝聞でしか知らない二人にはそれがどれくらい危険であるのか測ることも出来なかった。

 かといってこの場で何日も当てもなくとどまり続けることも出来ない。


「……止むを得ん。進もう」

「それしかないよな。初めに出会うのが物分かりのいい奴だと良いんだけど…」

「そこはもう天神テヌンに祈るほかあるまいよ」

「まあ、な」


 互いに視線を交わし、頷く。

 闇エルフに断りなく国境を侵す危険性を呑んだうえで、二人は進むことを選んだ。

 元より悠長にしていられる余裕など二人には、カザル族の幼子達にはなかった。


「……?」

「では行くぞ…どうした?」


 と、歩みを進めようと声をかけたところ、様子のおかしい弟分へ訝し気に問いかけた。

 懐から取り出した例の闇エルフ製の懐剣を握りしめながら、しきりに視線を周囲へと向けている。


「いや、なにか…こっちに来るっぽい?」

「なに?」


 なんとも頼りなく、あやふやな言葉に思わず問い返す。

 だが無視も出来ない。この少年の勘働きが優れていることをこれまでの旅路でアゼルはよく理解していた。


「ちょっと待ってくれ。ええと、確か…」


 ジュチはどこか緊張感のない様子で懐剣を鞘から抜き出し、その刀身に視線を落とす。

 釣られてアゼルも視線を遣ると、懐剣の刀身に目に映るかギリギリの、僅かな青白い光が宿っているのが見えた。


(これが例の魔剣とやらか)


 ジュチから伝え聞いていたものの、実際にその魔剣としての力を目にしたのは初めてである。

 そしてその魔剣に宿る力の話が確かならば―――、


「……フィーネだ。近くにいる、いや、近づいてきてる!」

「本当か? それが正しいなら僥倖だが」

「ああ、何となくあいつの気配を感じる。魔剣が教えてくれるのかな? かなり早い。多分飛竜スレンに乗ってこっちへ向かってきているんだと思う」


 かなり詳細な情報を矢継ぎ早に告げてくる弟分を見ると明確な根拠を示せないくせにかなり自信ありげな様子だ。

 目に見える証拠がないので、アゼルとしては疑いの念が強い。

 だが疑いはしても、一概に否定はしない。

 なにせこの少年は呪術師モージの養い子という身の上に加えて《子殺しの悪魔アダ》にジュチだけが罹患しなかったの持ち主、更に魔剣の所持者なのだ。

 見た目は能天気なアホっぽい少年だが、その小さな体躯に蔵する霊力は自分が思う以上に強力なのではないかとアゼルは考え始めていた。


「そのフィーネという少女が近づいているというのは、確かなのだな?」

「ああ。上手く言えないけど、間違いない。アゼルも羊達を見ていて、動き出す前に向かう方向が分かることってないか? あの感覚が近い」

「覚えがあるな。ふむ、言葉に出来ない感覚を拾い集めて頭の中で組み立て、結論だけが出ているようなものか?」

「それだ! 流石アゼルだな、言葉にし辛い感覚を言葉に換えるのが上手い」


 なるほど、と頷く。

 とはいえその言葉に出来ない感覚を拾えるのは恐らくジュチや呪術師といった特異な人種だけなのだろうが…。


「……ならば、しばし待つとするか」


 結局はジュチの言葉に賭けるに決めた。

 こういう時に大事なのは言葉の主を信じられるか否か、なのだ。

 そしてアゼルはジュチをかなり高く評価していた。

 草原の男が持つ物差しは言葉ではなく行動を以てその主を測る。

 険しい旅路に泣き言を言わずに付いてきたことも、人一倍鋭い勘働きを以て命を救われたことも十分に頼りに出来る実績だった。


 ◇


 そして二人が国境を示す大木の傍に腰を落ち着けてから約二刻。

 北の方角から一騎の飛竜がその力強い羽撃はばたきとともに姿を現し、ゆっくりと高度を下げながらジュチ達の近くへと着陸したのだった。

 伝え聞く以上のに迫力に溢れた巨躯と圧倒的な生命力に流石のアゼルも顔を引き攣らせる。

 もし飛竜が二人を餌と見做せば抗う術はないと直感したが故のことだった。

 ジュチは隣でアゼルから漏れ出る動揺を感じながら、前回は自身も全く同じ反応を示したなと何となく懐かしさを感じる。

 飛竜スレンの雄大な気配に動揺ではなく親しみと懐かしさを感じるのが自身のことながら不可思議であった。

 と、二人が注視する飛竜の背から一人の少女が飛び降りてくる。


「ジュチくん、久しぶり! こっちもそっちも色々あったみたいだけど、また会えて本当に嬉しいの!」


 ニッコリと、太陽のような笑顔を浮かべながら。

 ほんの僅かな影を笑顔の片隅に残しながら。

 闇エルフの少女、フィーネと騎馬民族の少年ジュチは《天樹の国》で再会を果たしたのだった。

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