再会③


 草原に生きる騎馬の民の少年と闇エルフの少女を騎手と認め、竜骨山脈を翔ける飛竜。

 普通なら弱肉強食の論理に従った形でしか運命を交錯しないだろう両者は、闇エルフの少女を仲立ちにしてありえざる二度目の邂逅を果たしていた。

 少年は恐怖と好奇心を、飛竜は出処が定かではない興味を湛えて互いの姿を視線に捕らえる。


「―――」

『―――』


 言葉もなく、身じろぎ一つせずに視線を合わせる両者。両者の間で意味合いが違うものの、張り詰めた空気が流れた。


「んー。うん、威嚇の兆候もないし、スレンもジュチくんが気に入ったみたい。なんとなくそんな気がしてたけど、二人は相性が良いみたいだね!」

「……それは光栄。ところで気に入らない奴はどうなるんだ?」

「機嫌が良ければ脅かして追い払うくらいで、悪かったらそのまま襲われて生きてたら御の字かな?」

「…………安全なんだよな?」

「安全だよ? 私がいるもん」


 ちょっとした疑問に返された恐ろしい回答に思わずジュチの顔が引きつった。続けての問いかけにひどく能天気かつ自信満々な声が返される。それを聞いたジュチが安心できたかは当人のみぞ知ることだった。

 そんな風に騎手の少女と漫才じみた掛け合いをしている姿を見られたせいか、心なしか飛竜(スレン)が纏う空気も緩んでいた。果たして気に入られているのか当人としては全く分からないのだが、先ほどからスレンの視線がジッとジュチから離れないのは確かだった。


「それじゃもう少し近づいてみようか」


 と、いとも容易いことかのように告げられる更なる接近宣言。飛竜の持つ絶対強者としての迫力にまだ慣れていないジュチとしてはもう少し段階を踏んでほしいところだが、一方で普通ならあり得ないほどの間近で飛竜(ドゥーク)を観察する機会に興奮していたのも確かだった。


「スレン、いまからそっちに行くからね。いきなり怒って噛みつくのはダメだよ」


 サラリと恐ろしいことを言っている割にひょいひょいと恐れを見せない自然体でスレンに近づいていくフィーネ。流石は飛竜の騎手と言うべきか、それとも本人の無邪気な性格の賜物か。どちらにしろすぐさま真似は出来ないある種の偉業なのは確かだった。

 ジュチは一歩踏み出して立ち止まり、数秒の間二歩目を踏み出すことを躊躇した。前を行くフィーネを見ると振り返ってどうしたのとばかりに可愛らしく小首を傾げていた。

 その無邪気かつ能天気な様子に若干イラっとしたものを感じつつ、ジュチも遂に覚悟を決めた。男は度胸と怯懦を蛮勇で押し殺し、出来る限り平然とした足取りでフィーネの後を追い、スレンへ近づいていく。


『…………ルルゥ』


 歩みを進める中で、威嚇とも、呼気とも取れる微かな音がスレンの喉から鳴る。一瞬足が止まり、スレンを注視するが、素人なりに敵意や警戒と言ったサインは読み取れない。既にスレンのすぐ傍まで歩み寄っていたフィーネも相変わらず能天気な笑顔で来い来いと手を振っていたので、その姿を見て脱力感に襲われつつ更に歩みを進めた。

 そしてフィーネと同じようにスレンと触れ合えるほどの近くへたどり着いた時には、いつの間にか冷や汗でグッショリと服が濡れていることに気が付いたのだった。


「わあ、スレンが初めてでこんなに近くまで寄るのを許すなんてジュチくんは本当に飛竜と相性が良いんだね」

「ちょっと待て。近づくのを許されなかったら俺は果たしてどうなっていたんですかね?」

「大丈夫! もしスレンがジュチくんを襲っても、傷一つ付けずに取り押さえるから!」

「出来れば襲われる前に止めて欲しいんだが?」


 ふんす! と気合を込めて請け負う少女にジト目で突っ込みを入れる。

 自らのとジュチの相性を確かめられたのが嬉しいのか、楽しそうな声を上げるフィーネだが、その内容には突っ込みどころが多過ぎる。と言うよりもこの少女そのものが突っ込みどころしかないと表現するべきか。


「でもその程度には飛竜に受け入れられないと、背中を許してもらうのは無理なの。飛竜の世話係は《天授の国》中の獣の医術師から一番優れた人たちが選ばれるけど、治療できるくらいに近寄れるのはよく慣れた一握りだけ。背を許される騎手はもっと少なくて一頭の飛竜に三人の騎手がいれば多い方なんだから」

「俺から言い出しておいてなんだけど、このお願いって根本的に無理があったのでは?」

「大丈夫だよ。背を許した騎手が同乗するならもう一人一緒に乗るくらいは飛竜も許してくれるの。ジュチくんならきっと大丈夫! ね、スレン?」


 頼るように、甘えるように飛竜に上目遣いに問いかける美しい妖精族の少女。恐らくジュチが相手なら相当な心理的ダメージが期待できただろう。深く考えないままどんな『お願い』でも頷いたかもしれない。だが果たして飛竜にまで効果があるかと言えば、スレンが次に取った行動を思えば怪しいところだった。


『グル……グラアァッ!』


 少女のおねだりに否と拒絶を示すかのように、スレンは一つ咆哮を上げると尻尾を大地にドシンと叩きつけたのだ。スレンの唐突な、しかも否定的な様子の行動に思わずジュチの鼓動が跳ねる。


「ええー、スレンってばお高くとまりすぎじゃないかな? もっと広い心で皆に接した方が私以外のお友達も増えると思うの」

『グルルッ!』


 大して恐れた様子もなく、むしろ不満そうな言動を隠さない少女の心臓はもしかしたら鋼鉄で出来ているのかもしれない。少なくともジュチはそう思った。

 そのあともフィーネはしばらくの間スレンと言葉とジェスチャーを駆使して意思疎通を繰り返していたが、最後には全くもう仕方がないなぁ、とでも言いたげな表情でジュチに向き直ったのだった。


「初めて会ったばかりの相手に背を許すなんて飛竜の誇りが邪魔をするみたい。でもジュチくんが気に入られているのはほんとだから、きっと次に会ったら乗せてくれるんじゃないかな」

『…………』


 シレッと言質を取るかのような言葉にも瞼を閉じ、無視を決め込んでいるらしいスレン。これまでのやり取りを見ていて改めて思ったのだが、やはり飛竜は相当に頭のいい魔獣のようだった。人の言葉が分かるとまでは思わないが、その感情くらいなら察知していたとしても全く驚かない。フィーネとのやり取りもまんざら彼女の一人芝居ではなさそうだ。


「分かった。まあ、しょうがないな」


 果たして次の機会があるのかは不明だが、強行して飛竜(スレン)に食われる危険を冒すつもりは全くない。が、それはそれとして飛竜の威圧にも多少慣れてくるともう少しという欲が湧いてくる。

 触れ合えるくらいの距離で飛竜を観察する。これはこれで周囲に自慢できるくらい貴重な体験だが、もう一歩踏み込んでみたいという気持ちを抑えきれなかった。


「それなら背中を許してもらう代わりに、今日のところは挨拶で終わりっていうのはどうだ?」

「それくらいなら、多分。でも私の傍を離れないでね?」

「もちろん」


 頷く。

 そしてフィーネに制止する暇を与えることなく一歩を踏み出し、その隣に並ぶ。今やジュチは飛竜の巨躯と遮る者無く正面から向かい合っていた。


「はじめまして……じゃあないよな。そっちが覚えているかは分からないけど」

『…………』


 声をかけると閉じられていた瞼が開き、ギョロリと縦に裂けた竜種の瞳孔がジュチを捉えた。その絶対強者の瞳と視線を合わせ、胸の内で湧きおこる感情を訝しく思う。


(やっぱり、変だな)


 散々飛竜の威容に震えておいてなんだが、こうして触れ合えるほどに近くに寄って視線を合わせることで不思議と感覚がある。妙な親しみを感じると言うか、これまで感じていた原始的な恐怖が年長者のおっかない親戚に感じるそれと同じくらいのものに変わっている。


「別に今更文句を言う気は無いんだ。詫びの言葉はフィーネから貰っているし、飛竜に獲物を襲うななんて言うつもりもないし。ただ挨拶位はしたかったし、できればスレンの背を許してほしいとも思ってる」

『ルルル…』


 そして奇妙なことに飛竜から向けられる視線にも立場こそ違えど同じベクトルの感情が籠っているのを感じるのだ。具体的には親戚の悪童辺りに向けるような、仕方がないから面倒を見てやるかという若干の諦観を含んだ面倒見の良さというべきか…。

 もちろん全てはジュチの錯覚で、飛竜(スレン)の方はジュチを単なる餌としてしか見ていないとも十分考えられる。だがこの時のジュチは自身の内から湧き上がってくる感覚に身を委ねることを選んだ。


「あの時も思ったけど、こうして間近で見てみるとやっぱり飛竜(ドゥーク)は凄いな。こんなにデカいのに、《精霊》とも通じ合えて、空まで飛ぶ。フィーネが羨ましい。まあ、俺には大角エウェルがいるけど」

『…………』


 思いつくままにつらつらと語り掛けるジュチに反応を示さず、沈黙を貫くスレン。だがその沈黙に無視や拒絶の意は感じられない。ここまでのやり取り……とは言いづらい一方的な声かけだが、ジュチとスレンの間に流れる空気は決して悪いものではないように思えた。故にジュチは更にもう一歩を踏み込むことを決断する。


「触って、良いか…?」

『…………』


 ジュチの問いかけに瞼を閉じたスレンからフン、と鼻息が返される。知ったことか、とも勝手にしろ、とも取れるような人間臭い反応にその意図を判じかね思わずフィーネを見る。そこには妖精族の少女が先ほどまでの笑顔を上回る勢いで顔中に喜色を浮かべ、花咲くように笑っていた。


「大丈夫。スレンは貴方を拒んでいない。だから、踏み出して」

「……ああ」


 フィーネの言葉に応じ、最後の一歩の距離を詰める。そしてゆっくりと右手を飛竜(スレン)の鼻先に伸ばし、確かにその体躯に触れた。


(熱くて、硬い…。皮一枚下には物凄い『力』が渦巻いてる…!)


 スレンに触れた手のひらから伝わってくるのはまるで炎と岩が混ざり合い、生物としての形に押し込まれているような熱量と躍動感。触れることで一層近くに感じられる飛竜の持つ原始的で圧倒的な生命力にジュチは感動すら覚えた。


「どう?」

「凄い。そうとしか言えないくらいに、凄い」


 飛竜(スレン)を見て、純粋にそう思う。そしてこれほど強大で威厳に満ちた生き物が背中に迎えた騎手の意のままに動くという事実にゾクゾクするような興奮を感じる。優れた駿馬に乗り、その力強い躍動を感じる瞬間の昂ぶりを何倍も濃縮したようなソレ。密かな興奮が胸の内から溢れ出し、発作的な笑い声すら漏れだしそうになるくらいだった。


「ジュチくんも楽しそうだね。良かった」

「なに?」

「飛竜に触れた人はみーんななっちゃうの。うん、私はそっちの顔の方が好きだな」


 フィーネに指摘されて初めて感情の昂ぶりに呼応するように頬が吊り上がっていたのを自覚する。恐らくいま己はとても歪な笑みを浮かべているのだろうと思った。

 ジュチが抱いたそれは飛竜への執着か、欲望か。触れた者に強烈な感情を駆り立てる、強大な生命力と奇妙な吸引力が飛竜(スレン)という生き物にはあった。少なくともこれから先、飛竜という生き物に決して無関心ではいられないだろう。


『…………グ、ルルル』

「どうしたの? スレン」


 不意に黙って鼻先を撫でられていたスレンが鞴(ふいご)のような唸り声を上げ、ゆっくりと体を起こした。再び瞼は開かれ、視線はジュチへ向けられている。微かに開いた口元からは短剣のような鋭い歯が垣間見えた。ゴオオォ、と轟くような呼吸音とともにスレンの胸が微かに膨れ上がる。

 それはまるで息吹(ブレス)を吐く前兆のようで―――。


(何を)


 するつもりかと、疑問に思う間もなくゴウと燃えるように熱い吐息がジュチに向けて吹きかけられた。厳冬期に部族の皆で集まる時に焚く大火の近くに寄ったときに感じる輻射熱より強烈な熱気が風に伴われてジュチの身体を舐めるように吹き去っていく。


(―――)


 熱い、と考える余裕もない。この吐息は火を伴わず、決してジュチの生命に害を為す致命のものではない。だがジュチの身体や生命とは全く別のが灼(や)かれ、浄(きよ)められていることを少年は言葉に出来ない感覚とともに悟る。

 精神そのものに焼きを入れ鍛え上げるような、熱を伴った飛竜の吐息はそのまま十数秒…当人にとっては遥かに長く感じられた時間は、始まりと同じように唐突に終わるのだった。

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