再会②


 闇エルフの少女は自らの名をフィーネと名乗った。昔語りの通り金糸の如き艶やかな髪に人ではありえない笹穂耳、日焼けとは一線を画す自然な小麦色の肌。何よりも妖精じみた繊細な顔立ちは純朴な少年がついつい見惚れてしまうほどに美しい。


「それじゃフィーネはここから北の方に行った闇エルフ達が暮らす山の上の王国に住んでるのか。昔話でなら聞いたことがあるけど、やっぱり本人達から聞くと感じが違うなー」

「うん。私たちは《|天樹の国(シャンバラ)》って呼んでいるんだけどね。とっても高い山々に囲まれてるけど、とっても広くて沢山の同胞達が暮らす素敵な国」


 互いに名乗り合うやり取りから話は広がり、世間話のように互いの国/部族についても語り合う二人。ニコニコと無防備な笑みを見せて嬉しそうに故郷を誇る少女に、ジュチがほんの僅かに抱いていた警戒心もすぐに溶けていく。


「そんなに良い国ならフィーネはわざわざ国の外に出て何をしているんだ?」

「あ…。私はね、探し物をしているの。とっても大事な探し物を」

「探し物? なにか落としたのか?」

「ううん。薬だよ、とても珍しくて滅多に見つからない貴重な薬草を探しているの。その探し物の途中で…」


 あまりの空腹に苛まれた飛竜がたまたま見つけたジュチとエウェルを餌とすべく襲い掛かったのがコトの発端だったと少女は語った。


「スレンも普段はもっと大人しくて聞き分けのいい子なんだけど…。随分長い間ご飯を摂らずに薬草探しに付き合ってもらってたから、お腹が空いていて私の制止も聞かなくて。最後には《精霊(マナス)》にまでお願いしてなんとか止めて…」

「スレン?」

「あ、スレンは私の血盟獣(アンダ)…って言っても分からないか。えーと、私があの時に乗っていた飛竜の名前です。とっても強くて空も飛べて、すっごく頼りになるんだよ!」


 どこか自慢げな様子のフィーネにそれはそうだろうと呆れた視線を返す。飛竜(ドゥーク)に冠された、竜骨山脈の覇者という称号は伊達ではない。そしてそんな飛竜に騎乗し、《精霊》すら使役する少女は見た目だけなら華奢な手弱女(たおやめ)だが、その脅威は外見よりもずっと高く見積もるべきだろう。


「今日は飛竜は連れてきていないのか? でもそうするとここまでどうやって来たんだ?」


 見晴らしのいい草原を見渡しても飛竜の姿はない。あれほどの巨体を視力のいい草原の民が見落とすことはありえないから、少なくとも目の届く場所にはいないのだろう。それゆえの疑問だったが、何でもないことのように答えが返ってきた。


「実はスレンにはちょっと離れたところで待ってもらっています。スレンが居たらエウェルくんが怯えちゃうし、ジュチくんも落ち着いて話せないでしょ?」


 なおこの時少女の語る距離の認識が双方で大いに異なることがこの後分かったりする。


「正直慌てないでいる自信はないな。あれ、ところでエウェルの名前って話したっけ?」

「んにゃっ!? は、話してたよ! 何度も!」

「いや、何度もは話してないだろ。でもパッと思い出せないけど話はしたんだな。まさかエウェルから名前を聞いたはずもないし…」

「そ、そうだよ。そうそう、絶対そう」


 やけに曖昧な笑顔でダラダラと冷や汗を流すフィーネに訝し気な視線を向ける。あからさまに挙動不審な様子は後ろめたいことを誤魔化そうとする義妹(ツェツェク)によく似ていた。だが敢えてツッコミを入れるほど話に穴があるわけでも、興味があるわけでもない。サラリと話を流すことにする。


「それにしても探し物が薬草ね」


 その意味を考えて数秒。すぐに少女の事情を察して、真剣な声音で問いかける。


「……誰か病気なのか」

「妹、みたいな娘(コ)かな。子供の頃からずーっと一緒にいたお友達なの。治すのが難しい病気で……でもその薬草があれば治るはずなんだ」

「そうか。そう、か…そうなのか」


 妹のような娘と聞き、ジュチの脳裏に真っ先にツェツェクの存在が浮かぶ。もしツェツェクが治療の難しい病気に罹ったら…。それは思わず胸を掻き毟りたくなるような辛い想像だった。故に自然と心情の籠った言葉が零れ落ちる。


「それは、辛いな」

「うん…。ありがとね、ジュチくん」

「お礼を言われる覚えはないけどな」

「でも本当に辛いと思って言ってくれたよね。私、そういうのが分かるんだ」


 だからありがとう、と少女は無垢に微笑(わら)った。それは少年が一瞬目を奪われるほど純粋に美しいと思える微笑みだった。


「はい、それじゃこのお話はここまで! ここからが今日私がジュチくんのところに来た本題です!」


 湿っぽい空気を打ち切るためか強引な話の持っていき方だったが、ジュチとしてもいまは少女の微笑みに見惚れた気恥ずかしさを忘れたかったので好都合だった。妖精じみた美しさを持つ少女の無防備な微笑みは世間慣れしていない少年の心をぐらつかせるだけの威力があったのだ。


「さっきちょっとだけ話したけど、今日はジュチくんにお詫びに来ました!」

「お詫び」

「そう、お詫び」


 少女の言葉を鸚鵡返しに繰り返すと、ひどく真面目な顔をしたフィーネが肯定の頷きを返した。だがジュチの方はというと、まるで記憶にないとばかりにとぼけた顔を晒していた。


「なんで? というかなんの?」

「……まさかそんな反応が返ってくるとは思っていなかったの」


 フィーネの言葉は至極妥当だろう。ジュチが飛竜に襲われたのはフィーネの不始末だ。そのお詫びに来たと語る少女になんのことだと疑問符を返すのは流石に予想外に過ぎる。


「いや、そうは言っても。お詫び、とかいきなり言われてもなー」


 この草原に生きる者として、ジュチの心の根っこには弱肉強食の思想が息づいている。例え襲われた理由が少女の不始末に依るものだろうが、。飛竜に襲われるのが特級の災難であることに議論の余地はないが、別段襲い掛かってくるのは飛竜だけではない。狼や熊などの猛獣や他部族の男達などに襲われて命を落とすのもよくあることだ。

 なので結局は自己責任と言う結論に至り、フィーネに対し含む気持ちはあまりなかった。妹のような娘が病気になっているという事情も知ったことで共感と同情すら抱いている。

 もちろん襲われて生き延びたからには応報の矢を向けるのが筋だが、既に負った負傷は癒され、詫び代わりの砂金の粒も渡されている(過日モージに没収されたままだが)。

 これ以上何を求めればいいのだ、と乾いた死生観と素朴な価値観を併せ持つ少年は思った。


「正直べつにこれと言って無いんだけど」

「え?!」


 予想外の反応を返された少女がなんで? と言わんばかりに驚きの声を上げる。


「で、でも私は悪いことをしちゃったからきちんと償いをしなきゃダメで…。このままジュチ君に甘えちゃ私自身がダメになっちゃうから何かしないといけないの」

「そうは言っても…」

「私に出来ることなら何でもするから!」

「ほほう。、と」


 そう意地悪く問いかけると今更ながらに脇の甘い発言を自覚したのか、若干顔色を青くするフィーネ。だが前言を撤回することはせず、むしろ二言はないとばかりに少女は潔く言い切った。


「わ、私が出来て他の人に迷惑が掛からないことなら!」

「じゃ、飛竜(スレン)に乗せてくれよ! 生きてる内に一回くらいは乗ってみたいと思ってたんだよなー。空を飛ぶってどんな感じなんだ? すっげー面白そう!」


 無暗に意気込んだ発言を意図的にかすように少女の予想を外す願いを告げる。半ばからかいの意図を込めてだが、もう半ばは本気の言葉だった。

 ! 少年の心を占めるのはそんな無邪気な好奇心とわくわくとした高揚感である。ジュチは結構その時の気分で物をいうタイプだった。そして軽率な発言をあとで後悔するところまでが予定調和だ。


「……ジュチくんって変わってるね。それとも草原ではこれが普通なのかな?」


 気が抜けて脱力したような、または突然目の前に珍獣が飛び出してきたような。なんとも味わい深い表情を見せるフィーネだった。


「そうか? 多分他の連中も飛竜に乗れるってなったら我先に群がってくると思うけど」


 恐らく近くのダブス湖沼で水遊び中の四人|兄弟姉妹(きょうだい)も似たような反応を示すのではないか。ジュチの想像は恐らく正しい。

 とはいえそもそも彼らからという発想が出てきたかと言えば非常に怪しい。誰が一噛みで己を丸呑みに出来る猛獣の背に乗りたいと思えるだろうか。少なくとも誰かが試して安全を確かめた後ならともかく、自分が最初の一人に志願するのは相当な勇気か考えなしの無鉄砲さが必要だ。そして少年は後者に属する人間だった。


「そうかなぁ…?」


 と、ジュチの言い分に首を捻る少女だが、彼女自身普通とは言い難い場所で育った身だ。こういうものだと言われればそうなのかと返す他なく、少年の妄言に疑念を抱く程度に留まっていた。


「で、どうなんだ? 俺、飛竜に乗れるの?」

「う、うーん…。同胞以外が飛竜に乗ったことはあったっけ? でも別に他所の民だから飛竜に乗せてはいけないなんて掟もなかったはず…。スレンが許せば有り、なのかなぁ?」


 ブツブツと呟きながら有りか無しかの成否判定に迷っている様子に困らせてしまったかと問いかける。少年としてはほんの思い付き以上に意味はない願いなのだ。少女を悩ませるのは本意ではなかった。


「なにかマズイことでも?」

「飛竜の背に乗るのはとっても危険なんだよ。スレンは大人しい方だけど、気が荒い個体は気に入らない相手が近づくと威嚇じゃ済まないこともあるし…」

「あー…」


 いっそ能天気な相槌が漏れる。飛竜に乗れる、という希望の良いところだけを見ていたのだが、今更になってその危険さを思い出したらしい。


「スレンと顔合わせをして、そこで嫌がられなければ、まあ、ギリギリ? 大丈夫、かなぁ…」


 はなはだ自信の無さそうな様子にもういっそ前言撤回した方が良いのだろうかと今更ながらに少年は思った。


「……流石に顔を合わせた瞬間に襲われるってことはないよな?」

「私がいるから大丈夫! でも絶対に私より前に出ないでね。言いつけを破ったら死んじゃうから」

「あ、はい。頼りにしてます」


 笑顔で胸を叩いてその点は自信満々に請け負うフィーネだったが、同時に警告の中身も誇張は一切なさそうだった。思わず真顔になって応じたジュチへ不思議そうな視線が向けられる。


(……まあ、方法は分からないが空腹で気が立っている飛竜を抑え込んだフィーネがいるわけだし。死ぬことはない、はず)


 胸の内で格好悪い皮算用を立てると、心を擽る好奇心と高揚感に身を任せることに決める。なんだかんだと言って飛竜に乗るという人生で一度あれば幸運と言い切れる機会にジュチの子ども心は大いに揺さぶられていたのだ。


「とにかく一度スレンと挨拶してみよう! うん、ジュチくんならきっと大丈夫!」


 と、元気は良いが安心感と根拠に欠ける発言にこの娘さては考えながら動くタイプだなと直感する。わざわざ誰が咎めるでもない不始末のをするためだけにジュチを探し出し、馬鹿正直に向かい合う辺りどうもひどく生真面目な性質のようだが、実行に当たっては意外と力業で押し通す性格と見た。気質と才覚で突っ走れるだけ突っ走り、普通なら躓く場所でもセンスと才能でどうにかしてしまうような天才肌。それ故に常人ならば速度を緩める時も気にせず、むしろ加速して突っ走ってしまいそうなじゃじゃ馬じみた気配を感じる。


「それじゃあこっちに来て!」


 先ほどまでの迷いはどこへ消えたのやら。満面の笑みを浮かべた少女はジュチの手を握るとこっちへ来いとばかりに先導し始める。突然の心理的奇襲から来る気恥ずかしさに身体が強張るジュチだったが、微妙な抵抗を示された少女にきょとんとした顔をされるともうどうにでもなれとやけっぱちな気分で歩調を揃えて歩みを進める。エヘヘとやけに嬉しそうに笑う少女の横顔を意識的に無視しながら。

 少女の歩みは族長家の四人兄弟姉妹たちが水遊びに興じるダブス湖沼とは反対側、彼らの視界が丘によって遮られ、死角となる丘の陰へ下っていく。


「どこまで行くんだ? あまり遠い場所だと戻るのに時間がかかるから不味いんだが…」

「大丈夫だよ。すぐそこだから」

「すぐそこって言っても…」


 視界にはやはり飛竜の姿はない。首を傾げたジュチだったが、その疑問はすぐに氷解することとなる。丘を下ってすぐ、大地が傾斜から平らになる境界を少し超えた先に到着した。


「はい、到着」

「到着って…。飛竜なんて何処にも見当たらないぞ」


 疑問の声を上げるジュチだったが、そこで違和感に気づく。少し離れた正面の位置に、ゆらゆらと揺れる陽炎が朧げに揺らめいていた。


「フフーン、それは私が《精霊(マナス)》にお願いしてスレンを隠しているからなのです。今からその隠れ蓑を解くから、ちょっと見ててね」


 得意気に胸を張り、ジュチの疑問へと答えを返す。そのままフィーネは歌うように《精霊》への祈りの言葉を紡いだ。


「《風精(シルフ)や風精(シルフ)。お願いゴトはもうおしまい。貴方が隠した私のお友達を、私に返してくださいな》」

「んんっ?」


 キン、と耳に来る違和感に襲われる。音楽的な響きの美しい声音が、一瞬にして何十も重なって聞こえたような感覚。クスクス、クスクスと微かに聞こえる軽やかな笑い声は果たして幻聴なのか。

 フィーネの詠唱が終わった瞬間にブワリ、と。瞬間的な突風が大地の砂塵を巻き込み、二人の周囲を駆け抜けていく。


「ッ―――!」


 吹き抜ける砂塵から両目を庇い、咄嗟に両手で顔を覆うジュチ。突風はすぐさま吹き抜けていき、視界が塞がれたのも一瞬の間だった。


「ありがとねー!」


 と吹き去っていく風へとお礼を述べる少女。その姿にようやくジュチの理解が追いついた。


「今のは巫術(ユルール)か」

「そうだよ。空気をたくさん集めて固めると隠れ蓑を作れるの。その隠れ蓑の中にいると誰からも見えなくなるんだよ」


 凄いでしょ、とばかりに自慢げな少女。普通なら基礎的な科学的知識の不足と言葉の足りない説明に理解できず頭を抱えていただろうが、ここにいたのは天神(テヌン)の寵児(いとしご)と呼ばれる異界の知識の持ち主だ。何とか理解できそうな知識を拾い、頭の中で理屈を組み立てていく。


(光の屈折率を空気の密度を変えることで操作している? 光学迷彩ってやつか)


 それこそ空想科学小説に登場そうな超技術を《精霊(マナス)》と呼ばれる超自然的な存在の力を借りて、恐らくは感覚頼りに実現しているというデタラメ。闇エルフというのはどいつもこいつもこんな理不尽な存在ばかりなのだろうか。もしそうだとしたら絶対に喧嘩を売らないようにしよう、と心に決めた瞬間だった。


(って、待て。そうなると巫術で隠していたモノは―――)


 脳裏に理解と連想が結び付き、吹き荒れた砂塵が落ち着きつつある風の爆心地へと視線を向ける。


(―――)


 ギラリ、と獰猛に輝く一対の眼光が砂塵の向こうからジュチを射抜く。

 其処には飛竜(ドゥーク)が、過日ジュチを散々に追い回した頂点捕食者の姿があった。傍らには騎手であるフィーネがいる、危険はないと理性では理解しつつも、生物としての格の違いが心の準備をする暇も無く飛竜と相対した少年の心を捕らえる。


「紹介するね。この子がスレン、私の守護者(スレン)。自慢の血盟獣(アンダ)で、私のお友達です!」


 青空に溶けていきそうなくらい朗らかで楽しそうな声で紹介に預かったは、目の前に現れた見知らぬ少年を酷く興味深げな目つきで睨(ね)め付(つ)ける。対峙するジュチはその興味が食欲をそそる方向ではないことを思わず天神(テヌン)に祈るのだった。

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