第139話

「と、取り逃がしただとぉ……!?」


 ルトヴィル厶の中心、ルイドール領主館。

 その執務室に怒りと驚愕が入り混じった声が響いた。

 声の主はダーレン・オルコット伯爵。ここ、ルイドールを治める領主だ。


「それは冗談のつもりか? 黒級冒険者ともあろう者が、魔族の小娘一人捕まえられんとはいったいどういうことなのだ!?」


 彼は眉間に皺を寄せ、唾を散らす勢いでマハトを問い詰めた。


「……さっき報告しただろう。邪魔が入ったんだ」

「だとしても貴様は黒級であろう!? そんな奴、さっさと叩き斬ってしまえばよいではないか! この私が依頼主なのだ。それで罪に問われることもない!」

「はぁ……それも報告書に記したはずだ。そいつの胴体を真っ二つに裂いてやったが数秒後には元通りになっていた。恐らくだが、高度な幻惑魔法の使い手だ。それにステータスも高い。あれは黒級相当の冒険者だ」


 怒りで興奮するダーレンとは対照的に、マハトは落ち着いた様子で答えた。


「黒級相当……〝妖精女王〟か? いや、奴なら真っ先にここへ抗議しにくるはず……ええい、いったい何者なのだ。ソイツは!」

「……わからん。それに黒級相当というのはステータスの話だ。登録証は橙級だった」

「だ、橙級だと? それでは特定など不可能ではないか!」


 ダーレンは歯痒そうにしながら机を叩いた。

 希少な黒級と異なり、橙級の冒険者は大陸全体にごまんと存在している。さらに姓の無い平民となれば、探し出すのは到底不可能だった。


「くっ、仕方あるまい。貴様はその邪魔者の人相を知っているのだろう? ならば引き続き捜索しろ……あの魔族はなんだ」

「既に前金は貰ったからな。言われなくてもそのつもりだ……だが、一つ確認しておきたい。あの魔族を危険視する理由はなんだ?」

「っ……」


 マハトは鋭い眼光をダーレンへと向けた。

 大陸最強とも噂される彼の覇気を含んだ瞳が、髭面で太った男性の顔を映しだす。

 そのあまりの威圧感にダーレンは少し身体を竦ませた。


「な、なんだ? まさか疑っているのか?」

「まさか。気になっただけだ」

「しょ、詳細は言えん……国家機密なのだ。しかし、貴様わかるだろう。魔族の卑劣さが……!」


 冷や汗を垂らしながらダーレンは答える。

 全く説明になっていない説明。しかし、マハトはそれ以上追及することはしなかった。

 それどころか、彼は瞳に憎悪の念を宿らせた。


「……愚問だったな。また何かわかれば報告する」


 彼はそれだけ言い残すと、執務室から出ていった。

 突き刺すような威圧から解放されたダーレンは、はぁっと大きなため息をついた。


「……はん、扱いやすい男だ。黒級といっても、所詮は若造だな」


 ダーレンは、髭を指で整えながら忌々しそうに吐き捨てた。

 緊張が解けた彼は、座っていた椅子へグッと背中を預けた、その時だった。


『──あはっ、散々な言われようねぇ。主が知ったら大変よ?』

「ひえっ……!?」


 背後から響いた少女の声に、彼は飛び跳ねた。

 その滑稽な挙動をくすくすと笑いながら、声の主は姿を現した。

 黒と赤の入り混じったラビットスタイルのふわふわのツインテールを揺らした少女だ。

 白い肌のせいか、紅い瞳と唇がとても印象的だった。


「た、大変申し訳ございません。先ほどの言葉はあの者を焚きつけるために仕方なく言っただけでございまして……け、決して私の本心ではございません」


 ダーレンは即座に椅子から立ち上がり、怯えながら少女の足元で平伏した。


『ふぅん。まぁ、いいわ。どうせ私には関係のない話だから。それより重要なのはの方ね……これで二度目よ?』


 少女が語気を強めると、不穏な空気が空間を支配した。

 ねっとりとした恐怖がダーレンを包むと同時に、室内の影という影から異形の魔獣が這い出てきた。


『グルルルルルッ……』


 あっという間にダーレンを取り囲んだ魔獣たちは、唸り声を鳴らして彼を威嚇し始めた。その様子は、まさに主人の合図を待つ猟犬そのものだった。


「ひっ……も、申し訳ございません……。そ、その、強力な幻術使いが我々の邪魔をしているようでして……」

『へぇ、幻術ねぇ……』


 額を床に擦りつけたまま弁明の言葉を並べるダーレン。それを聞いた少女は、少し考えるような仕草を見せた。


『なら、貴方の部下を数名貸しなさい』

「それは構いませんが……よ、よいのでしょうか? 報告によれば邪魔者は黒級相当の力を持っているらしく……私の部下ではお役に立てるかどうか……」

『うふ、問題ないわ。私の一部を植え付けて、そこそこ使い物になるようにしてあげる』

「う、植え付ける……? そんなことをして本当に大丈夫なのでしょうか?」


 ダーレンは不安そうに尋ねた。

 無論だが、彼が心配しているのは少女の方ではない。

 彼女は、人の姿をした怪物だ。とてつもなく強大で恐ろしい存在。

 そんな怪物の、僅か一部でも取り込んでしまえば、その者はいったいどうなってしまうのか。

 ダーレンは、それだけが気がかりだった。


『あら、おかしなことを聞くのね』


 少女は、心底理解できないという顔をダーレンに向ける。

 それから、その紅い唇を三日月の形に歪めた。


『少しくらい壊したって、貴方ならいくらでも代わりを用意できるじゃない? そうでしょう? 領主サマ』

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