第116話

 ──見つけたらボコして、衛兵に突き出してやろう。


 ここに降り立つ前、最初はそう考えていた。

 そう思った理由は二つある。


 まず一つは動機。

 悪党がモニカを狙うとすれば、その動機は違法な人身売買だと睨んでいた。これは事前にエレノアから認識阻害の眼鏡をかける理由を聞いていたからだ。

 それからエレノア曰く、相手は組織的で統率も取れていたとの事。つまりは強姦目的のチンピラでも、衝動的な殺人鬼でもなく、プロの人攫いの可能性が高い。そしてプロが扱うである以上、彼女の生命や貞操が脅かされるまでに多少の猶予があるわけだ。

 皮肉な事に、その猶予があるからこそ、俺は何とか理性的な思考を保つことができた。


 二つ目は俺が日本という平和な法治国家で生まれ育ったせいだ。

 日本じゃ私刑は違法だ。犯罪者は警察が捕まえ、司法が裁きを下す。

 捕まえるだけなら一般人でも許されるが、罰を与える事はできない。たとえ被害者本人でも、その首に手をかける事は決して許されないのだ。


 それが当たり前の社会。

 それが理性ある人間の正しい在り方だと。


 故に、俺は衛兵に突き出そうなんて生ぬるい考えが頭に浮かんだのだ。


 ──だが、気が変わった。


 いや、違うな。


 正しくは、ちまった。


 血と涙で汚れた幼馴染みの顔。

 そのすぐ傍で驚いた顔を見せる見覚えのある金髪野郎。


 それらが視界に入った瞬間、理性なんてものは一気に吹き飛んだ。


 感情に流されるのはよくない?

 知るか、んなもん。

 別に俺は正義のヒーローを語るつもりはねぇ。

 如月さんの時だって、俺は俺のエゴを押し通した。俺が正しいと思った選択をした。


 俺がどんな存在で、俺が何を望み、俺が何をもたらすのか。

 俺は俺の意思で決める──くだらねぇ型には嵌まらない主義なんだよ。



 ただ湧き上がる怒りが、俺の唇を動かす。


「──覚悟しろよ」


 急いで駆けつけるのに役立つだろうと、エレノアがくれた三つ目の龍玉。その新たな〝竜基解放ドラグライズ〟がもたらす権能は風だ。


 このクソ野郎どもを切り刻むのに、これほど最適な能力はなかった。


『【風姫竜フィノーラ嬰鱗オルギ】』


 肉体が限界を迎える前に、俺は権能を発動させた。


「あぁ……?」


 まずは一人、いやだ。

 こんな奴ら、人ではない。だから魔獣と同じ数え方で十分だろう。

 出入り口付近でスカしてやがる用心棒みたいなヤツに向けて、俺は手刀を放つ。

 どう見ても腕が届く距離ではないが、関係ない。俺の腕に渦巻く暴風は、不可視の斬撃となって男の両腕を切り落とす。


「あがあぁぁぁァッ!?」


 不可解な攻撃。突然落ちた腕。そして激痛。

 色んなものが同時に彼の脳内を巡った結果、それは苦悶の叫びと変わる。


「兄貴ッ! もの凄い勢いで何かが屋根に落ちましたけど!?」

「だ、大丈夫ですか!?」


 それと同時に男の手下と思しき奴らが、ぞろぞろと倉庫内に駆け入ってくる。

 どちらかと言えば先ほど屋根を突き破った事に反応したのだろう。


「ひっ!? 兄貴の腕が!?」


 その証拠に腕を失った男の姿を見てさらに驚愕していた。

 そんな彼らに向けて俺は手刀を放った。


「ぐッ! 俺のことはいい! 腕なんざ部位が残ってりゃ魔法でなんとかなる! それよりもアイツを殺せ!」


 腕を失った男が手下に向かって叫ぶ。悪党ながら良い判断だ。

 欠損をゼロから再生するには、最上級の回復魔法が必要だ。無論、そんな魔法を保有する人材がこの街の教会にいるはずもない。


 だが、欠損部分が綺麗に残ってりゃ話は別だ。切り口が損壊していたり壊死してなければ、中位の回復魔法で癒着くらいはできる。

 だから男の判断は正しい。もし冒険者として活動していれば、きっと良きパーティーリーダーになれたことだろう。


「お前は誰に指示してるんだ?」


 たが、もう遅い。何もかも手遅れだ。

 その指示に従う手下は、もういない。


「兄、貴……?」


 手下たちはそんなセリフを残した後、その首を床へ落とした。

 頭部を失い、次々に倒れていく手下たち。


「おい、嘘だろ……いったいどうなってやが──」


 男は足元に転がってきた生首へと視線を落とし、驚愕を吐露した。

 その言葉の途中で、彼の首もまた胴体から離れ落ちた。


「ひ、ひぃ……!?」


 その凄惨な光景を見て、金髪野郎──ハインツが駆け出した。

 どうやら逃げ出すつもりのようだ。その背中を目掛けて俺は手刀を放った。


「うぎゃあああッ……!?」


 その両足が千切れ飛び、彼は顔から地面に突っ込んだ。


「ひぎゃッ!? ぼ、僕のッ!? 僕の、足があァッ!?」

「ハ、ハインツさん!!」

「うぎぎぎッ……何してるんだ、ブルーノォッ!? 早く僕を助けないか!?」


 痛みと恐怖で錯乱気味に叫ぶハインツ。

 だが彼が助けを求めた相手であるブルーノは足を震わせながら立ち尽くすだけだ。

 以前ハインツがボコられた時と同じように、身体が竦んで動けないようだった。


「……」


 俺はポーチから取り出したポーションの瓶を咥えた。呪いによって失われた体力を回復するためだ。

 どろりとした薬液を一気に飲み干すと、瓶を投げ捨てながらハインツへ歩み寄った。


「モニカを泣かせたのは、お前だな」


 這いつくばるハインツを見下しながら俺は腕を振り上げた。


「ひぎっ……た、頼むッ! 許してくれ! もう君たちには手出ししないッ! 約束するから!」

「……何を言ってるんだ?」


 静かに吐露した後、俺はハインツの右手首を切り落とした。


「ひぎゃあああッ!?」


 苦痛のあまり叫び声をあげるハインツ。


「逆恨みで女の子を攫って縛り上げて殴るようなヤツが言う『もうしません』なんざ、信用できるわけねーだろ」


 床に転がった怪しげな魔道具。

 いったい何を目論んでいたのか、そこはかとなく想像がつく。

 喧嘩を売って返り討ちにされた──たったそれだけのことで、こんな犯罪行為に走る男のことだ。生かしたところで、懲りずにまた復讐を企てるのが目に見えた。


 今回、モニカが怪我だけで済んだのは偶然だ。

 考えたくもないが、最悪の結果となる恐れだってあったわけだ。

 だからこそ、次が絶対ないようにしなきゃならない。


 俺は無言で腕を構えた。

 そしてクズ野郎の首目掛けて振り下ろそうとして──


「もういいわよ……ケント! あたしは大丈夫だから!」


 それを止めたのは、モニカの声だった。

 視線をそちらへ向けると、彼女は青ざめた表情で俺を見ていた。


「モニカ……」


 そこで俺は少しだけ冷静さを取り戻した。

 見回せば、辺りは血の惨劇だ。常人ならば見るに耐えれない、そんな状況。

 それが彼女を青ざめさせた原因だと、すぐに悟った。


「もう大丈夫、大丈夫だから……そんなことしないで……」


 声を震わせながら、そんなことを言うモニカ。

 そりゃ、そうだよな。幼馴染みが目の前で人を殺しまくってんだから。

 彼女が動揺するのは当然だし、何よりこの惨状は精神的に来るものがあるだろう。


「あー、くそ……」


 思わず苛立ちを吐露してしまった。

 モニカに対してでも、目の前で呻くハインツに対してでもない。

 目の前の少女を救うどころか、逆に彼女を不安な気持ちにさせ、見たくもない惨劇を見せてしまっている。それに気づかない愚か者自分に対してだ。


「……悪いモニカ……嫌なもん、見せちまったな……」

 

 俺は〝竜基解放ドラグライズ〟を解除した。

 それからモニカの傍へ歩み寄ると、その手枷を力任せに壊す。

 通常モードにあたる〝疑竜人化ドラゴノイド〟でも簡単に破壊できた。

 普段のモニカなら自分で壊せるはずのお粗末な拘束具。それができなかったということは、彼女は万全な状態じゃないのだろう。



「大丈夫……じゃなさそうだな。立てるか?」

「あ、ありがと……」


 具合のよくなさそうなモニカに向けて手を差し伸べると、モニカはおずおずと手を取った。


「ほら、俺に掴まれ」

「へっ!? だ、大丈夫よ。自分で歩けるからっ」

「いや、そんなフラフラの状態で何言ってんだよ……ほら」

「にゃっ……!」


 まだ足のふらつく彼女を立ち上がらせると、そのまま抱き寄せた。

 何だか変な声が飛び出したが……気にしないふりをしておこう。羞恥心からか、その耳が真っ赤になっているのが見えたからな。


「さてと……後はこいつらの始末だが……」


 吐露しながら俺はブルーノへ視線を向けた。

 すると彼は『ヒイッ……』と小さな悲鳴を上げた後──


「すす、すッ、すみませんでしたァッ!!」


 そんな叫び声を上げながら全速力で逃げていった。

 それを俺は黙って見送る。追うのは容易いが、必要ないだろう。

 あれだけ小心者なら後から報復に来る心配はなさそうだからな。

 それに、これ以上暴れるとモニカの精神衛生上よくない。

 


「にょほほほっ! ようやく追いつきましたぞ! さぁ悪党どもめ、このエレノア・ローゼンハイムが正義の鉄槌を──ってにょひいいいいいっ!? 何ですか、この死体の数はっ!? ここは殺戮遊戯デスゲームの会場ですか!? もしやイカですか!? イカのゲームなのですか!?」


 脱兎の如く逃げたブルーノと入れ替わる格好でエレノアがやってきた。

 相変わらず意味不明なテンションだったが、それも刹那。途中で視界に映った惨劇に悲鳴を上げた。


「ナイスタイミングだ、エレノア。モニカが歩くのを手伝ってくれ。俺はこいつを運ぶからさ」


 そう言って俺は、足もとのハインツを視線で示した。


「うぐぅ……痛い、痛いよぉ……ちくしょう……」


 本人は逃げ出そうと必死なようだ。俺とエレノアの会話には耳を傾けず、唯一残った片腕で身体を引きずっている。

 ただ、痛みのせいか大した距離は進んでいなかった。


「それは構いませぬが、この有り様を見て、なおも冷静でいられるのは逆に怖いですぞ……ケント殿はサイコパスなのですか」


 珍しく引き気味のエレノアの言葉を受けて、俺は思わず頭を掻いた。


「言ってくれるな。ちゃんと人の心は持ってるさ。ただ、こんな悪党どもに与える慈悲は持ち合わせてないだけだ」

「もちろんケント殿が優しい心根の持ち主であることは知っております。ただ、普通は人を殺めることには抵抗がありますゆえ……」

「……だったら尚更、俺の役目だな」


 そんな風に答えると、モニカが申し訳なさそうな顔を見せた。


「ケント……ごめん、あたしのせいで……」


 どうやら俺が汚れ役を引き受けたものだと解釈したらしい。


「いや、そういうつもりで言ったわけじゃねぇ。モニカは何も気にしなくていい」


 正直に言うと、悪党に手をかけること自体に抵抗はない。

 というのも魔族や意思のあるアンデッドを人として数えるなら、俺はとうの昔に二人殺しちまってることになるからな。良くも悪くも今さらってわけだ。


「さてと……おい」

「ひっ……」


 俺は改めてハインツを見た。


「このまま置き去りにされて死ぬか、その不自由な身体で生きてくか──選ばせてやる」


 大切な仲間に手を出した張本人は、出血により青白い顔をしていた。

 俺が手を下さずとも、このまま放置すればやがて失血死することだろう。

 それでも選択肢を与えてやった。これ以上モニカに嫌な気分を味あわせないために。

 もっとも、死なせてやった方が街の秩序が保たれる気はするがな。


「ぎぎ……馬鹿にしやがって、ちくしょう……ちくしょうッ……!」


 この俺に生殺与奪を握られている。その事がよほど気に食わないのか。

 ハインツは恨み言のようなものをブツブツと呟き始めた。

 その様子に俺は思わずため息をついた。


「なぁ、自分が死にかけの状況だってのを理解してないのか?」

「クソッ……クソッ! なんで僕がこんな目に……てやる……殺して……る」

「話聞けよ……つーか恨むのは筋違いだって。これはお前が始めた喧嘩だ。それも負けりゃ殺されても文句言えねーレベルのことを仕掛けてきてな。それに負けたんだよ、お前は。だから、いい加減に諦めろって──」

「──ご、ゴご、ゴロジテッゴロ……ッ」


 駄目だこりゃ。救いようがないな。

 このまま生かしておいても、また何か問題を起こしそうだ。

 モニカには悪いが、やはりトドメを刺しておくか。


「ケ、ケント殿……その者、何やら様子がおかしいですぞ……?」

「……おかしい? そりゃ、どういう意味だ?」

「ゴロすッ!! ゴロズッ──グオォぉぉォォぉオオオッッ!!」


 突如として倉庫内に響き渡った咆哮。

 獣のようなそれは、床に這いつくばる男──ハインツから発せられていた。

 その傍には空になった薬瓶が転がる。何かの薬を飲んだのか?


「ガアァァアアアッッ! グギギギ、ギガッ!!』

「きゃ!? 何なの……っ!?」

「わかりませぬ! ですが、こういう時は退いた方が吉ですぞ!?」


 いったい何が起きているのか。

 それを理解する間もなく、ハインツの肉体がボコボコと波打ち始めた。

 まるでゾンビ映画に出てくるクリーチャーのようだ。粘土みたいに蠢く肉体が、どんどん彼の姿を変えていく。


「嘘だろ……魔獣化した……?」


 やがてハインツものは、ゆっくりとその身を起こした。

 その頭部から伸びる大角が、もはや彼が人でない事を示していた。


『──グオオオオオォォォォォォッッ!!』


 漆黒の獣。その咆哮が貧民街にこだました。

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