第41話

 ──ゲジゲジショックで幕を開けたダンジョン探索も、既に開始から二時間が経過しようとしていた。

 残す階層も後一階層というところにまで迫り、俺のにもようやく終焉が見え始めていた。


 ボス魔獣に備え、俺たちは瑠璃子の発動した【聖域サンクチュアリ】の中で暫し休息を取る。


「フゥ、アトスコシ、アトスコシ……」


 おっと、俺の言葉が少しぎこちなく聞こえるかもしれないが、どうか許して欲しい。

 ゲジゲジの後は巨大なムカデに巨大なミミズ、それから王ちゅ──じゃなかった。

 でかいダンゴムシみたいな魔獣まで。

 それはもう世間一般の大多数が毛嫌うような虫たちのオンパレードだったのだ。

 そんなゲテモノフルコースの魔獣さんたちを、杖で殴り、潰し、引きちぎり、踏み潰し、その他諸々を繰り返してきた俺のメンタルが正常なわけがないのだ。


「だ、大丈夫ですか? 賢人さん……?」


 瑠璃子が心配そうな顔で俺の顔を覗き込みながら、【浄化】の魔法をかけていた。

 正直、今はそっとしておいて欲しい気分だが、返答を返さぬわけにも行くまい。


「大丈夫ダ、問題ナイ」


「お主、セリフが棒読みになっとるぞ……」


 ユーノが呆れた顔で指摘した。

 おっといけねぇ。放心のあまり、機械的な返答になっていたようだ。


「ほれ、妾も【浄化】をかけてやるからの。元気出すのじゃ」


 そう言ってユーノは、瑠璃子同様に【浄化】の魔法を俺にかけはじめた。

 ちなみに【浄化】とは、肉体汚染、精神汚染などの汚染系バッドステータスを解消してくれる【状態異常解除】スキルの一つだ。

 暖かく、優しい光が俺を包み込み、──あ゛あ゛、心が洗われるぅ……。


「甘えさせてもろてほんまに感謝やで、あんちゃん。おかげさまで魔力はバッチリ温存できたわ」


 一息ついたところで、日坂さんが俺に話しかけてきた。


「そうか、それは良かった。正直なところ、今までで一番キツい仕事だが……ま、役に立てたなら何よりだよ」


 本気で断るという手もあったのだが、これも天罰だと思って俺は諦めた。

 ぶっちゃけ最初は能力隠して損な役回りを逃れようなんて、そんな邪念を抱いてた訳だし。バチが当たってもおかしくはないだろう。

 それに、こんな俺でもSランク冒険者かつレイド内で最大のステータスを誇る男だ。

 自分が嫌だからと言って、下位ランクである岸辺さんに嫌な役回りを押し付けるのは、それはそれで俗に言うパワハラ上司みたいでダサいしな。


「あんちゃんってば、結構お人好しなんやな」


「そうかもな。でもまぁ、愚直に生きるのも悪くないぞ。あまり打算的に物事を考えすぎるのも疲れちまうし、必ず上手く行くとも限らないしな」


「……そうやな」


 俺が言葉を返すと、日坂さんは少しだけ目を伏せた。

 初対面で見せた愛嬌ある表情とは真逆の表情だ。

 もしかしたら、何か失敗経験でもあるのかもな。打算が過ぎて取引で大損しちまったとかな。

 だとすれば、あまり詳しく聞くのも野暮ってもんだろう。

 少し気になったものの、俺はそれ以上の言葉を発さなかった。


「いやぁ、変な空気にしてもうたな! お詫びや、これでも飲み!」


 十数秒の間を空けて、日坂さんはパッと表情を切り替えた。

 いつもの愛嬌ある笑顔を見せながら、缶ジュースのような物を俺に手渡してくる。


「お、おう……? ありがとな」


 半ば強引に手渡されたそれに視線を向けると、ラベルにはこんな文字が。


 ──『魔力増強剤マギアエナジー


「あ、あの、日坂さん? 俺、魔力使ってないんだが……?」


 むしろ本日は過酷な肉体労働しかしてませんが。

 俺が疑問の表情を日坂さんへ向けると、彼女はニカっと笑いながら、


「ああ、そっちの効果はオマケや! 一応、魔力ポーションの役目もあるんやけど、他にもエナジー成分がぎょうさん配合されとってな! 活力みなぎるで!」


 なるほど、副次的に配合してある成分がエナドリ系なわけだ。

 そういや、どこかで見た記憶があるデザインだな。これが最近ネットで騒がれてるってやつか。

 よく見れば日坂さんの手元には俺のと同じラベルのドリンクがあった。

 しかも俺に手渡したやつより内容量が多いロング缶タイプだった。

 どうやら彼女は、このエナドリポーションの愛飲者のようだ。


「ん? 朱音ちゃん、またそんなん飲んでるんかい。ここんとこ毎日飲んでるやろ? 夜寝れんくなってまうで?」


「なんや、オカンみたいなやっちゃな。そんなに心配せんでも大丈夫や。もう飲み慣れとるからな。──むしろ飲まんと一日が始まらんくらいや!」


 心配する岸辺さんを適当にあしらうと、彼女はグビっとビールを呷るような勢いで魔剤を飲み干した。

 発言が完全にエナドリ中毒者のそれなんだが、あまりの飲みっぷりになんだかすごく美味しそうに見えてきた。

 よし、せっかくだし俺も頂くとしよう。


「お、意外と美味いな。それに元気が出る感じするかも」


 よくあるエナドリの風味感は残るものの、味のベースはアップルジュースっぽかった。

 確かにこれなら女性でもハマる人はハマるだろうな。


「パイセン、ハマり過ぎてSNSで空き缶積んだ写真とか上げないでくださいっすよ?」


「空き缶……? おう、そんな事しねーよ」


 星奈が横目でそんな事を言っていたが、俺にはよく理解できなかった。

 空き缶ってただのゴミだろ?そんなゴミの写真をアップして何の需要があるんだ。

 それにしても美味いなコレ。東京に帰ったら箱買いするか。


「──朱音、そろそろ出発せなあかんのちゃう? こないな所に長居してもしゃあないし」


「ん、ああ、せやな。ほな、そろそろ行こか」

 

 徐に切り出した如月さん。その言葉に日坂さんが同意した。

 いくら【聖域サンクチュアリ】の圏内とはいえ、こんな虫だらけの洞窟での仕事は早く終わらせたいわな。

 特に反対意見が出ることもなく、俺たちは洞窟の最深部へと歩を進めた。



 ──最深部はこれまた広大な鍾乳洞のような場所だった。

 いかにも、これからボス戦ですよと言わんばかりの環境である。

 やっぱりここのボスも虫なんだろうか。超巨大なイモムシとか出てきたら嫌だなぁ。

 せめてカブトムシとかならまだマシなんだけどさ。


「いやぁ、やっぱ馬原くんに来てもろーて正解やわ」


 突然、先導する岸辺さんが神妙な顔で呟いた。

 どうやら何かを発見したようだ。

 薄暗い鍾乳洞の奥、その視線の先には──黒っぽい巨大な卵のような物体があった。

 ちょっとした低層マンションくらいのサイズあるそれは、まるで心臓の如く、不気味に脈打っていた。


「何だこりゃ……」


 注目すべきはそれだけじゃない。

 巨大チョコエッグの周囲には、人の大きさ程の白っぽい卵があった。

 卵と言っても鶏卵みたいな可愛らしいものではない。質感的にはエイリアンの卵と言ったほうが腑に落ちるだろうか。

 ヌメヌメ、ブヨブヨといった擬音が似合う、柔らかそうな卵だ。

 そんな気色悪い卵が、辺り一面にびっしりと産み付けてあったのだ。


「まさか、大家族のマイホームにでもお邪魔しちまったか?」


「……そのまさかみたいじゃの。こやつは──イビルクイーンタランテスという魔獣じゃ。無論じゃが、周囲にあるのは全て──こやつの卵よ」


 ──刹那、洞窟内が大きく揺れ動き始めた。

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