第16話
「え、お姉さん、突っ込むとこそこ?」
いやだって、あまりに悪趣味だったものだから。
「まー、確かに趣味最悪だけど。それよりさあ、それ汚れが付いて無いか見てみてよ」
「汚れ? そりゃ付いてますが……」
ぬかるんだ地面近くの枝に引っかかるようにして落ちていたのだ。左半分は泥だらけだった。
「違う違う。そうじゃなくてー」
そこでノアがやたらニヤニヤしているのに気付いた。
――ああ、そういうこと。
彼の言葉の意味がわかると同時に、ゴッと鈍い音がした。
ノアが頭を押さえてしゃがみ込んで呻く。
「女性相手になにやってんのかなあ。このエロガキが」
背後を見ると、ウォーレスがいい笑顔で拳骨を作って立っていた。その隣には心底申し訳なさそうな顔のルツ。
「愚弟が申し訳ありません」
ルツも大変だ。いつも弟の尻拭いをして回っているのかと思うと同情を禁じ得ない。
ウォーレスは眉をひそめながら、ひらひらと揺れるそれを指先でつまんだ。
「お前が期待してるような汚れはなし。微量の血痕があるがケツの部分じゃねえ!」
吐き捨てるように言うとウォーレスは指先を近くの木になすりつける。気持ちは分かる。
「ふーん、これ、ラグナルのじゃなさそうだねえ」
立ち上がったノアはラグナルとパンツを見比べた。
「どう見ても成人サイズですね」
思わずまた良からぬ想像をしてしまいそうになるが、バートがそれを見逃すはずがないとオーガスタスも言っていたし……
四人で風に吹かれる悪趣味なパンツを眺めていると少し先に進んでいたキーランが戻ってきた。手には先ほどまではなかった黒い布。
「これを見つけたが、そっちは下着か」
キーランが手にしていたのは黒い布製のズボンだった。
一同に沈黙が落ちる。
「なにこれ、誰かが森の中でストリップでもしたっての?」
一体どこの誰が魔獣の出る森の中でストリップに興じるというのか。
「他にも何か落ちているかもしれんな。探すぞ」
キーランの号令で、私たちは彼がズボンを見つけた場所まで行き、血痕を頼りに辺りを探った。
結果、見つかったのは――
「皮革の水筒、長靴が片足、剣帯に……これか」
キーランの手にあるのはべっとりと血糊の付着した長剣。飾り気はなくグリップ、ガード、ポンメル、刀身まで全て黒一色だ。
「物騒な落とし物だな」
ウォーレスはキーランから長剣を受け取ると、外套を脱いで刀身を包んだ。剣帯と長靴と水筒は布袋を広げて無造作に押し込んでいる。どうやら持ち帰るつもりのようだ。
「ねー。ウォーレスー。パンツはいいのお?」
私も気になってました。
ウォーレスはぐっと言葉にならない呻きを漏らしたのち、何かを振り切るように声をあげた。
「帰りに回収する」
血糊まみれの長剣を最後に、落し物は見つからなくなった。足跡も発見できない。
しかし、木々に付着した血液はまだ続いていた。しかも徐々に頻度が増えている。異臭が鼻を突くようになった。剣を発見した時にも臭ったが、今度のそれはどんどん濃くなっていく。
川のせせらぎらしき水音が聞こえたとき、先頭のキーランがさっと右腕を出して、皆の歩を止めた。
「ウォーレス」
ウォーレスは拾い物を詰め込んだ袋と外套に包まれた剣をその場に下ろすと、キーランとともに進む。
私の前にはノア。スタッフを構え臨戦態勢だ。背後ではルツがワンドを取り出す気配がした。
体躯の大きなキーランとウォーレスが左手方向に進んだことで、視界が広がる。
そこには思った通り川が流れていた。川幅は大人の背丈二人分ほど。コールの森の中を通る川は二つあるが、そのどちらも東から西に向かって流れている。川とその周囲に点在する岩に木の根は侵食を阻まれ、そこは少しばかり拓けた空間になっていた。頭上からは燦々と陽光が降り注ぎ、木々に覆われた薄暗い森の中に慣れた目には眩しいほどだ。
その光に溢れる空間の辺り一面に飛び散った、血、血、肉片、血。
むせ返る臭気に口を右手で覆い、私は一歩後退した。左手が何かに引っぱられてはっとする。
「ラグナル見ちゃだめ……」
口を押さえていた手を離し、ラグナルの目を塞ごうとする。しかしひらりと避けられてしまった。
「僕、大丈夫だよ。穢れた獣の血なんて平気だもん」
穢れた獣?
「魔獣のことでしょうか」
ルツが足元に落ちていた血の付いた石を拾い上げ、鼻先に掲げた。
「乾き具合からしてもまだそれほど日は経っていませんが、腐臭がします。魔獣の血で間違い無いでしょう」
「あの肉片も魔獣のものっぽいねえ。ほら灰色の毛が付いてる」
ノアは川の中ほどに突き出た岩に引っかかる肉片を指差して言う。
ルツとノアの姉弟も冷静だ。さすが一流討伐ギルドの一員。
あの衣服の持ち主の血や肉片ではと取り乱したのは私だけだったらしい。……魔獣のものでも充分グロいし見て楽しい光景ではないけれど。
キーランは川に入るとノアの示した肉片に近づき、長靴の先で蹴った。肉片は岩肌を滑るように転がり水の中に落ちる。
その様を見ていたキーランの体に、瞬時に緊張が漲るのが遠目にもわかった。
「ウォーレス!」
早足で水を蹴り上げるように岸辺に上がったキーランが、鋭い声でウォーレスを呼ぶ。キーランの左手は右の腰に吊るされた剣の柄にかかっていた。
河原に落ちた血を追っていたらしく、少し離れた場所にいたウォーレスが慌てて戻ってくる。
「どうした?」
「灰熊獣だ」
「一角か? それとも二角か?」
「分からん」
灰熊獣。このコールの森に生息する魔獣の中でも五本の指に入る危険生物である。
数が増えすぎるなどして食料が足りなくなったりすると、森を出て旅人を襲ったり人里を荒らしたりする厄介者で、領主から討伐依頼がでることもある。また爪や角は魔術の道具や薬の材料として珍重されており高値で取引されるのだ。私のような三流調剤師には逆立ちしても買えないような値段で。
ウォーレスとキーランの会話を聞いて、ノアとルツが私とラグナルに背を向けてそれぞれの魔術具を構えた。
キーランとウォーレスも同様の態勢になる。私とラグナルを護ってくれているのだ。足手まといで申し訳ない。
「あの黒剣の持ち主とやり合った……と見るべきだろうな」
「同意だ。仕留めたと思うか?」
「一人で灰熊獣を? ウォーレス本気で聞いてんの? 一人で灰熊獣をやれるわけないじゃん。運良く手傷を負わせたみたいだけど、確実に返り討ちにあってるよ。今頃土に埋められてるんじゃない」
想像するだけで恐ろしい。獲物を生かしたまま埋めることもあるというから尚更だ。
「風下から近づいて、運良く気づかれずに接近できたとして、一角なら仕留めた可能性はゼロとは言えないのでは? さすがに二角は無理でしょうが」
「討伐に加わったのが、黒剣の持ち主一人だと決めつけるのは早計ではないか?」
「河原の岩に血で足跡がついていた。今のところ確認できたのは一人分だな」
キーランの問いにウォーレスが答える。
「やっぱり保存食だねー。そいつで満足してくれてたらいいけど」
「ノア、子供の前ですよ」
周囲を警戒しながらロフォカレの面々の話が続く。
と、唐突にキーランが剣を抜いた。
「来るぞ」
濡れたような足音が遠くから聞こえた。
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