第10話

「やあ、お嬢さん。また会ったね。ようこそ、ギルド・ロフォカレへ。私はマスターを務めるオーガスタス。彼は副ギルド長のゼイヴィアだ」


 そう言って老紳士は壁際に視線を向ける。すると影のように控えていた壮年の男性が軽く頭を下げた。


「ゼイヴィアと申します」


 一筋の乱れもなくきっちりと結われた髪に、銀縁の眼鏡。皺一つないシャツに、臙脂色のタイ。細身のズボンはセンターに折り目が刻まれ、靴はピカピカに磨かれている。

 一目で、彼がどんな人物か想像できた。老紳士とはまた違った意味でお近づきになりたくないタイプだ。


「イーリスです。今日はお時間を割いていただいてありがとうございます」


 私が礼を述べると老紳士――オーガスタスは鷹揚に頷いてから、所在無げに立つ子供を見た。


「おチビさんは?」


 オーガスタスは優しい口調で名乗りを促す。

 子供は無言で一歩、私の側に寄ると、ぎゅっと私の服の裾を握った。


「ふむ、どうしたね?」


 オーガスタスの声に僅かに固いものが混じる。彼の目はじっと子供を見据えていた。

 裾を握る手の力が強くなる。


「あの、実はこの子は――」


 名前が分からないようなんです。そう言おうとした私の言葉を遮ったのは当の子供だった。


「ラグナル」


 私は驚いて名前を名乗った子供を見た。


「そうか。よろしく、ラグナル。……バートの書簡に書かれていた話と少し違うようだねえ」


 オーガスタスはラグナルに笑顔を見せると、私に問いかける。

 ああ見えて、几帳面なところもあるバートのことだから手紙には仔細が記されていたに違いない。

 子供がどうして森にいたのかはおろか、自分の名前も分からないことも、それから多分、私のことも書かれていただろう。バートが気にしていたのはそこだったから。


「昨晩は名前を答えてくれなかったんです」


 私は努めて平静にそう答えた。本当のことだし。


「そうかね。なら混乱していたのかもしれないねえ。一晩経って落ちついたのだろう」


 うんうん、とオーガスタスは好々爺の面持ちで頷いた。 

 ほっとした瞬間、鋭い視線をなげかけられる。


「ところでお嬢さんはクティニャ出身だとか。随分遠くからいらっしゃったものだ。身寄りがなく一年前にこの街に来たばかりだそうで……バートがえらく心配していたが」


 やっぱり私のことも書かれていた。

 バートはこの街で初めてできた顧客だ。調剤師としての腕はまだまだなうえに、ふらりと街にやってきた後ろ盾も何もない私の薬を、足元をみることなく買ってくれた。そのうえ、あれこれと心配して世話をやこうとしてくれる、男気溢れるおかん体質な男である。


「クティニャの何処の出かね?」

「クタニスグですが?」


 それがなにか? そう言外ににじませる。

 クティニャは大陸の中で北東に位置する小さな国だ。クタニスグにはこの国へくる時に通りかかった。牧歌的な良いところだった。


「ほう、クタニスグ。あそこは良い港町だったねえ。実は若い頃クティニャに何年かいたんだよ。しかし不思議だね。お嬢さんのイントネーションは私の知るクティニャ人のそれと少し違う」


 ――このジジイ。

 知ったかぶりをする人間は多い。彼らの不正確な話に振り回されて迷惑を被ることがある。が、それよりも知らんぷりでこちらの出方を伺う人間はずっとたちが悪い。


「そうですか? 両親がクティニャ出身ではなかったからかもしれません」


 答えながら笑顔を浮かべようとするも、見事に失敗した。

 ひくひくと頰を引きつらせる私に、オーガスタスは満足げに笑いかける。


「なるほど。ご両親の出身を伺っても?」


 私はバートに、というかこの街で出会った人々に出身を偽っている。それは故郷の一族の力を知る人間に見つかれば、時として面倒ごとに巻き込まれる可能性があるからだ。

 それもあって一族の人間は、大陸の東端にある国ルンカーリの中で自治を認められている村、イーから滅多に出ない。エルフ並みに引きこもっている。力の拡散を防ぐ目的もあるが、村にこもると決めた一番の理由は保身だったはずだと兄は言っていた。今では逆になってしまったけれど……


「オーガスタス。イーリス嬢の出自は関係ないでしょう」


 どう惚けるべきか迷う私に助け舟を出してくれたのはゼイヴィアだった。


「彼女がこの街に来てからの動向に特に怪しいものはありませんでした。私の調べは完璧です。それとも私の報告に穴があるとでも?」


 助け舟……だろうか?

 銀縁の眼鏡の縁をクイッとあげてゼイヴィアは挑戦的な眼差しをオーガスタスに向ける。

 なんというか、分かりやすい人だな。

 オーガスタスは苦笑を浮かべてそんなゼイヴィアを見てから、私に笑いかける。


「気を悪くされたら申し訳ない。バートは情に厚いぶん、流されやすいところもあるからねえ。それがあれのいいところでもあるが……。まあ、うちにはこの通りとても優秀な副ギルド長がいるからね。私は今回の件に関してお嬢さんのことを疑っていないよ」


 確かに一晩で調べたというのだから、恐れ入る。ちらりとゼイヴィアを見やれば「当然です」と言いたげに顎をそらされた。


「何より、お嬢さんには利がない。ある種の嗜好家には彼の髪の一筋さえ、たまらんもんでしょうが、お嬢さんがダークエルフの子供がこの国に一人でいる訳に一役買っているというのなら、バートのところになどは行かんだろうねえ」


 この世には一定数のエルフマニアが存在する。命をかけてエービル山脈に足を踏み入れる研究者から、人の世にふらりと現れるエルフの美しさに心を奪われたストーカーまでそのタイプは様々だ。

 中でも魔術師の中にはエルフの魔力に心酔し、彼らの一部を取り込めば、それが自分にも宿るのではという妄想に取り憑かれているものがごく稀にいるらしい。その筋に話を持っていけば、この子供は大金に化けただろう。

 もっとも兄ならともかく、善良な一般人に過ぎない私に、そんな怪しい伝手なんてないけれど。


「バートから受け取った手紙には昨晩お嬢さんから聞かされたという話と、子供に関する彼の所見が事細かに記されていたよ。しかしまあ、今一度お嬢さんの口から伺っておきましょうか」


 私は言われるがままに昨日の出来事を話した。子供を見つけた時の様子からバートの元を訪ねたところまでを。

 話を聞き終わるとオーガスタスは困り顔で息をついた。


「聞けば聞くほど不思議な話だ。森の中にシャツを一枚身に纏っただけのダークエルフの子供が一人。周りに人影はなく、しかも子供は何も語らない」


 昨日は確かに語らなかった。けど今なら聞けばひょっとしたら何か答えが返ってくるのではないだろうか?

 オーガスタスに促されるまで名前を言わなかったのは、私が聞かなかったからかもしれない。そう思った私は子供の顔を覗き込んで訪ねた。


「ラグナル? どうして森にいたか分かる?」

「森?」

「昨日お姉ちゃんと会ったところ」


 子供――ラグナルは首を傾げてから、何かを思い出そうとするように虚空を睨みつける。


「……分かんない」


 そう呟いたあとひどく心細げな表情を浮かべた。


「気がついたら服が脱げてて、寒かった」


 これ変に詳しく突いたら駄目なやつじゃないの!?

 どうしようと、部屋の中を見回せば、壁際のゼイヴィアは痛ましげに子供を見つめ、オーガスタスは相変わらず困った顔をしていた。


「君たちが何を心配しているか分からんでもないが、その辺りをバートが見落とすとは思えないけどねえ」


 それもそうか……。


 「ともかく」とオーガスタスは妙な空気を打ち消すように、ごほんっと咳払いを一つ。


「バートの言う通り、領主様へ話をあげんといかんだろう。憲兵に処理できる問題ではないからね。ただねえ、ちょっと間が悪かったね」

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