第3話

 周囲に他に人影はない。子供から詳しい状況を聞き出すのは無理。

 となれば、することは決まっている。森からの脱出だ。

 しかし困った。

 年の頃は六、七才だろうか。細身だが、ガリガリというほどではない。均された道なら負ぶって歩けないこともないが、なにせ足場の悪い森の中だ。

 一番現実的なのは子供を置いて、一人で森を出て、救助を呼ぶことだろうが、じきに日が落ちる。捜索が始まるのは明日になるだろう。魔獣の徘徊する森の中で子供が一晩を無事に越せるとは思えなかった。


「あのね、もうすぐ日が暮れるの。ここにいると危ないのは分かる? いつ魔獣がでないともわからないからね」

 子供は瞬きを繰り返すだけで、全く返事を返す様子がないが、構わず話しかける。


「私はこれから森を出て街に帰る。君どうする? 残念だけど私は君を背負っては森を抜けられないから、置いていかれたくなかったら自分で歩いてね」


 生き延びたければ、ここは根性で歩いてもらうしかない。

 私の必死の呼びかけが届いたのか、はたまた「こいつマジで置いて行く気だ」と悟ったのか……

 目が合っているようでいて、その実どこを見ているかわからなかった子供がようやく私を見た。そしてポツリと呟く。


「お腹すいた……」


 どうやら子供は空腹で動けなかったらしい。


 私は、疲労回復用にと懐に入れてあった干し柿を取り出し子供に与えた。ついでに残りわずかだった水も。


「はい、もっとパッパと食べる。食べたら歩く」


 岩に腰掛け、味わうように干し柿を噛みしめる子供を急かす。急かしながら腰に巻きつけていた布を外すと龍涎石を取り出した。石は軽くなった懐へ入れ、布を二枚に裂いて子供の足に巻きつける。気休めかもしれないが、裸足よりはましだろう。

 さて、本当に急がなければ。今から子供の足で、陽のあるうちに森を抜けられるか危うい。

 大振りの干し柿を三つペロリと平らげた子供を強引に引き起こし、私は籠を背負って森の外へ向かって歩き出した。

 子供は思いの外よく歩いた。途中で歩けなくなるかもしれないと、子供が潜り込める木の虚がないか探りながら歩いていたのだが……幸い杞憂だったようだ。

 何度か空腹を訴えたので、その度にナイフで石突きを切り落とした生のサオ茸を渡した。煎じて油と混ぜれば傷薬になるサオ茸だが、食用としてもいける。栄養価は低く、全くの無味無臭で美味しくもないけれど。

 とりあえず腹が満たされればいいのか、子供はサオ茸を口に咥えながら、黙々と歩いていた。

 いったん陽が傾き始めると、木々に覆われた森の中が暗闇に沈むのは早い。

 森の周囲をぐるりと通る見知った道に出たのは、足元さえ覚束なくなってからだった。


「なんとか助かったー」


 青く染まる日没直後の西の空を見ながら、大きく伸びをする。傍らには六本目のサオ茸を齧る子供。こちらは焦りに焦っていたというのに、呑気なものだ。

 とりあえず、今度から森に入るときはランタンを持ってこよう……

 あとは子供を街兵の詰め所に引き渡せば一件落着である。

 何か温かいものでも食べて家に帰ろう。


 そう予定を立てていた。

 実際、それは難しい話ではなかったはずだ。

 なのにこんな時に限って、詰所には人っ子一人いなかった。

 なんでも一軒の酒場で起きた酔っ払いの喧嘩が、あちこちに飛び火して、皆出払ってしまったらしい。

 詰所の前で子供と手を繋ぎ、呆然と佇む私に、隣の飯屋から出てきたおじさんがそう教えてくれた。

 今いるのは街の中でも北西の端に位置する一角だ。

 街からコールの森へ行くには北西の門を抜けるのが一番早い。

 私の家は南西の隅にあり、その近くにも詰所はある。だが、そこももぬけの殻ではない保証はない。確実なのは本詰所に連れて行くことだが……

 なにせ、子供の格好が格好だ。ここに来るまででも道ゆく人々の視線が痛かったのに、人の多い中央になどとても連れていけない。

 それに一応は確認したものの体の状態も心配だった。

 自分でもいうのもなんだが私は三流の調剤師である。早めに本職に診てもらわねばならないだろう。

 迷った末、ここから一番近い常得意の店を訪れることにした。


「ああ、あんたか。薬の納入……じゃなさそうだなあ。ちょっと待ってな。すぐに終わらせるからよ」


 医術師のバートは、目の周りに大きな青あざをこしらえた男に薬を塗りながらそう言って顎で椅子を示す。


「ありがとう。今日は大盛況だね」


 バートの店は、あちこちに傷をつくった男たちであふれかえっていた。酒場の喧嘩に参加した連中だろう。 

 本来なら診療所と呼ばれるべきここを、バートはあえて店と言う。訪れる患者は客だ。

 医術師嫌いの荒くれたちが少しでも来やすいように、という配慮からそう呼ぶようになったと常連客の一人から聞いたことがあるか、本当かどうかはかなり怪しい。


「馬鹿野郎。今日も・大盛況だ。ほら、終わったぞ。金を置いたらさっさと帰んな」


 軽口を叩きながら、バートは今しがた診察を終えた患者を追い払う。

 それから、ぐるりと店の中を見回した。


「急患はいねえな。うちは女子供優先だ。文句があるやつは他を当たってくれ」


 バートは口の悪いおっさんだが、とても男前だ。主に内面が。

 緊急を要する患者がいないのを確かめると、私の隣でおとなしく腰掛ける子供の前にやってきて、膝をついた。

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