第2話

 ここはホルトンの街でも名うての冒険者たちがパーティーを組んで挑む森の奥深くである。

 そんな場所に子供が一人でポツンといるのだ。あり得ない。余りに奇妙な状況に鳥肌がたった。

 もしや怨霊の類だろうか?

 そんな考えに取り憑かれた私は、籠を腕に抱え込み、今度こそ逃げようとそろりと後退した。

 その拍子に、かさりと足元で枯葉が音を立てた。

 音に気づいたのか、子供がこちらを振り返る。


「ひっ」


 明るい髪色とは対照的な真っ黒な子供の瞳に見据えられ、口から情けない声が漏れた。

 さっきとは違った意味で心臓が嫌な鼓動をきざむ。

 魔獣と怨霊、果たしてどちらがマシなのだろう?

 身動きもままならず、私は子供と見つめあった。

 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう

 最早思考能力は機能しておらず、軽く恐慌状態である。

 どこからともなく聞こえる、長閑な鳥の鳴き声すら恐ろしい。

 子供は私を見つめたまま、不思議そうに首を傾けた。それから、ゆっくりと瞬きをする。たったそれだけの間がひどく長く感じた。

 黒い瞳が億劫そうに私を見据える。

 思わず籠を抱える腕に力がこもった。ぶるぶると震える指先が粗い網目に食い込む。

 取り殺されるのだろうか? それとも祟られるのだろうか? これまで怨霊に見えたことがないから、さっぱりわからない。

 そういえば兄のお得意様に霊媒師の類がいたっけ。胡散臭い連中だと良い印象を持っていなかったが、対処法を聞いておけばよかった。今となっては後悔先に立たずだ。

 これから我が身に降りかかるだろう災厄を想像して、涙に視界が霞む。

 私が死んだと知ったら兄は悲しむだろうか? いや、あの人のことだからきっと『ほうら、やっぱりね』と言って笑いそうな気がする。

 ――あ、なんかイラっときた。

 その様子を想像するとむかっ腹がたったが、おかげで、少し冷静さを取り戻せた。

 私は恐怖心を追い出すように努めて細く長く息を吐くと、子供を注視する。

 月の光を紡いだような白銀の髪と、夜の闇よりも深い漆黒の瞳に、褐色の肌。こんな時なのに、随分きれいな子だと思った。

 それから、あれ? と首をかしげた。

 子供が身に纏う血と思しき赤い染みがついた白い布が、大きな一枚のシャツだと気づいたのだ。足首までを覆うそれは何箇所かざっくりと切り裂かれており、素肌がのぞいている。おそらく、シャツ以外にはなにも身につけていない。

 まるでサイズの合わない服に、なにかおかしいと感じた次の瞬間、糸が切れたように、子供がその場に膝から崩折れた。


「えっ? ちょっ……」


 私はとっさに子供に駆け寄っていた。

 怨霊怖い! と震えていたことも忘れて、籠を置き倒れ伏した子供を抱き上げる。これだから目先に気を取られすぎていると言われてしまうのだろう。

 子供の体はずしりと重みがあり、温かかった。そのことにホッとして、顔を覗き込む。


「君、どうしたの? 一人? 保護者……お父さんは? お母さんは?」


 一度、子供の体温を感じてしまえばもう怨霊だとは思えなかった。

 目を合わせて返事を待つが子供はぼうっとした目で私を見るばかりで反応がない。


「ちょっとごめんね」


 もしかしたら大きな怪我をしているのかもしれない。

 私は子供の着ているシャツをたくし上げた。

 ビクッと小さく子供の体が震える。

 思った通りシャツの他には何も着ていなかった。靴も履いていない。


「どこか痛いところは?」


 尋ねながら、注意深く観察する。細かな切り傷やすり傷はあるものの大きな傷は見当たらない。

 子供の表情を確認しながら軽く腹を押していく。内臓の損傷も私に分かる範囲ではなさそうだ。

 念のためにと、体を前に倒し、背中を見てハッと息を飲んだ。

 子供の背には見たこともないような複雑な文様の印が刻まれていた。

 褐色の肌に浮かぶ禍々しいまでに鮮やかな紫紺の円印。

 ーーこれは……

 私はそっと印に指先を這わせた。

 びくり、とまた子供が小さく体を震わせ、身をよじる。それを無視して、印の内容を読み取ろうと試みる。

 口の中でブツブツと解析の呪を唱える。

 印が仄かに紫紺の光を放ち、熱を持つ。が、そこまでだった。

 あっという間に光は消え失せ、軽い虚脱感におそわれる。


「やっぱりムリー」


 元の状態に戻った印を見て、私はうなだれた。

 兄ならきっと、ちらりと一瞥しただけで解析して、あまつさえ鼻歌交じりに解呪までしてしまうだろう。

そうして言うのだ。『簡単すぎてつまらないな。おや、お前はこんなものも解けないの?』と。

 ――あー、なんか壮絶にイライラしてきた。


「……離して」


 人を小馬鹿にした笑みを浮かべる兄の顔を思い出していると、小さな呟きが聞こえた。

 子供が腕の中でシャツを下ろそうともがいている。


「ごめんごめん」


 子供とはいえ、恥ずかしかったらしい。眉を寄せて睨まれ、私は謝った。

 なにせ下着も身につけていないのだ。

 子供のシャツを戻してやると、彼――男の子だった――は腕の中で大人しくなった。

 ぐったりと身を預けてくるあたり具合は悪そうだが、やっと反応を返してくれたことに安堵する。


「ねえ、僕。大人の人いないの?」


 子供は黙ったまま首を横にふった。


「どうしてこんなところにいるのかな?」


 今度は反応がない。

 何もわかっていないのか、もしくは言いたくないのか。

 切り裂かれたダボダボの大きなシャツに、男の子とはいえ、ハッとするほど綺麗な顔立ちの子供……どこととなく犯罪臭のする組み合わせだ。

 よし、詳しくは聞くまい。

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