ヤンデル精霊とツンデル私。役立たず扱いされた私の僕になったのは最恐の精霊でした

小声早田

第1話 ヤンデル精霊とツンデル私

ある日、異世界に召喚された。

最寄駅で電車を降りたら見知らぬ泉の中に立っていた。


周囲は開けた草原で、遠くに山々が見える。

一目で人里離れているとわかるその場所に、大勢の人間が集まっていた。


「ようこそおいでくださいました。異界の客人よ」


厳しい顔の老人が首を垂れると、背後に並んだローブを纏った人々がそれに倣う。

その様は一言で言って壮観だった。


パニックにならずに済んだのは、そういう物語を読んだことがあったからかもしれない。



私が召喚されたのは大陸の端っこにある小さな王国だった。

小さいながらも列強に併合されずに済んだのは、異界から人を召喚する技術が世界で唯一残されていたからなんだとか。


異世界から来た人間は精霊を使役することができるらしい。どの精霊が従うかはまちまちで、湧き水の精霊の時は、人々は乾きに怯えることなく作物は豊かに実り、桃の精霊の時は、季節を問わず、常に桃がたわわに実ったとか。


え? 桃?

と思わないでもなかったけれど、この国は桃の産地で、一年中桃を輸出できて国庫が大変潤ったそうだ。


そんなわけで、貴方はこの国の救世主になる。と煽て崇められて、下にも置かぬ持て成しを受けた。


のは召喚されてから2ヶ月間だけだった。


私に従う精霊が現れなかったのだ。


国の危機(多分財政的な)が去れば日本に返すと言われていた私は、一刻も早く戻りたくて、日々、精霊が現れるという神殿で祈った。


初めの数日は、きっとそこそこいい精霊が来てくれるに違いないという根拠のない自信に溢れ、過去に大きな成果を残したという、水系の精霊や鉱物系の精霊が来てくれるように。


なのに一月経っても精霊は現れず、人々の態度はなんとなく微妙なものになっていた。


焦った私は、なんでもいいから来てくれと願った。人参の精霊でも、ピーマンの精霊でもウェルカムだ。


でも、来なかった。


最短では召喚したその日のうちに、長くても一月以内には精霊が現れていたという。

けれど2ヶ月たっても精霊のせの字も見えない。


そんな私に城の人々は分かりやすく冷たくなった。

まず、日当たりのいい客室から、半地下のじめっとした場所に部屋を移るように要請された。次に三食供されていた食事が二食になった。貴族や神職のお偉いさんは、三食食べていたが、それ以外の人々は二食らしいから、この時点では飢えさせるつもりはなかったのだろう。それが十日も経たぬうちに一食になったとき、私は命の危機を覚えた。


役に立ちそうにないから返してくれと、厳しい顔の老人に直訴した。

しかし、次の召喚の準備をせねばならないから、すぐに返すのは無理だと言われ、ならいつなら返せるのかと喰い下がれば、兵士を呼ばれて放り出される始末。


私の扱いは完全にお荷物、いやそれ以下になっていた。


勝手に召喚しておいて……と恨んだりもしたけれど、役に立たず、働きもしていない。ただ飯食いはよくなかったのかもしれない。と気を取り直し、城で働かせて欲しいと申しでた。老人にはもう会わせて貰えなかったから、直接厨房や、洗濯場に乗り込んだのだが……


「異界からの客人を働かせるなんてとんでもない!」


と断られた。

もう、どうしろと。


私は完全に詰んでいた。



そんなとき、城下に向かう馬車を見かけて、衝動的にそれに乗り込んだ。

外に出ればきっと働ける。働けばお腹いっぱいご飯が食べられる。

そう思ったのだが、世の中甘くなかった。

身元の分からない女を雇ってくれるところはなかったのだ。


さらに悪いことは重なるものらしい。

空腹を抱え、街中をさまよっていると、明らかにゴロツキといった風体の男たちに囲まれた。

路地裏に連れ込まれ、服を引き裂かれる。

抵抗すれば頰を打たれ、刃物をチラつかせられ、私は泣くことしかできなかった。


もう嫌だ。

もう無理だ。

もう頑張れない。


勝手に召喚して、勝手に失望して、元の世界に返してもくれない。私を見てもくれない。

あの、糞爺。


「絶対に許さない」


絶望に呪詛を吐いた時だ。


「やあ。今日はいい天気だね」


場違いな明るい声が聞こえたのは。


「異界の人間、この世が嫌い? 君を召喚した人々が憎い?」


声の元を辿ると、男が立っていた。真っ黒な髪に真っ黒な瞳。着ている服さえ黒一色だ。


「見世物じゃねえぞ」


私を押さえつけたままゴロツキが凄む。

だが、男はゴロツキには目も向けず、私に語りかけた。


「ねえ、憎いんでしょ? 復讐したいんでしょ? なら僕の手をとりなよ。僕が力を貸してあげる」


そう言って近寄ると、手を伸ばす。私はすぐさまその手をとった。


別に男の言うように、復讐のために手をとったのではない。ただこの場面から助けてくれるならなんだってよかった。


指先が重なったその瞬間、彼が人間ではないと理解した。

皮膚を通して伝わる、恐ろしい力の本流に思わず手を引きかける。


しかし、男がそれを許さなかった。

素早く私の手を掴み、指を絡める。


「よろしく。僕は闇の精霊。今日から君の僕だ。さあ、主、願って」


なんだか、やばい精霊がくだった。とすぐに理解した。


けど、今はそれよりも男たちをどうにかしたかった。


「こいつらを二度と女の人を襲えないようにして! それから一生、私の目の前に現れないように!」

「りょーかい」


ひどく軽薄な返事ののち響き渡ったのは男たちの絶叫。

股間を押さえて震え、白目を向いている。

壮絶な光景に目を背けようとした次の瞬間、彼らは消えた。周囲から伸びた闇にのまれて。


「二度と女を抱けない体にして、地の果てに飛ばしたよ。どう? 僕の力。すごいでしょ?」


黒ずくめの男は、私を引き起こすと、褒めて褒めてと言わんばかりに笑顔で詰め寄る。


「あ、ありがとう」


私は礼を言って、男に握られていた手を引き抜いた。

助かったと息を吐いた私の心を次に襲ったのは、男に対する恐怖だ。


「あの、本当に助かりました」


深々と頭を下げて、男の横をすり抜け、通りに戻ろうとする。

ただただ怖かった。あっさりとゴロツキたちを片付けてしまえる力も。その心も。

しかし目の前にさっと男が回り込む。


「主。僕を置いてどこへ行く気? それにその格好で通りに出るのはお勧めしないなぁ」


私はハッとして、ずたずたに裂かれた胸元を押さえた。


「次は何を願う? 僕としては着替えがいいと思うんだけど?」

「じゃ、じゃあ、着替えを」


確かに、この格好ではどこにも行けない。

私はおずおずと着替えを願った。

途端に目の前の影から現れる服。


「どうぞ、主」


男は恭しく服を差し出す。

私はそれを頭から被った。



「ねえ、主。次の願いは? なんでも言って?」


通りを歩く私の横に張り付いて、男は声をかけ続ける。

私はそれを無視して歩いた。


けれど、いくらもしないうちに足がもつれる。

空腹で力が入らないのだ。ぐぅとお腹がなる。


通りに軒を連ねる屋台から肉の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。


「美味しそうだねえ。主、お腹すいてない?」


私は思わず頷いていた。


「なら、願いなよ」


男を恐ろしいと思うのに、空腹には勝てない。


「ご、ご飯がほしい……です」

「まかせて」


ぱちんと指を鳴らす。すると、服と同じように影の中からきつね色の串焼きに肉が現れた。

香しい匂いがなんとも食欲をそそる。


「どうぞ」と手渡されたその肉を、礼を言って受け取る。


「お母さん。僕のお肉が消えたぁ」


背後から聞こえたその声に私はびくりと震えた。


「何言ってんだい。急に消えるわけないだろう。嘘をつく子は飯抜きだよ」


手に持った肉をまじまじと見つめる。

それから、笑顔の男を見上げた。


「こ、この肉って?」

「ちょっと拝借した」

「この服も?」

「もちろん。あ、洗濯済みだから心配しないで」


なんてことだ。

男はどこかから物を引っ張ってきているらしい。


私は振り返ると、子供の手をとった。


「こ、これ、あげる!」


ぽかんとする子供に無理やり串焼きを握らせると、走ってその場を去った。


人混みをかき分け、角を曲がり、その場にずるずるとくずおれる。


「どうして返しちゃうかなぁ。もう限界なんでしょ?」


男は私の隣で壁に背を預け、呆れ顔だ。


「そうだけど、だからって、人のものを、それもあんな子供の……」


そこまで言って、ふと思いついた。

子供から串焼きを取り上げるなんてできない。

でも、取っても心が痛まない人がいるじゃない。


「わ、私を、召喚した糞爺の食事を持ってきて!」

「仰せのままに、主」


男は大仰に礼をとる。

頭をあげたとき、その手には銀の皿が乗せられていた。

皿の上には肉汁したたるステーキと芋料理。


「サービスでカトラリーもつけといたよ」


その言葉通り、反対の手にはフォークが握られている。

どうせならナイフも……


「あ、肉は僕が切ってあげるね。主が食べやすいように。はい」


はい、の一言でサイコロ状に肉が切れた。


「ありがとう」


私は夢中でご飯を食べた。

男はそんな私をただにこにこと笑って見ていた。



「ねえ、次は? 主を召喚したこの国に復讐するでしょ? 業火に沈めようか? それともみんなみーんな切り刻もうか? さっきの肉みたいに」


私は両手で口を押さえた。

食べたばかりの食事が戻ってきそうだったのだ。


「い、いい。それより、宿に泊まって、体を清めたい」

「了解。じゃあ、宿の人間を始末して、主のものに」


私は今にも鳴らされそうな男の手に飛びついた。


「ちがうから! お世話してくれる人がいないと困るし、普通に泊まりたいだけ!」

「でも、宿に泊まるのならお金がいるよ?」

「それなら、あの糞爺の財布からお金抜いて」

「お安い御用」


男が指を鳴らす。

ポケットの中がずしっと重たくなった。

恐る恐る手をいれ、そこにある平べったくて丸いものを一枚掴んで取り出す。


「金貨だ」


ポケットはかなりの重量がある。


「ありがとう……」


そう言うと私は歩き始めた。


道中で着替えを購入し、お勧めの宿を聞いた。別に一番いい宿でなくて構わない。


体を清め、食事をとり、清潔な服に着替えて、暖かい布団で寝る。

それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。

一晩ぐっすり眠ると正常な思考がもどる。


私は笑顔の男に願った。


「元の世界に帰りたい」

「残念だけど主。それは無理だね」

「あなたに無理なら、糞爺にやらせる。私を元の世界にもどすように言って」


この恐ろしいほどの力を持つ精霊なら、彼らを脅すのはたやすいはずだ。

しかし、男は肩を竦める。


「帰る方法なんてないんだよ。あいつらの召喚は一方通行さ」

「そうなんだ……」


思ったほどショックを受けなかったのは、薄々そんな気がしていたから。

その日は宿でぼおっと窓の外を眺めて過ごした。

男はやれ「願いことは?」とうるさいけれど、無視した。


翌朝、私は宿を出ると、旅の支度にとりかかった。

帰れないなら、ここに用はない。

街道を歩く私の後を男がついてくる。


「旅にでるの? なんで? どうして?」

「どうせなら、あちこち見て回ろうと思って」


軍資金はたんまりある。

足りなくなれば、また糞爺から拝借しよう。それとも、次は一度しか顔を見たことがない王様のポケットマネーでも狙おうかな。


「それよりさ、国をのっとってみない? 僕の力なら城のやつらを細切れにできるよ?」


なぜそんなにサイコロステーキを量産したがるのか。


「いい」


首を横にふると、男はつまらなさそうに頭の後ろで腕を組んだ。


「すればいいのに、復讐。いきなり召喚されて、それまでの生活奪われて、腹がたたない?」


腹は立つ。絶対に許せないとも思う。けど、切り刻みたいとは到底思えなかった。


「そうだ、糞爺の夕食どきになったら、食事とってきて」


三食かっぱらって死なれては大事な財源その1がなくなってしまう。だから一食だけでいい。


「主の望みなら」


恭しく礼をして見せながら男は不満そうだった。



旅は快適だった。

なにせ自称最強の闇の精霊がいるのだ。毎日一回は熱々の食事もとれる。


召喚されてから2ヶ月あまり、城から出たことのない私にはすべてが新鮮だった。

翡翠色の湖に、夕焼けのような羽を持つ水鳥、大空を舞う龍。


「はー、すごい。龍とかいるんだ」

「あの蛇のどこがすごいわけ? 僕の方が断然すごいんだけど」


龍を褒めたら男の気に障ったらしい。

その日は一日中、龍という生物がどれだけつまらないか、自分がどれだけすごいかを聞かされた。

煩かったので、はいはいと適当に頷いておいた。


「そういえば、精霊って見かけないね。普段は姿を現さないものなの?」


男と旅を始めてそろそろ一月になる。

イモとミミズと楓と銀杏といったように複数の精霊を使役できた召喚者もいたらしいから、男以外の精霊に出会えるのではないかと思ったのだが、さっぱり見かけない。


「大抵の精霊は僕が怖くて近寄ってもこないよ」


2ヶ月間祈っても祈っても、精霊が現れなかったのってもしかして……

そう考えかけてやめた。

たとえそうだとしても、もう関係ない。

どうせ元の世界には戻れなかったのだから。


順調な旅が一月と二週間続いたころ、私は初めての峠越えを経験することになった。

山の向こうが見てみたくなったのだ。


街道沿いにある宿で、盗賊が出るから護衛を引き連れた商隊を待った方がいいと強く言われた。

迷っていると、


「僕がいるんだから、大丈夫にきまってるでしょ」


と男に言われ、商隊を待たずに出発することにした。


峠越えはきつかった。

ここを本当に荷物を積んだ商隊が通るのかというような難所の連続だ。


幾度も「僕に願いなよ。運んであげる」と言われたけれど、そんなことをしては旅の醍醐味が半減してしまう。

花の群生地の微かな香りに、疲れた足を小川に浸したときの爽快感。どれも自分で歩かなければ、気づきもしなかっただろう。


小さな感動を繰り返し発見しながら、麓も近くなったころ、異変を察知した。

前方から聞こえる斬撃の音、そして悲鳴。

近くの岩に登って確かめる。

馬車が一台と馬が数頭見えた。

その周りで幾人かの人が剣を切り結んでいる。


馬車を守る男が三人と、盗賊らしき男たちが十人弱。悲鳴は馬車の中からだ。

三人の男は健闘していた。だが、数で劣勢のうえ、馬車を守らねばならない。

じわじわと追い詰められていく。


「ねえ、お願い。あの馬車の人たちを助けて」


私は男に願った。

しかし、男は首を横に振る。


「主、その願いは叶えられないな」

「どうして!?」


男の力なら盗賊など一瞬だろうに!


「理由は簡単。僕は主のため以外には力を使いたくない」


私は唖然とした。私を主と言いながらなんと自由気ままなことか。


「私のためならいいんだ?」

「勿論。帝国の皇帝の首でも、東の果ての蛮族の長の首でも、主を召喚した国の王の首でも。主が願えば思うままに」

「わかった」


言質をとると、私は岩から飛び降りる。


「え? ちょっと、主!?」


背後からすっとんきょうな声が聞こえる。

盗賊の一人が私に気がついたところで足を止め、金貨が入った袋を取り出すと振ってみせた。


先日、王と召喚を進言したとかいう重鎮の財布から拝借したばかりで、財布は潤っている。

じゃらんと金貨がぶつかる音がする。そういえば「サービスだよ」と、宝石も混じっていたっけ。


「ちょっと! そんな馬車を襲うより私を襲ったほうがよっぽど実入りがいいと思うんだけど!」


なんせ王冠についていたらしい宝玉も入っているから。


「ああ?」

「なんだ、この小娘」


盗賊たちは突然現れた私に怪訝な顔をする。


「まあ、いい。ついでだ。やれ」


頭らしい男の一言で、二人の盗賊が近寄ってくる。

私は大きく息を吸い込んだ。


「きゃー、襲われるー! 助けてー!」

「は? なんだ、こいつ?」


勇ましく飛び出しておきながら悲鳴をあげる私に、盗賊どころか、馬車を守っていた三人の男まで呆気にとられた顔をする。


「主。その悲鳴はわざとらしすぎるよ」


いつの間にか隣に立っていた黒ずくめの男が脱力したようにため息をつく。


「私のためなら力を使ってくれるんだよね?」

「そりゃそうだけどさぁ。なんかこれは違うというか……」

「さっき、そう言ったよね!?」


ぶつぶつと文句を言う男に畳み掛ける。

男は掌で顔を覆うと、「わかったよ」とつぶやいた。


「主の仰せのままに!」


その一言で盗賊たちが昏倒する。


「どうする? 刻む? それともまた最果てに飛ばしとく?」


盗賊のアジトが見つかれば、これまでに盗まれたものが見つかるかもしれない。

私は首を横にふり、馬車を守っていた男に声をかけた。


「盗賊たち、見張っとくんで、兵士を呼んできてもらえますか?」


馬があるのだ。それほど時間はかからないだろう。


「ああ、一人応援を呼びにいったから、すぐに戻ると思う」


護衛らしき金髪の男は剣を鞘にしまうと、あとの二人に盗賊たちを縛るように言い、手をさし出す。


「助かったよ。まさかこんな麓近くまで降りてくるとは思わず油断していた。君たちがいなかったら危なかったよ」

「いえ、どういたしまして」


出された手を、黒ずくめの男が取る気配がまったくないので、代わりに握手しておいた。


馬車から「姫様!」という悲鳴が聞こえた。顔を向けると扉が開いて小さな女の子が飛び出してくるところだった。

クリーム色のドレスにピンクの髪。

珍しい髪色に見入っていると、小さな姫はスカートをつまんでお辞儀をする。黒ずくめの男に向かって。


「とてもお強いのですね! 貴方が先ごろ召喚された異界の方ですか? まるで、まるで世界を滅ぼしかけたという古の闇の精霊の使い手のようでした!」


どうやら男が精霊だと気づいていないらしい。

あと、龍を褒めた時に、自分は世界を滅ぼしかけたって話してたの、誇張じゃなかったんだ……


「姫様! 闇の精霊使いは狂気に呑まれた忌むべき存在。そんなものと同等に扱われては失礼ですよ」


金髪護衛の叱責に姫は顔を曇らせる。


「申し訳ありません。あまりにお強かったので。決して同列に扱おうとしたわけでは!」


あれ? これ、黒ずくめの男が闇の精霊で、私が主だってバレたら詰むんじゃない?


「そ、そろそろ失礼しようか? では、私たちはこれで、先を急ぎますので!」


私は黒ずくめの男の手を掴むと、走った。

背後から、「お待ちになって!」と引き止めるお姫様の声が聞こえたような気がしたがきっと気のせい。


とにかく走って走って走った。

喉が焼けるような痛みを覚えて足を止める。

背後から追いかけてくる気配はない。

向こうには馬があるから、追いかける気があればとっくに追いつかれているだろう。


息を整え、水を飲むために水筒を出そうとして男の手を握ったままだったのに気づいた。

男は不思議そうな顔で繋いだ手を見つめている。

そういえば、いつもすぐに力の押し売りをしてくる男がやけに静かだった。

「彼らから逃げたいの? なら、逃がしてあげるよ。僕に願いなよ」そう言いそうなものなのに。


「大丈夫?」


もしかしたら力を使いすぎたのかもしれない。やっぱり世界を滅ぼしかけたなんて嘘なのかも。些細な出来事に背びれ尾びれがつくなんて、よくある話だ。


声をかけると、男はびくっと体を揺らし顔を上げた。


「何が?」


男は笑顔を浮かべた。その顔はいつもと同じようで、どこか違う。


「調子悪い? 力使わせすぎた? ごめんね」


そう言うと男は顔を歪ませた。私の言動につまらなそうな雰囲気を漂わせることはあったし、龍を褒めた時には不満を露わにしてぐちぐちと文句を言いはしたけれど、はっきりと怒りを示したのは初めてだった。


「使いすぎ? あれしきで? ねえ、さっきのピンクの話聞いてなかったの? 僕が前に話したことも忘れた? 僕には世界を滅ぼすだけの力があるんだけど!」


過小評価されたのが気に食わなかったったのだろうか……


「大丈夫ならいい」


男の考えはいつも理解しがたい。

そもそも精霊を理解しようというほうが無理な話なのかもしれない。



この世界は不可思議で美しい。

もう帰れないのだと割り切ってしまえば、その不思議も美しさも楽しめた。


けれど、どの世界にも暗い側面はあるものだ。

ゴブリンのような生物が暴れまわっていたり、山賊に支配された村があったり……


男の、私のため以外には力を使わないという主張は一貫していた。

仕方なく、ゴブリンに石を投げて追われては男に願い、知らん顔で村を訪れ住むふりをして山賊に襲われそうになっては男に願った。


「なんか違うんだけど……」と文句を言いながらも男は私の身に危険が及べば力を使う。




「もうさあ、主の趣味が人助けなのはわかったけどさ、これはないんじゃない?」


ある時、男が泣きそうな顔でそう言った。


ここは横暴な領主がいて、花嫁に初夜権を主張しているという地だ。

じゃあ、花嫁になろう。と思い立ち、いつものように拝借したお金でドレス(といっても白いワンピース)を仕立てた。

あとは教会に届けを出して、夜に領主の使いの到着を待つだけだ。

隣には花婿姿の男の姿。

いつも黒一色なので新鮮だ。


「そう? 白い服も似合ってるよ」

「そうじゃなくて……。普通精霊と結婚しようなんて思わないでしょ。それも僕となんて……」


仕方ないじゃないか。

他に新郎になってくれる人が誰もいないのだから。


「ねえ、教会に届け出るのに名前書かないといけないらしいんだけど、名前なに?」


出会ってはや半年、男の名前を知らないことに気づいた。

ずっと側にいるし、何か言う前に大体してくれるし、名前を知らなくても困らなかったのだ。


「名前なんてあるわけないでしょ」


男はとてもやる気がなさげだ。椅子に座り頬杖をついている。


「そういうもんなんだ。じゃあ、適当に決めちゃうね……クロスケでいっか。黒いし」

「は!?」


瞬間、男が立ち上がった。

驚愕に目を見開いて私を見ている。


「……ごめん、センスがないのは自覚してる。希望の名前があればきくけど」


男は再び椅子に腰掛ける。と、ずるずると机の上に突っ伏した。


「いい。クロスケで。ていうか、もうクロスケに決まった」


ちょっと何言ってるかわからない。


「まだ伝えてないし、変更できるよ? クロ丸とかどう?」

「無理、もう変更不可。信じられない。嘘でしょう。名前で縛られるなんて。この僕が……嘘でしょ」


……どうやら精霊に勝手に名前をつけてはいけなかったらしい。

そういうことは最初に言っといてくれないと。



黒ずくめの男改めクロスケの、領主への制裁はいつにも増して苛烈だった。

虫の居所が悪かったらしい。

領主への八つ当たりが終わっても、怒りは収まらなかったようで……


「僕、闇の精霊だって言ったよね!? 世界を滅ぼしかけたって言ったよね!? ちなみに三回やったからね!? 闇の精霊の使い手は忌まれてるって知ってるよね!? なのになんで、こんな……。勝手に手とかつないで、勝手に人助けに使って、名前つけて、結婚とかして! 違うでしょ? この世に二つと無い力を手にしてんだよ? わかってる? ねえ! ……ああ、もう! ああ、もう! ああ、もう! 責任とってよ!」


とグチグチと煩かったので、はいはいと適当に頷いておいた。




クロスケと旅を初めて一年がたったころ、私は隣国へ渡った。

そこで、あのピンクの小さなお姫様と再会した。


お忍び中らしく、以前のようなドレスではなく、質素な服をきて、これまた町民に扮した護衛を連れていた。

露天で食事中の私と目が合い、次にクロスケを見て顔を青ざめさせた。


ああ、バレたんだな。そう思った。


しかし、「主! 口の周り汚れてる。ほら、もう、じっとして!」と言いながら甲斐甲斐しく世話をやくクロスケを見て、顎が外れんばかりに大口を開けた。

かと思えば、恐る恐る近づいてくる。


「その節はお世話になりました。闇の精霊の使い手様、と闇の精霊様?」


疑問形になるその気持ちはよくわかる。


「責任とってよ!」と言ったあの日から、男の態度は徐々に変わっていき、今ではすっかり押掛女房と化していた。


「正体不明の男女二人組が、世直し道中を行なっていると風の噂で耳にしましたが、もしかしてお二人のことですか……」


そうなのかもしれない。


「お二人のことは、口外しておりません。そもそも人間が太刀打ちできる存在ではありませんから。世界の終わりがいつ訪れるかと心が休まりませんでしたが、どうやら杞憂だったようですね」


不安に怯える日々は小さなお姫様を、すっかり大人に変えてしまったようだ。申し訳ない。


その後、お姫様から聞いた話によると、隣の国の神官長は、幾度も食事を要求したり、金銭がなくなったと騒ぎをおこしたりなどし、その認知能力に疑いを持たれて罷免されたらしい。さらに国王もまた、同じような症状が出て、早々に退位。お姫様の婚約者である息子が即位するのだとか。

他にも数々の不祥事で隣国の力は弱体。子供の代になればお姫様の国への吸収、待った無しらしい。

二度と、異世界人の召喚などという恐ろしいことはいたしません。と言い、お姫様は去っていった。


「主、はい、あーん」

「え、むり」


フォークに刺さった食後のケーキを差し出してくるクロスケを一瞥して席を立つ。

さて、次はどこへ行こうかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤンデル精霊とツンデル私。役立たず扱いされた私の僕になったのは最恐の精霊でした 小声早田 @kogoesouda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ